教会が生み出される直前
2025/6/1 礼拝説教
【テーマ】 ペンテコステ直前
【説教題】 「教会が生み出される直前」
【聖書箇所】 ルカ24:46-53
【説教者】藤井敬朗牧師
24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
24:48 あなたがたは、これらのことの証人となります。
24:49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
24:50 それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。
24:51 そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。
24:52 彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、
24:53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。
ルカ24:46-53
○ 来週はペンテコステ。クリスマス、イースターと共に教会では大事な日です。2000年ほど前、イエスが復活されて天に帰られましたが、その後10日たってペンテコステというユダヤの祭がありました。その日に、約束通り、聖霊なる神が弟子たちに降りました。そこからキリスト教会が始まったのです。いわゆる教会の誕生日です。その記念すべきペンテコステの日が来週の日曜日になります。
40日間
イエスの復活の現実を味わった弟子達
1.復活されたイエスは40日間、あちこちで弟子達に現れ、500人ほどの弟子達が復活のイエスの証人となりました。イエスは戸を閉めて隠れていた弟子達の所に来られて、その復活の姿を見せ、さわらせて実際に復活したことを示されました。また魚を食べて幽霊ではないことも示されました(ルカ24:39-43)。
2.この弟子達の中には復活を疑ったトマスがいました。トマスに現れたイエスは「さわってみなさい」と言われたのです。また、エマオ途上で復活のイエスと会った弟子達も急いでエルサレムの弟子達の所に戻っています。エルサレムに集まった弟子集団は口々にイエスの復活を語り合いました。
3.復活のイエスと共にいた40日間は弟子達にとってどんな時間となったのでしょうか? 私が分からないのは40日間に5、6回あった安息日にイエスはどこにおられたのかということです。普通、ユダヤ人はみんな安息日には会堂に集まって礼拝します。そこにイエスはおられたのなら弟子達だけではなく多くの人がイエスを見たことになるのですが、そういう表現はありません。40日間、イエスと弟子達だけの場所があったのでしょうか?
弟子達の40日セミナー
1.この40日の間に弟子達は信仰が確立してきたのは事実でしょう。ただ復活のイエスを見た、さわっただけでは信仰は確立しません。彼らはイエスから聖書を解き明かしていただいたのです。もしかするとそれが彼らの礼拝の時であったかも知れません。毎日が礼拝だったのかも知れません。
2.弟子達はイエスがダビデのような王になると勘違いして信じ込んでいましたから、この40日間のセミナー(?)は彼らがイエスを正しく理解し、信じるための大切な時間となったのでしょう。
ベタニアの近くオリーブ山
オリーブ山での祝福
1.そうして40日が過ぎると、 イエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き と、ベタニア近くのオリーブ山に弟子達を連れて行かれました。ルカ福音書では ベタニアの近く とあり、使徒の働きでは オリーブという山(使徒1:12) とあります。ベタニア近くのオリーブ山ということです。ここからイエスは天に帰られました。
2.また、 手を上げて祝福された。 とありますが、「祝福」とは何でしょう? 私たちも「祝福を祈ります」とよく使う言葉で、とても良い言葉です。聖書辞典には「神の愛による恵みを与えられること」とあります。もう少し詳しく解説してある分には「神の祝福は,必ずある「変化」をもたらしているということである.そのおもなものは,数量的に増えること,力が与えられること,必要な物が備えられること,生きる使命や任務が与えられること,きよめられること,他の人に神の恵みを分け与えることなどである.聖書的な意味での祝福とは,以上のような内容であって,単に自己満足的な豊かさや平安を意味するのでなく,それ以上のものである. なお,いくつかの例では,神に感謝してほめたたえることも「祝福」を意味する語が用いられている(詩103:1,マタ26:26).」とあります。
イエスの祝福は共にいること
1. 24:51 そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた と、あります。この時のイエスの祝福は、パンが増やされるとか、病気が癒やされるとかいうようなその場で何かが即座に与えられたわけではありません。しかし、彼らはここから将来にわたって神の御心に沿った生き方をしていきます。人間ですからもちろん失敗や弱さはあります。それをわかっておられる神はそこにも働きかけて恵みをくださるのです。
2. 彼らから離れて行き、天に上げられた と、ありますが、こんな言葉からは私たち人間なら、死んでしまって、いなくなってしまうという何か悲しいさみしいものを感じます。葬儀はお別れの儀式ですが、それはこの人はもういなくなったのだということを確認する時でもあるのです。しかし、弟子達はイエスが生きておられることをしっかり確認したのでどんなに喜んだことでしょう。この別れは悲しみでも寂しさでもありません。イエスはその後も共におられるのです。これこそ祝福でしょう。
聖霊の住まいが用意される
エルサレムに集まった
1.イエスが今なお生きておられることを確信した弟子達は喜びと共にエルサレムに帰っていきました。 24:52 彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、24:53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。 とあるのです。この復活し昇天されたイエスを礼拝したのです。私たちも同じではないでしょうか? 目には見えていませんが、生きておられるイエスを私たちは礼拝しているのです。
2. 24:53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。 イエスが天に帰られてからも彼らは 24:49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 と言われたことを守りました。神は遍在、聖霊ももちろん遍在ですから、弟子達は一つところにいなくても聖霊に満たされるはずです。でも、イエスは彼らを集めておかれました。
真の神殿のために
1.そしてペンテコステの日に聖霊は降り、彼らは聖霊に満たされたのです。120名ほどの弟子達がいたと言われています。みんながあちこちにいても聖霊は働かれますが、この日に神は教会を生み出そうとされていたのです。バラバラでは教会ではないのです。
2.神殿のあるエルサレムに戻った弟子達。かつてイエスはこの神殿の礼拝が心を失っているのをご覧になり暴れられたことがあります。この神殿ではなく、聖霊が住まれる神殿が生み出されようとしています。エルサレムに、神殿ではなく教会が生み出されようとしています。
★ 弟子達が復活のイエスと共にいたことが祝福であったように、私たちも聖霊を通して、いつもイエスと共にいるという祝福をいただいています。本当に感謝です。弟子達の40日セミナーが本当の弟子となるときであったように、私たちもイエスと共にあって、聖書から学び、弟子へと成熟していきましょう。
Posted by shinnakano
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