全ての人に与えられたパン

礼拝メッセージ

2026/2/22 礼拝説教
【テーマ】  弟子達が学んだこと
【説教題】 「全ての人に与えられたパン」
【聖書箇所】 マルコ6:3-44
【説教者】藤井敬朗牧師

6:30 さて、使徒たちはイエスのもとに集まり、自分たちがしたこと、教えたことを、残らずイエスに報告した。
6:31 するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。
6:32 そこで彼らは、自分たちだけで舟に乗り、寂しいところに行った。
6:33 ところが、多くの人々が、彼らが出て行くのを見てそれと気づき、どの町からもそこへ徒歩で駆けつけて、彼らよりも先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた。
6:35 そのうちに、すでに遅い時刻になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは人里離れたところで、もう遅い時刻になりました。
6:36 皆を解散させてください。そうすれば、周りの里や村に行って、自分たちで食べる物を買うことができるでしょう。」
6:37 すると、イエスは答えられた。「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい。」弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリのパンを買い、彼らに食べさせるのですか。」
6:38 イエスは彼らに言われた。「パンはいくつありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて来て言った。「五つです。それに魚が二匹あります。」
6:39 するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。
6:40 人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。
6:41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。また、二匹の魚も皆に分けられた。
6:42 彼らはみな、食べて満腹した。
6:43 そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。
6:44 パンを食べたのは、男が五千人であった。
マルコ6:30-44


○ 聖書には多くの奇跡物語が書かれています。中でも新約聖書のイエスが行われた奇跡は目を見張るものがたくさんあります。今日のテキストもその一つですが、「5000人の給食」と言われる5つのパンが大量に増えるという奇跡は面白いですが、どのように増えたのかまさに謎です。カナの婚礼で水をぶどう酒に変えるという奇跡を行われましたが、これは分量的には同じだったのですが、このパンの奇跡はどのように増えたのか本当に謎だらけです。

全ての人に与えられたパン

全ての福音書に書かれている

全ての福音書に書かれている奇跡

    1.福音書は4つありますが、4つ共にこの奇跡を書き記しています。イエスの誕生物語はマタイとルカだけなのに、このパンの奇跡は4つ共にあるというのですから、四人の福音書記者が皆大事なこととして書き記したわけです。

    2.そして、マルコの福音書8章とマタイの福音書15章には、この「5000人の給食」と言われる話ともう一つ同じような話「4000人の給食」のことが書かれています。二人の記者が同じような奇跡を二つも書くのですから、この奇跡は何か特別な意味をもつのではないでしょうか?

全ての福音書に書かれている十字架と復活

    1.4つの福音書が全部書いているのは他にイエスの十字架と復活があります。ただ、それぞれに書き方・内容にいくらかの違いがあるので、彼らは独自の情報を取り入れて書いたと思われます。ですから、4福音書をあわせてみることで十字架と復活の話が立体的に見えてきます。

    2.十字架と復活は福音書として一番大事なところです。イエスの誕生が大事ではないということではありませんが、十字架と復活こそが私達みんなの救いに関する大事なことです。それが実現するためにはイエスは神であること、しかし人であることを示す必要がありました。4つの福音書からそれがわかるのです。

全ての人の救い主イエス・キリスト

全ての人が満腹になった

    1.イエスはご自分が聖書に約束された救い主であることを示すために、病人を癒したり、時には死人を生き返らせたりしてこられました。もちろんそれは苦しんでいる人を助けるためであったので、奇跡の多くは緊急性があったわけです。ところが、今日のテキストではそんな緊急性を感じないと思うのです。

    2.ここに集まった人たちはイエスの話を聞きたくて、また業を見たくて集まっています。そして、時間も遅くなったので、弟子達は皆を解散させるように提案するのですが、そこで、イエスがみんなに食べ物を提供するように言われました。それは男も女も子どももみんなです。そして、みんなを満腹させられたのです。

全ての人に救いは与えられる

    1.イエスの奇跡にはカナの婚礼の場合も緊急性があると言えばあったのですが、人の命に関わるような話ではありません。舟が嵐に遭ったときに嵐を静められたこと、また嵐の湖の上を歩いて弟子達の舟に行き、嵐を静めたのは確かに弟子達を危険から守るためと言えますが、それだけではなさそうですね。

    2.今日のテキスト、パンの奇跡は何のためでしょうか? ここに集まってきた人というのはそういう緊急性が無いと思いますが、みんなにイエスは凄く不思議なことを見せたわけです。この大勢の人達が事実食べて満腹しました。たった5つのパンからです。これはみんなが等しくイエスの救いをいただけることを示しているのではないでしょうか? さらにみんなでイエス様の分け与えたパンを食べたことは後の聖餐の度に思いだした奇蹟かもしれません。

弟子達はイエスの訓練を受けた

休む間もなくなった弟子達

    1.この箇所、30-34節を見ると、弟子達があちこちで福音を語り、悪霊を追い出し、癒しを行ってきた、そのすばらしい報告をした後のことで、弟子達の疲れを取るためにひとけの無いところで休むように仕向けられたのですが、イエスの動きを知った民衆がそこに押し寄せてきて、結果的に休む間もなかったのです。

    2.やっと民衆を解散させて自分たちも休息を取ることができると思ったのに、イエスは民衆に食べ物を提供するように弟子達に言われたのです。男だけで5000人。女・子どもを入れれば1万人は優に超えたかも知れません。そんな大人数に食事を与えることなどできるわけがありません。本当に大変な事態です。

イエス・キリストの名によって

    1.「私達も休むことなく主のために働け」ということでしょうか? そうは思えませんが、弟子達の訓練であったと思うのです。彼らはいずれイエスの名によって祈るようになるのです(私達も同じです)。弟子達は信仰によって何をすることが大事なのかがわかるように訓練されているのではないでしょうか。

    2.イエスは 6:37 「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい。」 と言われましたが、そんなことができないことはわかっておられたはずです。後に、ペテロは 使徒3:6 「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 と言って、足の不自由な人を歩かせました。彼はイエス・キリストの名をいただいたのです。持っているのです。

● 弟子達はこのパンの奇跡を通して全ての人にイエスの愛が届けられることを学んだのではないでしょうか? そしてペンテコステ以後、彼らは異邦人も救われることを実体験していきます。未来を見ておられたイエスは弟子達が全ての人に福音を伝えるための訓練をされていたのではないでしょうか。

★ 私達もペテロと同じくイエス・キリストの名をいただいたのではないでしょうか? 彼と同じことができるというのではありません。私達も聖霊をいただいたのです。パンを食べて満腹した人々のように私達は聖霊をいただいて満ち溢れているのです。

□ この奇蹟をあなたはどう思いますか?

□ 残ったパンは幾つのかごにいっぱい集められましたか?

□ その後、そのパンをどうしたと思いますか?

□ あなたはパンをいただいた一人ですか?