あなたの升は上向き?下向き?
2025/9/28 礼拝説教
【テーマ】 まことの光、世の光
【説教題】 「あなたの升は上向き?下向き?」
【聖書箇所】 マルコ4:21-25
【説教者】藤井敬朗牧師
4:21 イエスはまた彼らに言われた。「明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。
4:22 隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。
4:23 聞く耳があるなら、聞きなさい。」
4:24 また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。
4:25 持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられてしまうからです。」
マルコ4:21-25
○ 「明かり」からイメージするのは何でしょうか? ロウソク、ちょうちん、懐中電灯、それとも最近ではスマホのライトでしょうか?
では「升」はどうですか? 四角い升でしょうか? 当時の升はかなり大きな丸い物が多く、穀物を量るのに使われたそうです。8ℓ位入る物もあったようです。この升はランプの明かりを消すときに被せたそうです。そうすると明かり(ランプ)の火を煙を出さずに完全に消すことができるのです。
明かりはどこに置く?
明かりを持って来る目的
1. 4:21 明かりを持って来るのは というのは、原文では「灯火が来る」だそうです。もちろん誰かが運んでくるので、明かりを持って来るのは という訳にしているわけです。しかし、それは確かに暗いところに光がやって来る感じです。何かしら、暗やみの世に光であるイエスがお出でになったような感じです。神の国の到来というのはこういうように光が近づいて来ることです。
2.その明かりを 升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。 と本来の目的を語ります。燭台は部屋のやや高いところに設けられ、部屋全体を照らすのです。現代の電灯に比べたらわずかな光であったと思います。しかし、真っ暗な中にほのかな光でもあると何があるかわかるわけです。
明かりの目的を崩す働き
1. 升の下 とはランプに升を被せてしまうことで、当然光は見えません。と言うより、升を被せると灯火は消えるのです。消すために升を被せていたのです。「せっかく明かりをつけて持って来たのに、それに升を被せて消すなんてことはしないでしょ!」という話です。また、 寝台の下に置く というのは部屋を照らすことができなくて、「何のために明かりを持って来たのか意味が無いでしょ!」ということです。
2.当時のユダヤの指導者達は世の光であるイエスを殺そうとしました。その光を消そうとしました。その働きはサタンの働きです。しかし、イエスという光はそんなことで消えはしません。しかし、せっかく光り輝いても部屋を照らす働きがなされなければこれも意味がありません。イエスという光を世の光とされた私たちは掲げる必要があるのではないでしょうか。
イエスも私たちも光(明かり)
イエスはまことの光
1.イエスは世の光です。暗やみであるこの世に真の光として来られたのがイエスです。 4:22 隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。 このお方は隅々まで照らしすべての罪を暴いてしまうお方で、偽善者には嫌な光でしょうね。
2.この光であるイエスに升を被せて光を消そうとするのは当時のユダヤの指導者達でした。何しろ、彼らは民衆に神の言葉を伝える、教えるという働きをしていたのですが、「自分は正しい」という意識にありました。ところが、真の光であるイエスに彼らの罪が指摘されて腹を立てているのです。
3.そういう指導者と違ったのはニコデモでした。年を取っていたようですが、彼は真理を求めていた人でした。いわゆる求道者です。イエスの十字架の時、彼はイエス殺害派ではなく、イエスに着く者として登場しています。
私たちは世の光
1.今日のテキストと並行記事であるマタイの福音書を見るとこうあります。 マタイ5:14 あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。5:15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。 と。イエスはまことの光です。そして私たちも世の光です。
2.イエスが真の光として世に来られ、今や私たちが世の光です。私たちも升の下、寝台の下に置いてはならないということです。悪魔は私たちに升を被せて消そうとするでしょう。そうさせてはなりません。寝台の下に隠れてはいけません。
升は神の祝福を受ける
升は上向きなら受けることができる
1.升が明かりを消す道具として用いられる話でしたが、その升をイエスはこんな風にも言われました。 自分が量るその秤 とありますが、秤に使われた一つの道具が升です。これでランプの火を消すこともしましたが、升は色々な物の量を量るために使われました。明かりを消すためにはその升は下向きにして使います。物を量るときには上向きです。
2. 4:24 また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。4:25 持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられてしまうからです。」 と。今度は私たちの信仰の秤のように語られています。
山盛り入れてもらおう!
1.升が私たち、また私たちの信仰を表す言葉だとしたら、升を下向きにしていては何も入れることができません。しかし、傾けもせず、真っ直ぐ上を向けていればいっぱい入れることができます。それどころか溢れるほどに入れてもらうことだってできます。升が大きければどうでしょう? もっともっと入るではありませんか。
2.升には摺り切り一杯ちょうどで測るのが本来の量り方です。つまり一升升(いっしょうます)なら摺り切りで一升なのです。ところが、イエスの話は 自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。 というように、溢れるほどに入れてくれる、さらに升を大きな物にすれば、あるいは升を増やせばもっともっと入れてもらえるという話です。
★ 暗やみの世はまことの光を求めているのです。それがどんな光か知らないのです。まことの光はイエス・キリストです。しかし、私たちを世の光としてくださったイエスは私たちに「光り輝け!」と命じておられます。燭台の上で輝いていれば神の恵みと祝福はどんどんやって来ます。
Posted by shinnakano
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