大変な思い違いをしてませんか?

礼拝メッセージ

2025/4/6 召天者記念礼拝説教
【テーマ】  死者の復活
【説教題】 「大変な思い違いをしてませんか?」
【聖書箇所】 マルコ12:18-27
【説教者】藤井敬朗牧師

 新改訳2017
12:18 また、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て質問した。
12:19 「先生、モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を起こさなければならない。』
12:20 さて、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、死んで子孫を残しませんでした。
12:21 次男が兄嫁を妻にしましたが、やはり死んで子孫を残しませんでした。三男も同様でした。
12:22 こうして、七人とも子孫を残しませんでした。最後に、その妻も死にました。
12:23 復活の際、彼らがよみがえるとき、彼女は彼らのうちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが。」
12:24 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか。
12:25 死人の中からよみがえるときには、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。
12:26 死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。
12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。あなたがたは大変な思い違いをしています。」
マルコ12:18-27

○ 亡くなった人はどこにいるのでしょうか? 聖書にはイエスの復活が書かれていますが、人も復活すると書かれているのをご存知でしょうか? ただ、イエスの復活は歴史上ただ1回だけ、しかも当時のローマの権力者やユダヤの権力者たちによってイエスは十字架に死んで墓に葬られたが、その後弟子たちが盗んでいったというようなうそを流したため、それが結構信じられてきました。現代ならSNSでそういうことをするのでしょう。イエスの復活が一回だけということは科学的検証ができませんから、これは信じるか信じないかです。また、人の復活は未だ起こっていませんから、これも信仰の世界です。だから「そんなことはあり得ない」という人が多いのはわかります。でも、真実は何でしょうか? イエスは今日のテキストで 「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか。 と、言われています。

大変な思い違いをしてませんか?

復活を信じるか、信じないか

信じないサドカイ派

    1.イエス時代のユダヤ人の中に復活を信じる人と信じない人がいました。その信じない代表はサドカイ派と呼ばれる祭司のグループでした。彼らはモーセの律法に厳しい人たちだったのですが、同時に政治的な事に関しても厳しく、法律は一度きちんと整えられたらむやみに変えてはならないという保守派でした。しかも彼らはモーセ律法中心ですから「そこには復活は無い」と主張します。

    2.モーセ五書の創世記5:24には エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。 とありますが、これは死なないで天に移されたという表現で、復活ではありません。ですからサドカイ派は、一度死んだ人間がよみがえるというのはモーセは言っていないとして復活を信じません。彼らはモーセ五書を厳格に重んじていました。

信じるパリサイ派

    1.一方パリサイ派も律法を大変重んじていますが、政治的な法より宗教的な法、信仰に関わる法を重んじて、さらにモーセ律法から次々加えられたおきてやその解釈、口伝も大事にしています。そこで、復活を信じていたというわけです。

    2.パリサイ派が信じるグループと言えどもどのように信じていたかはよくわかりません。私たちも復活を信じると言ってもイエスの復活さえ見たわけではないので、よくわからないのではないでしょうか? でもイエスは復活され、私たちも復活することを語られましたので信じるのです。

勝手な死後観

死んだらおしまいか?

    1.しかし、 12:24 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか と、言われました。これは「論語読みの論語知らず」という言葉がありますが、「聖書読みの聖書知らず」ということになります。つまり「聖書を読んでいても神の力を知らない」ということです。

    2.では、問題のサドカイ派の人々がイエスにどんな質問をしたかというと、19~23節で「妻を残して次々夫が死んだ場合、復活があるんだったら誰が彼女の夫なんだ?」というような話です。「復活したときに妻一人で夫が7人もいたらおかしい。しかも神の教えは一人の女性が複数の夫を持つことを禁じているのだから、こんな矛盾した話は無い」というわけです。

    3.サドカイ派の人達の根本的な問題は人間は生きている間が大事で死んだら何も無くなる、おしまいだという問題です。つまり「死」をどう受け止めているかです。死んだ人とはもう二度と会えないのでしょうか? 

天使のようになるとは?

    1.私たちもサドカイ派と同じような疑問を持つことはないでしょうか? 妻と死別して再婚した男性、夫と死別して再婚した女性もたくさんおられます。死後もう一度出会った時に大問題になると考える人もいますが、死後の世界など無いから再婚しようとも何の問題も無いと考える人もいます。

    2.死後に同じところに行けば必ず会えます。しかも、何人も伴侶がいたら大変だと思う必要もありません。イエスがこう言われたからです。 12:25 死人の中からよみがえるときには、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。 天国にはこの地上の法則と違う法則があるのです。天国に帰った方たちは地上の最高のつながりの夫婦、親子を超えたつながりになるということです。

    3.つまり天国はこの地上の延長ではないのです。天使のようになるというのは何も白い衣を着て翼が生えるというのではありません。天使は霊であって肉体を持ちません。私たちもそのように制限された肉体を離れて新しい体をいただくのです。先に天に帰られた方はこの地上での制限された体から解放されています。

生きている者の神

死よりも強いのは

    1.私たちはどうしても死に打ち勝てません。しかし、神は私たちを復活させてくださいます。死よりも強いのは神です。イエスはそのことを証明して十字架で死なれても3日後に復活されたではありませんか。

    2.復活の体がどのようなものかは現時点での私たちにはわかりません。

生かされている今を大事に

    1.イエスは 12:26 死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。あなたがたは大変な思い違いをしています。」 と言われました。アブラハムも、イサクも、ヤコブも神のもとで生きているのです。地上にあっては死んだ過去の人物ですが、今も神と共に生きていますし、復活するのです。

    2.その彼らがこの地上で神の恵みをいっぱいに受けて生活したように、私たちもこの地上生涯を神の恵みいっぱいに生きるのです。人によってはその恵みが感じられず、「私は神に見捨てられている」果ては「神はいない」と結論付けますが、絶対にそれは無いのです。それこそ思い違いです。どんなに世的に貧しい、苦しい、辛い、痛いというようなことがあっても、神は私たちの神であって、神は愛なのです。

★ 人は死んで終わりではないのです。私たちが信じてきた天国がそこにはあります。みんなと会えるのです。そして、神はその愛の国の神ですが、今この地上においても私たちを愛しておられ、祝福してくださるのです。