あなたを招くイエスを招く

礼拝メッセージ

2025/5/11 礼拝説教
【テーマ】  罪人を招くイエス
【説教題】 「あなたを招くイエスを招く」
【聖書箇所】 マルコ2:13-17
【説教者】藤井敬朗牧師

2:13 イエスはまた湖のほとりへ出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。
2:14 イエスは道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。
2:15 それからイエスは、レビの家で食卓に着かれた。取税人たちや罪人たちも大勢、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。大勢の人々がいて、イエスに従っていたのである。
2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと一緒に食事をしているのを見て、弟子たちに言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか。」
2:17 これを聞いて、イエスは彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
マルコ2:13-17

○ 今日はこの後、聖餐式を行います。今日のテキストにはレビ(マタイ)がイエスを食事に招く場面です。イエスと共に食事ができるのは何と幸いでしょう。私たちもランチの時、皆さんと一緒に食事をすると楽しいものです。そこにも見えないけれどイエスはおられます。

あなたを招くイエスを招く

イエスが来られた目的

イエスは罪人を招くために来られた

    1.たくさんの病人を癒されたイエスは 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です」 と言われました。しかし、イエスは医者としておいでになったのではありません。

    2.ここにイエスのおいでになった目的がはっきり語られています。イエスは 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」 と言われています。マルコ2:1-12に登場した中風の人はイエスから「あなたの罪は赦されました」と言われているのです。イエスは罪人を招くために来られました。

人々には罪の認識がない

    1.イエスは罪人を招くために来られたのですが、どれほどの人が「自分は罪人だ」と自覚しているでしょうか? 当時の人々もイエスの癒しの業に惹きつけられて集まって来て奇跡を見たいとか、病気を癒してほしいとかで集まったようです。

    2. 2:16 パリサイ派の律法学者たち もそこに来ていますが、律法に詳しい彼らは罪を認識していたでしょうか? いや、むしろ、自分には罪は無いと思っていたのです。彼らには知識がありましたが、自分を正当化するために用いました。ここにさらに罪があるのです。イエスはそういう律法学者にこそ罪を認め、責められました。

イエスが招く人

レビを招かれた

    1.イエスは湖のほとりに行かれました。人々が詰めかけて一日中語られ、疲れたので休むためであったのかも知れません。 すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。 と、休む間もなく、またお話しになっています。

    2.そこで、レビ(マタイ)を招かれました。彼はザアカイと同じ取税人です。取税人はユダヤ人でありながらローマのために税を取り立てる人で、ユダヤ人からは売国奴のようにして嫌われていました。

    3.レビは取税人でもザアカイのように地位の高い人ではなかったでしょう。現場で働いています。ユダヤ人が「取税人は汚れている」と言うのは、異邦人と触れ、外国のお金を触るので汚れていると言うのです。イエスが招かれたのはこうした人々でした。イエスのこうした招きが無ければ、私たちもまた招かれることは無かったでしょう。

罪の自覚がある人

    1.律法学者というユダヤのラビは、汚れた人、罪人から離れるものです。しかし、ラビと言われたイエスは積極的にそういう人のところに行き、声をかけ、自分の元に引き寄せられたのです。律法学者には理解できないことでした。

    2.一体汚れている人とは誰のことでしょうか? 神の目から見ればすべての人間が汚れているはずです。しかし、招きに応えることができるのは、自分がやはり汚れていることを心の奥で認識し、罪を自覚している人です。

イエスを招く人

招かれた者が招く

    1.レビを招かれたイエスが行かれたところはレビの家でした。招いた方が招かれた方の家に行って食事をされるのです。当時、旅をしている説教者は自分の教えを受け入れた人の家に招かれて食事をするのが通例でした。

    2.イエスがレビを招かれたのですが、レビはイエスの教えを受け入れて、イエスを自分の内に招き入れたのです。イエスは「罪人を招くために来た」のですが、「罪人に招かれるために来た」のでもあるのです。

イエスが共にいることの喜び

    1.ドイツの古い食前の祈りに「主よ、来て下さい。私たちのお客になってください。そして、あなたが与えて下さったものをここで祝福して下さいますように。アーメン」というものがあります。

    2.イエスを招いたところには祝福があるのです。レビもイエスを招いたことでイエスに招かれた喜びを持ったのではないでしょうか。イエスと一緒にいることを喜んだはずです。

● 今日、私たちは聖餐式に招かれています。イエスと共にこの食事の時をもちましょう。

★ イエスは罪人を招くために来られたのですから、「イエスは私を招くために来られた」と自覚しているでしょうか? 自覚して、イエスの招きにに答えましょう。そして、イエスを自分のうちに招いてください。