なぜ、手を洗わないのか!

礼拝メッセージ

2026/3/15 礼拝説教
【テーマ】  神の律法と人の律法
【説教題】 「なぜ、手を洗わないのか!」
【聖書箇所】 マルコ7:1-13

7:1 さて、パリサイ人たちと、エルサレムから来た何人かの律法学者たちが、イエスのもとに集まった。
7:2 彼らは、イエスの弟子のうちのある者たちが、汚れた手で、すなわち、洗っていない手でパンを食べているのを見た。
7:3 パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わずに食事をすることはなく、
7:4 市場から戻ったときは、からだをきよめてからでないと食べることをしなかった。ほかにも、杯、水差し、銅器や寝台を洗いきよめることなど、受け継いで堅く守っていることが、たくさんあったのである。
7:5 パリサイ人たちと律法学者たちはイエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えによって歩まず、汚れた手でパンを食べるのですか。」
7:6 イエスは彼らに言われた。「イザヤは、あなたがた偽善者について見事に預言し、こう書いています。『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
7:7 彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。』
7:8 あなたがたは神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っているのです。」
7:9 またイエスは言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを保つために、見事に神の戒めをないがしろにしています。
7:10 モーセは、『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない』と言いました。
7:11 それなのに、あなたがたは、『もし人が、父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は、コルバン(すなわち、ささげ物)です、と言うなら──』と言って、
7:12 その人が、父または母のために、何もしないようにさせています。
7:13 このようにしてあなたがたは、自分たちに伝えられた言い伝えによって、神のことばを無にしています。そして、これと同じようなことを、たくさん行っているのです。」
マルコ7:1-13

○ 子どもセンターで子ども達におやつやお弁当などの時間に手を洗わせます。 7:2 イエスの弟子のうちのある者たちが、汚れた手で、すなわち、洗っていない手でパンを食べている とあるのを見ると、子どもセンターの保育士からは叱られてしまいますね。果たして律法学者も同じように叱ったのでしょうか?

律法学者の質問

宗教上の問題として訴えた

    1.弟子たちは外から帰ってきたのに、手を洗わないでパンを食べました。この事を見ていた律法の専門家はイエスにそのことを訴えたのです。それは衛生上の問題として訴えたのではありません。宗教上の理由からです。旧約聖書では祭司達が身を洗い清めて儀式を行わねばなりませんでした。神社に行くと清めの水がありますね。似ています。

    2. 市場から戻ったときは、からだをきよめてからでないと食べることをしなかった。 というのは、市場では異邦人のさわったお金などがあり、異邦人の触れたものは汚れていると思っていたからです。そういうことから始まったのですが、いつしか、手を洗わないこと自体が罪だ、となっていったのです。

律法に違反しているとして訴えた

    1. レビ20:26 あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。【主】であるわたしが聖だからである。 とあるので、律法学者やパリサイ人達は人々を「聖なる者」にするために必死になったわけです。それ自体は良いことだったと思いますが、いつしか、自分たちの作った律法と神からの律法がごっちゃになって本質を見失ってしまいました。

    2.そこで、律法の専門家は習慣化した自分たちの律法から判断して、イエスを訴えています。「神の教師と言われるイエスが、弟子たちの汚れを見逃すとは何事だ!」というようなものです。ここでも安息日問題と同じく、イエスが律法違反していると言いたいのです。何かしらイエスを訴える材料を探しているのです。

イエスの答

神の戒めを捨てている

    1.イエスは彼らに対して何と言われたかというと、イザヤ書から 『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。』 を引用して 7:8 あなたがたは神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っているのです。 と、言われました。

    2.そして、具体的な例として10節からのコルバンというささげ物を通して教えておられます。当時は現代のように年金制度などが無かったために、年をとって動けなくなったりすると家族に支えてもらうしかなかったので、子どもは自分の持ち物を親に差し出すことがありました。しかし、『もし人が、父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は、コルバン(すなわち、ささげ物)です、と言うなら──』 と、神に献げたものは親に渡さなくてよいとされたことを利用して、親に渡さず、自分の良いようにしていたというのです。

    3.十戒の「父と母を敬え」は実行しなければなりませんが、神こそ優先されます。ですから、コルバンのことを利用して、わざと神に献げると約束して、合法的に親をないがしろにしたというわけです。

神の戒めをないがしろにしている

    1. 7:9 またイエスは言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを保つために、見事に神の戒めをないがしろにしています。 コルバンのことは一例であって、パリサイ人達が作った律法はたくさんありました。そしてそれを守らないと神を愛していないのだと教えてきました。神の子であるイエスにはそれが神のみこころに反していることがとても辛かったのです。

    2.ユダヤの教師達は自分たちの作った決まりが神の律法にかなっており、神に喜ばれるものと勘違いして、自分たちの作った決まり(言い伝え)を堅く守るように指導してきました。その結果、 見事に神の戒めをないがしろにして しまったわけです。

律法の本質は何か?

人の律法が慣習化してしまった

    1.パリサイ人、律法学者というのは律法の専門家ですが、何の律法の専門家かというと自分たちで作り上げてきた人の律法の専門家になっていたのです。本来、彼らは神の律法の専門家でなければならなかったのですが、神の律法を守るためにあまりにも多くの律法を作ってしまい、その細かいことに神経をとがらせていたのです。

    2.そのために人々はその細かな規定を守らないと罪人扱いされるので一所懸命守るようにしたのでしょう。その姿がイエスには羊飼いのいない羊に見えたのです。日本にも色々な慣習があります。町内挙げて神社の祭に参加させられたり、神輿を担がされたり、葬儀では焼香をしないと責められたりします。なんかパリサイ人達のそれと似ていませんか?

律法の完成者が言うことは・・・

    1.手を洗わないで食べることはパリサイ人達には罪であり、死に至るものと考えたのです。しかし、イエスは律法によらない、恵みによる救いをくださいました。十字架による救いです。「律法を守らないと御国に入れない」と、パリサイ人達は言うのですが、イエスは「私を信じる者は御国に入れる」と言われるのです。

    2.イエスは神の律法の本質を語られました。確かに旧約聖書は厳しい律法がたくさん書かれています。それを守らなかった人達が死にました。しかし、旧約聖書の本質はその律法の完成者である救い主を信じることが神のみこころだと教え、その完成者がイエスであることをイエスご自身が語っておられるのです。

● コロナの時はあちこちで「手をアルコール消毒してください」と言われました。教会も玄関、サロンにアルコールを置いて手を消毒していただきました。これが決まりになっていたのです。でも宗教的律法ではありません。

★ 私たちは神の思いに意識がいっているでしょうか? 人の言い伝え、思い込みが優先されて神の思いを見逃してしまっていることはないでしょうか? 最も大事なことに心を向けたいものです。

□パリサイ人、律法学者は何を問題にしましたか?
□一方、イエスは何が問題だと言われましたか?
□今日の話からあなたは何がわかりましたか?
□あなたの決心は何ですか?