
時が満ち、神の国が近づいた
2025/2/9 礼拝説教
【テーマ】 神の時
【説教題】 「時が満ち、神の国が近づいた」
【聖書箇所】 マルコ1:14-15
【説教者】藤井敬朗師
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
マルコ1:14-15
○ 「今日は何月何日何曜日ですか?」「今は何時何分ですか?」と、何かのテストで聞かれる質問ですが、うっかりすると日にちが一日ずれたりしてしまいます。この地上には「時間」がありますが、神の国は永遠であって、「時間」が無いと言います。永遠とか無限とかは本当にわからない世界です。イエスが 時が満ち、神の国が近づいた。 と言われましたが、「時」とか「神の国」とはどういう概念なのでしょう。
なぜ、こんな時に?
危ない時に宣教開始
1.バプテスマのヨハネが捕らえられた後に、イエスは宣教を開始されました。普通でしたら、「こういう危ない時は少し待って、時期を見てからにしよう」などと考えるものです。また、「バプテスマのヨハネの解放のために祈りましょう」とそちらのことを優先すべきかのように感じます。ところが、イエスはそういう状況の中で宣教を開始されました。イエス自身も捕まえられ、命が危なくなるかも知れないのにです。
2.イエスがそのようになさるのはなぜでしょうか。それは見ておられるところが私たちとちょっと違うために起こるようです。イエスは「時が満ちた」と言っておられます。それは人が見るような「時」とは違うのです。神の定められた「時」です。
すべてに「時」がある
1.伝道者の書3:1-11には「すべてに時がある」ことを言っています。 伝道者3:1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。 とあるように、人には見極めることのできない時があるのです。
2.イエスの十字架が当時の弟子たちにはとても受け入れられないものでした。23年前でしょうか村上先生の癌が癒されないことを受け入れにくかったと思います。しかし、十字架が無くては救いが無かったように、村上先生の癌も神の何かしら大きなご計画の中にあったのです。不思議な話ですが、故山田亘先生は「村上先生は6月25日に召される、と神から示された」と言われました。そのことは村上先生もわかっておられたかも知れません。
神の時と神の国
神の国は近くなったのか?
1.神の時が来て、神の国が近くなったというのです。しかし、実際にはどうでしょうか。イエスの宣教開始から2000年も経つのに神の国は来ていないのではないでしょうか? 果たして、神の国は近づいたのでしょうか?
2. ガラテヤ4:4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。 とあるように神の時があります。人の目に見える歴史の底流に神の時が流れているのです。イエス・キリストがお生まれになったという歴史的事実の中にも人の目には見えない、神のご計画があるのです。
時が満ちた
1.英語の教科書で「春が来た」を Spring has come. と習いました。「時が満ちた」も同じく The time has come. です。「春が来た」と歌いますが、春が来た、春が来た、どこに来た、山に来た、里に来た、野にも来た。と、春という時がどんどん近づいてきている喜びを歌っています。それが見た目に感じられるというのです。
2.信仰の世界の出来事は肉の目で見ただけではわからないこともあります。神は一人一人にも時を備えておられます。それは人が思うような運命的な「時」ではありません。祈りの中でいくつもある選択枝から、神の思いを受け入れて、自分にできることを決めていくようなものです。人の目には愚かな決断をしているように見えることさえあります。
神の支配と自由
神の国とは神の支配
1.神の国とは神の支配を意味しています。ユダヤ人の考えていた神の国とは、イエスにダビデのような地上の王になっていただいて、イスラエル王国を再興していただき、ローマ帝国を打ち砕いてもらおうと考えていたのです。
2.ところが、イエスはそういう人間的な、世的な神の国を言われたのではありませんでした。ルカ17:21 『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」 という見方です。ユダヤ人の誰が心の中に与えられる「神の国」を考えたことでしょう。
神の国は自由
1.水野源三さんは身体の自由がありませんでした。ところがイエスを信じてから、彼は心から神への感謝が湧き起こり、たくさんの賛美の歌詞をつくられました。彼の身体は不自由でしたが、肉体の不自由に支配されなかったのです。
2.人にとって最も幸いなのは「神の国」を得ることです。なぜなら、人は幸せを、平安を求めているのです。人はそれを与えてくれると思うものを支配者にするのです。お金に支配されても、幸せをつかむことができないことは誰もが知っています。でも、本質的なことを知らないと、そうしたものにしか幸せを求められなくなっているのです。悔い改めて福音を信じる時、人の思いをはるかに越えた「神の平安」が心の中に来ます。
★ 神の時を知ることができるのは、心に神の国、神の支配があるからです。私たちも神に支配していただこうではありませんか。そして、神の時を知る者とならせていただきましょう。
Posted by shinnakano
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