どんな罪も赦される、が・・

礼拝メッセージ

2025/7/27 礼拝説教
【テーマ】  赦されない罪
【説教題】 「どんな罪も赦される、が・・」
【聖書箇所】 マルコ3:20-30
【説教者】藤井敬朗牧師

3:20 さて、イエスは家に戻られた。すると群衆が再び集まって来たので、イエスと弟子たちは食事をする暇もなかった。
3:21 これを聞いて、イエスの身内の者たちはイエスを連れ戻しに出かけた。人々が「イエスはおかしくなった」と言っていたからである。
3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼はベルゼブルにつかれている」とか、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出している」と言っていた。
3:23 そこでイエスは彼らを呼び寄せて、たとえで語られた。「どうしてサタンがサタンを追い出せるのですか。
3:24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
3:25 もし家が内部で分裂したら、その家は立ち行きません。
3:26 もし、サタンが自らに敵対して立ち、分裂したら、立ち行かずに滅んでしまいます。
3:27 まず強い者を縛り上げなければ、だれも、強い者の家に入って、家財を略奪することはできません。縛り上げれば、その家を略奪できます。
3:28 まことに、あなたがたに言います。人の子らは、どんな罪も赦していただけます。また、どれほど神を冒涜することを言っても、赦していただけます。
3:29 しかし聖霊を冒涜する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」
3:30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは汚れた霊につかれている」と言っていたからである。
マルコ3:20-30

○ 今までに多くのクリスチャンが悩まされた聖書の言葉の一つに今日のテキスト29節があります。 3:29 しかし聖霊を冒涜する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」 「私は聖霊を冒涜していないだろうか?」と悩むわけです。どんな罪も赦されるというのに、赦されない罪があると書かれています。もし聖霊を冒涜しているなら私たちは永遠に赦されないというのです。

どんな罪も赦される、が・・

イエスを理解できない人達

休む間もないイエス

    1.突然のように活動を開始されたイエス。その働きは大変忙しいものでした。そういう中でやっと休める家に戻られたのですが、  3:20 さて、イエスは家に戻られた。すると群衆が再び集まって来たので、イエスと弟子たちは食事をする暇もなかった。 と、そこもまた大変忙しい場所となりました。イエスに癒して欲しい人たちがたくさんいたのでしょう。

    2.この家はペテロの家であったかも知れません。かつて熱病を癒されてイエスに仕えるようになったペテロの姑がいるのです。(あの姑さんは仕える人になっていましたね。)ここでも食事もできないほど忙しく、癒しを行い、福音を語られたようです。それほどイエスを求める人が多かったのです。

イエスを理解しない人たち

    1.一方、イエスが戻って来たことを知って、 3:21 これを聞いて、イエスの身内の者たちはイエスを連れ戻しに出かけた。人々が「イエスはおかしくなった」と言っていたからである。 と、噂を気にしてイエスの家族が連れ戻しに来ました。イエスを幼い時から知っている近隣の人たちからすると急に宗教活動をし、不思議を行われたので「おかしくなった」と思ったのでしょう。

    2.長く一緒に生活をしていた家族もイエスの急な変化に戸惑っています。イエスを理解できないのです。ただし後に弟ヤコブが弟子になっているように段々家族もわかってくるのです。が、初めのうちは身近な家族の方が理解しにくいのです。でも、イエスを愛している人たちです。

イエスを悪魔呼ばわりする人達

イエスを悪魔付き呼ばわりする律法学者

    1.イエスを愛していない、理解していない代表選手が律法学者です。 3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼はベルゼブルにつかれている」とか、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出している」と言っていた。 と、悪霊の親玉にイエスは支配されているかのように言うのです。彼らは何とかしてイエスを陥れたいので、悪の目で見ているから、正しい理解などできないのです。イエスを悪魔に憑かれているように言うのです。

    2.そこでイエスは内部分裂の話と家財の略奪の話から自分がベルゼブルにつかれていないことを23節~27節のたとえを用いて証明しておられます。その家の最も強い者を縛り上げればその家を略奪できるように、悪霊の親玉である悪魔(サタン)を縛り上げれば悪霊も追い出せて、その家を略奪できると言われるのです。

悪魔を縛り上げることのできるイエス

    1.イエスが悪魔に完全に打ち勝たれたから、悪霊につかれた人からも悪霊を追い出すことができるのです。人の心という家にいる悪霊を追い出すのはサタンではなく、もっと力のある者・神でしかないのです。イエスは明らかに悪霊を追い出されました。そのことは彼らも認めているのです。しかし、その力が聖霊によるものであることを信じません。残念ですが、律法学者達にはその見極めができなかったのです。聖霊の働きがわからないのです。

    2.せっかくイエスが神としての働きをされ、信じるチャンス、救われるチャンスを与えておられるのに、彼らは屁理屈をこねて信じようとしないのです。わからないならわからないで真理を追究すればいいのですが、イエスを正しく知ろうとしないのです。

イエスを信じる人達

神を冒涜しても赦されるが・・・

    1.聖霊は私たち人間と深い関係を持ってくださる神です。 3:28 まことに、あなたがたに言います。人の子らは、どんな罪も赦していただけます。また、どれほど神を冒涜することを言っても、赦していただけます。 どんな罪も赦される、どんなに神を冒涜しても赦されると言っています。すごいでしょ! しかし、そう言いながら 3:29 しかし聖霊を冒涜する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」 と、聖霊を冒涜する罪は赦されないと言っているのです。。

    2.実はこれ、ヘブル的な言い方であって、例えば 創世記2:16 神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。2:17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」 とあるように、どの木の実を食べても良いと言いながら、善悪の知識の木の実は食べてはいけないと命じられているのと同じ言い方なのです。この言い方で禁止事項を強調しています。

信じるあなたは赦されている

    1.イエスを冒涜しても赦されるのは、私たちの罪をイエスが十字架で解決してくださったことからよくわかります。イエスに悪態をついても、ペテロのようにイエスを「知らない」と言っても赦されています。しかし、そのイエスが聖霊に満ちて悪霊を追い出されているのに悪魔呼ばわりするのは、聖霊のわざを悪魔のわざだと言っていること、つまり聖霊の働きを信じていない、聖霊を受け入れないということなのです。

    2.では、クリスチャンはどうなのでしょうか? イエスを信じる者は聖霊を受け入れている人であり、聖霊ご自身がその人の内に住んでおられるので、聖霊を汚すことをしません。永遠に赦されています。ただ、イエスを信じても私たちはまだ肉に生きていますから、肉的な心で聖霊を汚さないようにと意識しすぎる人がいるのです。ですから、「私は聖霊を汚しているのではないか?」と心配するのではなく、聖霊に愛されていることを感謝して、喜んで、聖霊と親しく過ごすべきなのです。

★ イエスを信じている人、聖霊を汚していないかと心配してる人こそ赦されている人です。安心していつも聖霊に委ねた生活をしようではありませんか。私たちは神に愛されているのですから、大いに感謝しようではありませんか。