人生にも荒野がある

礼拝メッセージ

2025/2/2 礼拝説教
【テーマ】  悪魔の試み
【説教題】 「人生にも荒野がある」
【聖書箇所】 マルコ1:12-13

1:12 それからすぐに、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの試みを受けられた。イエスは野の獣とともにおられ、御使いたちが仕えていた。
マルコ1:12-13

○ イエスは洗礼を受け、聖霊に満たされて、すぐにメシヤとして活動を開始されたのでしょうか。まず、イエスは聖霊に導かれて荒野に行かれました。この話はマタイの福音書4章とルカの福音書4章に詳しく書かれています。マルコは イエスは野の獣とともにおられ、御使いたちが仕えていた。 と他に無いことを記しています。

人生にも荒野がある

荒野に来られたイエス

 すさんだ場所

    1.「荒野」という言葉はギリシャ語の「捨てる」という意味を持っています。「捨てられた場所」ということです。人の手が加えられていない、人けの無い、人の作ったものなどもないところです。人とのつながりが無いのです。

    2.時として人は人生の荒野を体験します。また、私たちの心も荒野と化することがあるのではないでしょうか。心がすさんでしまう、捨てられた心となってしまうような。それは荒野を旅することよりも辛いことかも知れません。

人生には荒野がある

    1.聖霊に満たされたイエスは即座に伝道に出られたかというとそうではなく、 1:12 それからすぐに、御霊はイエスを荒野に追いやられた。 のです。それは、人けのないところで人を頼らず、神を信じて生きていく訓練のためでしょう。また、荒野のような心の人々を愛するために「荒野」を理解する訓練だったかと思います。そして、何よりも人との関係をはるかに超えた神との関係をしっかり築くための訓練であったのです

    2.イエスが荒野に来られたように、イエスは私たちの人生の荒野、心の荒野にも来てくださるお方です。イエスが荒野で神とだけの時間をもって訓練されたように、私たちも人生の荒野で訓練を受けます。でもその心の荒野にはイエスが来てくださっています。荒野こそ、イエスをよりよく知る時となるでしょう。

荒野で訓練されるイエス

荒野に悪魔がいた

    1.神は神の子イエスを訓練されるというのです。そこで、荒野に追いやられましたが、そこには悪魔がいました。神が導くなら悪魔なんていない祝福だけに満ちていると思いやすいのではないでしょうか。しかし、神はより多くの祝福を与えるために、こうした悪魔との対決も用意されるのです。

    2.イエスが受けた悪魔の誘惑は悪魔のとっておきの手だったでしょう。普通の人間は悪魔に勝てません。が、悪魔を通して訓練される時、その人その人に合わせて耐えられる訓練を与えられます。ですから、他の人にはないほどの試練があるならそれは神があなたに期待されている証拠だと思います。

    3.ヨブは大変な試練を受けました。そこには悪魔が働いていました。彼はイエスのようにはいきませんでしたが、それでも神を離れませんでした。どんなことがあっても神・イエスから離れないことが人生の真の幸せにつながります。あなたはヨブほどに試練を受けたことがありますか?

御言葉が悪魔を倒す武器

    1.神が訓練されるのだから、この戦いは勝利を得ることができます。悪魔は決して簡単に倒せるような相手ではありません。この大変な敵を倒すことができるのが信仰であり、御言葉の力によるのです。

    2.イエスは腕力で悪魔を倒すことはなさいませんでした。マタイ、ルカの福音書を見ますと、3つの誘惑があります。イエスはそれを悪魔の声と認識し、その誘惑に対してイエスは3回とも御言葉で対決しておられます。悪魔の声をたとえ聞くことがあっても従ってはならないのです。

荒野で勝利するイエス

荒野で神と交わる

    1.この40日の訓練は、イエスが神に対して完全に従順であることを示しています。モーセは40日間山にいました。出エジプトした民は40年間荒野をさまよいました。ダビデはサウル王に追われて荒野を逃げ回りました。エリヤも荒野にいました。バプテスマのヨハネも荒野にいました。

    2.荒野は霊的なリーダーシップを形成する場であり、荒野は神との関係を築く場です。しかし、そこには悪魔も登場するのです。クリスチャンは悪魔との闘いに勝利しなければならないのです。荒野には悪魔もいますが、神としっかり交わることのできる場です。悪魔の声に聞き従わず、神の声だけを聴いて行くことを学ぶのです。まだ、聖書をしっかり読んだことのない方がいらっしゃいましたら、是非お読みください。それが神の言葉だからです。

御言葉に従うことが勝利

    1.悪魔は何としてでも、人の救いを達成できないようにと思って、今も働いています。今はどのような働きをしているのでしょうか。イエスによって救いの道ができてしまった以上、人がそこに行かないように働いているのではないでしょうか。その悪魔の業を打ち破らねばならないのです。

    2.神は、私たちクリスチャンが荒野で悪魔の誘惑を受けるという訓練を与えられます。それは当然悪魔に打ち勝つためです。イエスが模範です。イエスが御言葉に従順であり、御言葉で悪魔に打ち勝たれたように、私たちも御言葉に従うことで悪魔に勝利するのです。私たちがいかに御言葉に従うかが決め手なのです。

    3.荒野で イエスは野の獣とともにおられ、御使いたちが仕えていた。 とありますが、荒野にいるということは獣にやられる可能性があります。しかし、この言葉はまるでペットと共にいたように感じられます。イエスは獣とも仲良くできるのかも知れません。それ以上に天使が仕えていたのはすごいことです。私たちも神に守られています。天使が遣わされているかも知れません。

● イエスの十字架の血潮によって救いは完成し、悪魔の業は完全に破れました。と言っても、すべての人が救われるわけではありません。神の言葉であるイエスを信じた者が救われるのです。

★ 私たちも荒野に導かれることがあります。悪魔との対決をしなければならないときもあります。その時に世の力では打ち勝てないのです。神の言葉・御言葉が悪魔に勝つということを覚えてください。今訓練を受けている方がおられたら、その訓練を感謝してください。あなたは素晴らしい働き人になるのです。