パンのことを理解したか

礼拝メッセージ

2026/3/8 礼拝説教
【テーマ】  本当に大事なのは「救い」
【説教題】 「パンのことを理解したか」
【聖書箇所】 マルコ6:45-56
【説教者】藤井敬朗牧師

6:45 それからすぐに、イエスは弟子たちを無理やり舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダに先に行かせて、その間に、ご自分は群衆を解散させておられた。
6:46 そして彼らに別れを告げると、祈るために山に向かわれた。
6:47 夕方になったとき、舟は湖の真ん中にあり、イエスだけが陸地におられた。
6:48 イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て、夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らのところへ行かれた。そばを通り過ぎるおつもりであった。
6:49 しかし、イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは、幽霊だと思い、叫び声をあげた。
6:50 みなイエスを見ておびえてしまったのである。そこで、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
6:51 そして、彼らのいる舟に乗り込まれると、風はやんだ。弟子たちは心の中で非常に驚いた。
6:52 彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。
6:53 それから、彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着き、舟をつないだ。
6:54 彼らが舟から上がると、人々はすぐにイエスだと気がついた。
6:55 そしてその地方の中を走り回り、どこでもイエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運び始めた。
6:56 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、人々は病人たちを広場に寝かせ、せめて、衣の房にでもさわらせてやってくださいと懇願した。そして、さわった人たちはみな癒やされた。
マルコ6:45-56

○ 先週語った所ですが、先週はウエルカムサンデーでしたので、イエスが自然を支配できる、病を癒すことができる神で、最も大事なのは魂の癒しであること、イエスは全ての人を愛していることを中心に語りました。今日は別の観点で見てみます。

パンのことを理解したか

そばを通り過ぎるおつもりであった

イエスが群衆を解散させた

    1.この事件の前は、あのパンを大量に増やす奇跡を行われた話です。その前に弟子達が大きな働きをしてきたので、イエスは彼らを休ませようとして人けの無いところに送ったのですが、大勢の人が詰めかけてきて休めなかったのです。それでまた、舟に乗って群衆から離れたのですが、舟の中でこの嵐に遭い、とても休むどころの話ではなくなりました。

    2.今回 6:45 それからすぐに、イエスは弟子たちを無理やり舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダに先に行かせて、その間に、ご自分は群衆を解散させておられた。 と、弟子達を無理やり舟に乗せて、自分一人で群衆を解散させたのです。本来はそういう仕事は弟子達の仕事です。しかし、弟子達を急いで舟に乗せて、ご自分で解散させておられます。一緒に舟に乗り込まないのは、次に起こることをすでに予測しておられたようにも思えます。

イエスは歩いて向こう岸へ行こうとされた

    1.その後、弟子達の舟が強風で困っている時にイエスは湖の上を歩いて来られました。弟子達を助けるためでしょうか? なんと 6:48 イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て、夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らのところへ行かれた。そばを通り過ぎるおつもりであった。 と、舟に乗り込むのではなく通り過ぎるつもりだったというのです。

    2.そこで、気になる聖書箇所を見ます。 出33:22 わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておく。 そして、 34:6 【主】は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。「【主】、【主】は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、34:7 恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。 というところと重なります。つまり、聖書に語られている神であるイエスが通り過ぎることを弟子達に表されたのではないでしょうか?

わたしだ

エゴー エイミ

    1.そして通り過ぎるつもりのイエスが舟の中の弟子達に語られたのが 「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」 です。この わたしだ は原語「Ἐγὼ εἰμί」というギリシャ語で「わたしは~である」「わたしはいる」という意味で、ヨハネの福音書でもイエスが自分のことを指して用いられる言葉です。

    2.これがまたまた、出エジプト記にある言葉です。 3:13 モーセは神に言った。「今、私がイスラエルの子らのところに行き、『あなたがたの父祖の神が、あなたがたのもとに私を遣わされた』と言えば、彼らは『その名は何か』と私に聞くでしょう。私は彼らに何と答えればよいのでしょうか。」 3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」 と、神の名前を問われた時に、神が御自身のことを言われたところです。

イエスから目を離さない

    1.さてこのイエスが 「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」 と言われた後、ペテロの言葉がマタイの福音書のペテロの話を見ると 14:28 「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。 すると、14:29 イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。 とあります。ペテロは自分の思いだけで踏み出したのではありません。イエスに命じていただいて 「来なさい」 との言葉を聞いたので歩み出したのです。彼も湖の上を歩けました。

    2. 14:30 ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。14:31 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」 と、せっかく歩けたのに彼は沈みかけたのです。イエスから目を離し強風を見たからです。しかし、 「主よ、助けてください」 と言うことでイエスの手が伸びました。イエスから目を離さないことが大事ですが、もし沈みかけたら、ペテロのように助けを求めましょう。

パンのことを理解せず

群衆も弟子達も勘違いしていた

    1.男だけで5000人もイエスの所にやって来たことでユダヤの指導者は大変気になったと思います。ローマの兵隊も危機感を覚えたでしょう。イエスがユダヤの王として担ぎ上げられてローマに反旗を翻すことでもあれば大変です。何しろ群衆はイエスがユダヤの王となると信じて集まったのです。5000人の兵隊が準備できたと思われたら兵士達も黙っていません。ですから、イエスご自身が群衆を解散させたことで、もしローマの兵隊がこれを見ていたら、ホッとしたかもしれません。

    2.しかし、イエスは彼らを羊飼いのいない羊と感じ、哀れみ深く接し、緑の草原で御自身というパンを与え、平和の王、真の羊飼いであることを示しておられるのです。人々にはわからないのですが、イエスは十字架で身代わりとなり、みんなにいのちのパンを与えるために来られたことを示しておられるのではないでしょうか?

弟子達はいつ理解したのか?

    1.そこで、舟の弟子達ですが、 6:52 彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。 と、弟子達も実は群衆と同じく、イエスこそユダヤの王となる方と思い込んでいたのです。ですから、彼らもあのパンのことを理解していないのです。いったいいつ弟子達は理解できたのでしょうか? 復活のイエスを見た時でしょうか?

    2.ペンテコステの日のあの特別な出来事から彼らは大きく変化し始めました。もうイエスが王となってローマ帝国から独立したイスラエル王国を再建することは考えになくなっていたでしょう。つまり、イエスの真の願いである人々の救いを伝えることに弟子達も専念するのです。

★ 私達はイエスの真の願いを知っているでしょうか? パンのことを理解しなかった弟子達のように勘違いしていることはないでしょうか? 私達の願いをかなえてくれる神というより、私達を救う神・イエスです。イエスの願いは人々の救いです。

□イエスはなぜ弟子達の舟を通り過ぎるつもりだったのでしょうか?
□「エゴー エイミ」とはどういう意味ですか?
□今日の話であなたは何を感じましたか?
□あなたの決心は何ですか?