子どものように神の国を受け入れる

礼拝メッセージ

2025/11/2 礼拝説教
【テーマ】  子どもを祝福するイエス
【説教題】 「子どものように神の国を受け入れる」
【聖書箇所】 マルコ10:13-16
【説教者】藤井敬朗牧師

10:13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
10:14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
10:15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
マルコ10:13-16

○ 子どもを祝福するのは何も教会に限ったことではありません。地域の子ども会では5月のこどもの日に子ども達にお菓子などのプレゼントをしたりしてお祝いしてくれます。神社では七五三参りがあります。教会で11月に子ども祝福式をするのもそうした七五三参りを教会でした方が良いからですが、数年前から七五三に限らず、小学生以下の子ども達を対象に祝福の祈りの時を持っています。

子どものように神の国を受け入れる

弟子達は叱った

子ども達がやって来る

    1.子ども達だけでイエスの所には来れませんから、 イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。 と親や大人が連れてきました。教会にも礼拝に子ども達が来てくれると何かしら明るい和らいだ雰囲気になります。

    2.しかし、子どもは人間として発達の初期だけに無茶なことをしたり、うるさかったり、壊したり、こぼしたり、色々大変なことをやってくれます。大人の基準からは問題だらけですので、几帳面な方達には嫌われることがあります。

弟子達は動揺していた

    1.人々はイエスの所に子ども達を連れてきたのですが、 ところが弟子たちは彼らを叱った。 と、子連れの人々を叱りました。普段のイエスを見ていれば普通そんなことをしないと思うのですが、なぜ弟子達は叱ったのでしょうか? 9:31 それは、イエスが弟子たちに教えて「人の子は人々の手に引き渡され、殺される。しかし、殺されて三日後によみがえる」と言っておられたからである。 という弟子達にはわけのわからない、気持ちが揺れ動くような話をされていたからでしょう。

    2.人は何かにいらついたりすると怒りが出てきます。弟子達はいつものイエスが言っておられることと違うことを言われ、しかも自分が殺されるというようなことを言われたのですから、弟子達も落ち着いていられず、イライラしたのかも知れません。

邪魔をしてはいけない

子どもの霊的感性

    1.何か苛立っている弟子達と違ってイエスは逆に弟子達に憤られました。こう書いてあります。 10:14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。 と。弟子達は子どもが来てイエスの邪魔をしていると思って叱ったのに、その弟子達の方が邪魔をしていると言われたのです。

    2.子ども達がイエスの話を聞いてどこまでわかるのかはもちろんわかりません。弟子達にはこういう子ども達は邪魔と感じましたが、イエスは知的にわかることよりも子ども達の霊的感性に期待されていたと思います。

良い方を選んだマリア

    1.マルタとマリアの場面でも接待もしないでイエスのそばに座り込んでイエスの話を聞こうとしているマリアに対してマルタはイエスに ルカ10:40 「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」 と言いましたが、それに対してイエスは ルカ10:41 -42「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」 と言われました。マリアの邪魔をしてはならないと言われたのです。

    2.イエスが邪魔をしてほしくないと思われるのはどういう時なのでしょうか? 子どもにとって良い選択とは何でしょう?

子どもを祝福するイエス

イエスのしたかったこと

    1.イエスは 10:16 ・・・子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。 と、弟子達の思いをはるかに超えた行動をとられました。それがイエスのなさりたいことなのです。今もそうです。

    2.十字架を間近に控えてイエスは子ども達を祝福したいと思われたのでしょう。この地上を離れて天に帰らねばならない、その前にしておきたかったことの一つではないでしょうか。

子どものようにイエスの所に来る

    1.イエスは祝福したい方なのです。それは子どもに対してもですし、誰に対してもイエスは祝福したいのです。放蕩息子のたとえなどを通してもわかるではありませんか。

    2.イエスは子どものようにイエスの所に来ることを願っておられます。イエスの名前を呼んで欲しいと思っておられます。

● 信仰の詩人八木重吉の詩です。「さて あかんぼうは なぜに あんあん あんあん なくんだろう ほんとうに うるせいよ あんあん あんあん あんあん あんあん うるさかないよ うるさかないよ よんでいるんだよ よんでいるんだよ かみさまを よんでいるんだよ みんなもよびな あんなにしつっこく よびな」と。「うるせいなー。いいかげんにして泣きやんでくれよ」と我が子にうんざりしながら、「いや待てよ。あれは神さまを呼んでいるんだ。素晴らしいなー」と八木重吉は歌ったのだそうです。彼の子どものような感性にも感動します。

★ 私達は神の子どもです。神の前に泣くことしかできないこともあるかも知れません。そのような私達神の子を抱きしめて祝福して下さるのがイエスです。