弟子たちの人生観を変えたもの

礼拝メッセージ

2025/4/20 礼拝説教
【テーマ】  イエスの復活
【説教題】 「弟子たちの人生観を変えたもの」
【聖書箇所】 ルカ24:36-49
【説教者】藤井敬朗牧師

24:36 これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
24:37 彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。
24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。
24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」
24:40 こう言って、イエスは彼らに手と足を見せられた。
24:41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていたので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
24:42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で召し上がった。
24:44 そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」
24:45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
24:48 あなたがたは、これらのことの証人となります。
24:49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
ルカ24:36-49

○ 今日はイースター。2000年ほど前にさかのぼってみましょう。イエスの言葉を聞いて復活を信じたものの、これからどうなるのか?弟子達には全く見当がつかなかったと思います。まだそんな状態の時のことです。

弟子たちの人生観を変えたもの

真ん中に立った復活のイエス

イエスを見ておびえた

    1.最初のうち、弟子達はイエスが復活されたことをは信じていませんでした。しかし、女の人たちが復活したイエスに会った話、その空の墓を確かめたペテロとヨハネの話を聞き、またエマオ途上でイエスに会ってずっと話をしていた二人の話も聞いた時のことです。今度は、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた のです。

    2.この時の弟子たちの反応は 彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った とあります。非常に怖がったのです。幽霊を信じていたのでしょうか? たぶん誰も幽霊を見たことは無かったと思います。が、目の前の不思議なイエスの姿に説明がつかなくて、イエスの幽霊だと思うしか無かったのです。

みんなが見て、触って、聞いた

    1.女の人の話を半信半疑で聞いた弟子たちがみんなイエスを直接見たのです。イエスは わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。 と言われ、弟子たちはその手と足にある釘の跡を見て、またイエスの体に触れて、幽霊ではないことを確認しました。そして、聞きなれたイエスの声を聞きました。

    2.今私たちはこの時の弟子たちの証言を文字で読んでいるだけで、彼らのように復活されたイエスを直接見てはいません。ですから私たちはイエスを信じるという時に、彼ら弟子たちの証言(証)を信じるということでもあるのです。その証言は一人や二人ではなく、11人の弟子たちと女たち、さらに後に500人以上の弟子たちにも姿を現されたので、たくさんの弟子たちの証言を信じるということになります。

    3.今や私たちの証が人々に伝えられ、それによって人々がイエスを信じることになります。それが伝道です。もちろん聖書を語り、イエスを語るのですが、そのお方を信じているという証と共に語るから伝道が有効なのです。

魚を食べた復活のイエス

霊ではない

    1.イエスの体を見て触ってもまだ信じ切れないような不思議な感覚に包まれた弟子たちに 「ここに何か食べ物がありますか」 と、焼かれた魚を食べられました。霊や幻なら食べることができません。

    2.私たちの体は食べることでその栄養素が体を造ることになります。イエスは焼いた魚を食べられましたが、食べなければ生きていけない体だったでしょうか? 荒野での40日の断食の後のイエスは空腹でした。あの時のイエスの体は私たちと同じような肉体なので、食べないと生きていけませんでした。

    3.復活されたイエスは食べることができましたが、食べないと維持できない体ではないのです。誰も体験したことの無い体であり、不思議としか言いようのない体です。でもいずれ私たちもいただける体です。その時にはその体が普通になります。不思議ですね。

聖書は成就する

    1.イエスが続けて語られたのは聖書(今の旧約聖書)がすべて成就するということでした。それは 『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』 ということだと語られました。イエスの十字架と復活は預言されていて、ついに実現したのだということです。

    2.そして、それで終わったのではなく、そこから新しい時代が始まったことを弟子たちに教えられました。弟子たちが思い込んでいたのはイスラエル王国の完成で、その王がイエスで、自分たちも重要なポストに就くと思っていたのですが、全く違う世界が始まったことに気づいたのです。ユダヤ人だけではない、全人類に福音が宣べ伝えられる時代が来たのです。

命じた復活のイエス

都にとどまっていただく聖霊

    1.続けてイエスは、 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 と、新約聖書の時代に突入していくために語られました。 父が約束されたもの とは、聖霊です。

    2.イエスが復活されたことがわかり、聖書が成就したことも分かったのでしょうが、今までの価値観が大きく崩れてしまった弟子達です。その彼らを生き生きさせることができるのは聖霊以外にありませんでした。イエスはその聖霊に満たされるまで 都にとどまっていなさい と言われました。

    3.私たちも神を信じていなかった人生から神を信じる人生に変えられたことは弟子たちと同じように大きな価値観の変化が起こったことで驚くしかないかも知れません。しかし、聖霊をいただいているので、信仰による価値観を持つことができるようになりました。

聖霊によって宣教する

    1.イエスが弟子たちに命じられたのは世界宣教です。ユダヤ人だけのための福音かと思っていた彼らの価値観はここでも崩れます。なんとイエスの十字架と復活は全世界の人のための福音だったのですから。そして、このイエス以外に救いは無いのですから、その宣教を自分たちに任されたことを知ってまた驚いたことでしょう。イスラエル王国の重要なポストに就くどころの問題ではない、全世界の人々の救いに関わる仕事をすることになったのです。

    2.この世界宣教命令は私たちに引き継がれていることを覚えます。私たちの人生観、価値観がイエスに出会っても変わらないようでは問題なのかも知れません。イエスに出会ったということは人生観が大きく変わるものなのです。あなたも世界宣教のために派遣されている一人の弟子だからです。

★ 復活の主は今また目に見えませんが、確実に聖霊が私たちの内におられます。それも信仰の世界です。このお方によって私たちの生き方が確実なものになります。イエスの