初めて知ったDCD

初めて知ったDCD

子育て通信

HSC

  最近、「HSC」「敏感っ子」という言葉がよく聞かれるようになりました。しかし、発達障害とどこが違うのかわかりにくかったり、どのような子育てが良いのか、大人になったらどうなのか? 等々わからないことが多いものです。正直なところ、私もよくわかっていないのです。
  わかっていないものの、チェックリストをやってみると私の子ども時代はHSCだったことがわかります。今もHSP(Highly Sensitive Person 人一倍繊細な気質をもって生まれた人)です。そのために生き辛さを感じてきたことがありました。
  私は不登校の子どもや辛い気持ちを抱えている子どもの気持ちが直感的に比較的よくわかるのですが、それは私がHSPのためだからのようです。

HSCだけど変化した

  子どもの頃、もちろんHSCという言葉は知らなかったですが、私は中学生になって、自分が変わりたいと思いました。しかし、そう簡単に変われるものではありません。
  HSCの私は人前ではっきりと発言できなかったし、歌ったりもできませんでした。音楽は嫌いでした。歌えなかったし、楽器もできませんでした。未だにリズムは取れませんし、音痴です。ところが、音楽に全く興味のなかった私、音楽の授業が苦痛だった私が音楽を好きになりました。それは音楽の先生のおかげでした。下手でも、間違っても、声が出なくても全く叱らない先生で、それどころかいつもニコニコしておられるのです。要はこの先生が好きになったということです。
  それと美術の先生です。作品のどこかに良いところを見つけてくださって誉めてくださるのです。この先生もいつもニコニコしておられました。お陰で美術が好きになりました。何度か掲示板に絵を張り出してくださったので自信もついたと思います。が、美術を専攻できるほどではありませんでした。
  理科の先生も3年間3人の別々の先生だったのですが、みんなニコニコしておられる先生でした。お陰で理科が好きになりました。でも、私は理系の人間では無かったみたいで高校で物理と化学で挫折してしまいました。
  高校では数学の先生がニコニコの先生でした。お陰で数学が好きになりましたが、数Ⅲで挫折。
  つまり、私はそんなに頭が良くないということです。そんな私が勉強を嫌いにならなかったのはこういう先生方のお陰でしょう。そして、恥ずかしがりで、引っ込み思案の、おとなしい私をかなり変えてくださったのはこういう先生方でした。本当に感謝です。

HSCを知った日

  HSC、HSPを知って、自分のしんどさはこんなところにあったのかと知ったときは何かホッとしました。
  そのきっかけはある男の子のことで相談に来られたお母さんからでした。何度も相談を受けていたのですが、その男の子はなかなか難しい子で、不登校気味でした。
  お母さんと共にその子に対する関わり方を考えていたある日、そのお母さんが「ひといちばい敏感な子」という本を持って来てくださいました。お母さんは「これを読んで、私の子はこれだと思ったんです」と言われるので、私もその本を買って読みました。「なるほど」という思いと、「私もこれだ」とわかったのです。

DCD

  発達障害をかかえる子どもが増えているという話と実感、自ずと発達障害のことを調べていました。
  自閉症スペクトラム(ASD)、注意欠陥多動性障害(AD・HD)、学習障害(LD)という発達障害の他、知的障害、精神障害があり、さらに身体障害、染色体異常による障害もあります。そしてそれらを複合的に持つ子どもの大変さも見てきました。
  そして、●●障害と言えるほどでもないというグレーゾーンの子ども達、調べれば調べるほど、みんな違うのだということに辿り着き、どういう子育て、保育、教育が良いのか本当に考えさせられます。
  そんな中、本屋さんでいつものように本を見ていたら、「DCD」という本を見つけました。聞いたことのない障害だと手に取ってみました。「発達性協調運動障害」というのだそうです。「知られざる発達障害」「生きづらさを軽くするために」「なわとびがとべない、ボタンがとめられない、逆上がりができない」「不器用すぎる子どもを支えるヒント」と表紙に書かれていました。

DCD NHK情報

  ネットの「NHK福祉情報サイトハートネット」にはこのように書いてあります。

 「靴ひもがうまく結べない」「つまずくものがないのに、よく転ぶ」など、人並み外れて不器用な子ども、極端に運動の苦手な子どもが小学校のクラスに数人はいます。これまでは、過保護な育て方や運動不足、練習不足が原因だと思われたり、理由がわからないまま対応に苦慮されたりしていましたが、実は、このような子どもたちは、発達障害のひとつである「発達性協調運動障害(DCD =Developmental Coordination Disorder)」である可能性が知られるようになりました。

  また、別のところには

  発達性協調運動障害(DCD)ってなに?
人並み外れて不器用な子、極端に運動の苦手な子…『発達性協調運動障害(DCD)』かもしれません。DCDは、身体機能に問題がないにも関わらず、協調運動に困難さが見られる障害です。
  はしやはさみを使う、ボタンをとめる、ひもを結ぶなど…指先をつかうのが苦手
 縄跳びが飛べない、階段の昇り降りがぎこちない、など…身体を動かすのが苦手
  DCDの頻度は約 6 〜 10%小学校の30人学級ならクラスに2、3人はいる計算になります。

 と、ありました。

「障害」は障害なのか?

  私が大学で障害児教育(今の支援教育)を学んだ50年ほど前は「自閉症」という言葉が出始めた頃で、「発達障害」という言葉はありませんでした。自閉症も「親の育て方が悪いから」と言われた時代です。それが数年後には育て方の問題ではなく、脳の障害であると言われるようになりました。
  その後、だいぶ経って「発達障害」という言葉が出て、今や定着していますが、脳の研究が進んできたからこそわかってきたのかも知れません。「障害」と名付けられてきたことが「個性」と捉える動きもあります。
  また、支援教育、療育が進んだお陰で色々なタイプの子ども達が発達の遅れを取り戻しつつあるのは嬉しいことです
  それでも障害や病気で悩む親子は多いです。さらにどうすると生きづらさが減らせるのか、生き生きと生活できるのか探し求めたいです。

神のわざがあらわれるため

  聖書にこんな話があります。

 さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。

ヨハネの福音書9:1-3

  この話は視覚障害のある方に対して当時の考え方だった「この人の罪か家族の罪、先祖の罪の結果で目が見えなくなったんだ」と人々が心無い言葉を語るのですが、イエス・キリストは「そうじゃない。神のわざ(栄光)が現れるためだ」と言って、この人を癒されます。

  このイエス・キリストの到来によって人々にも大きく変化が起こりました。現代では、障害を持つ方、病気の方々も治らずともイエス・キリストによって心に喜びを持ち、生きがいを持っておられる方がたくさんおられます。これも神のわざの現れです。

子育て通信

Posted by shinnakano