特別なメジャーを使用している
子育て通信

特別なメジャーを使用している

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膝をやってしまった!

  今回の膝の痛みはなかなか治りません。コロナの始まった2020年3月10日午前、雨の日、杉並区年金事務所に年金申請のために行きました。電話、ネットで予約しようとしたのですが、全く繋がらないので、直接行きました。するとものすごく混んでいて、電話もネットもそれで繋がらなかったらしいです。「5時間以上待ってもらうと思います」と言われたため、一度家に帰って午後に再度出かけました。
  再出発してマンションの玄関を出た所で、傘を差したとたんスルッと靴が滑ってしまい前に転んでしまいました。もう片方の足がスッと出なかったのがとてもショックでした(年をとったのだと感じました。年金手続きの日だけに笑いそうでした)。その時に膝を打ってしまい、痛いし、傘は折れて指何本かに切り傷をおってしまいました。

  家に戻って絆創膏を貼って出直しましたら、年金事務所で30分ほど待ったところで名前を呼んでいただけました。窓口はたくさんあるのですが、すごい混み具合で、しかも手続きも結構色々あって私一人でも1時間近くかかってしまいました。人によってはもっと長く手続きに時間がかかっておられる方がありました。

一旦痛みが消えたが・・・

  膝の傷は順調に治ったのですが、ある日、左膝の内側に椅子の脚が当たったらキーーン!とすごい痛みが走りました。時々、そっと押さえてみるとやはりすごい痛みが走ります。何もしなければ何ともないので、そのままにしていましたら、1ヶ月くらいして痛みは出なくなりました。
  ところが、翌年(2021年)、膝が痛み出し、正座ができなくなり歩くのも痛くて、杖をついて歩くようにしました。でも、2ヶ月くらいで痛みは消えました。続いて昨年〔2022年)4月にまた痛み出したのです。今度はなかなか治る気配が無いので、遂に整形外科に行きました。骨には異常が無かったので、痛み止めと湿布で1ヶ月かかって痛みを無くすことができました。

今度はなかなかキツい

  もう大丈夫と思っていたら、今年になってまた徐々に痛みが出てきて、今度はそれこそ全く痛みが消えません。3月になって誕生日の前日、「これではダメだ」と整形外科に飛び込みました。今回も骨には異常無し。しかし、膝上太ももに水が溜まっていたので抜いていただき、半月板が損傷しているので膝の関節の間に注射をしてもらいました。この注射が痛いのなんのって。「痛い!」と叫んでしまいました。待合室の患者さん達はどう思ったことでしょう?
  「2~3日すると良くなりますよ」と言われたので安心していたのですが、ほんのちょっとしか楽になりません。10日後、お医者様はエコーを見ながら、「おかしい、これでも痛むとは他の問題があるのかも知れない」なんて言われます。とりあえずリハビリを受けることにしました。

もうだめかも!と思った

  体の一部が痛むと気持ちも落ち込みやすくなります。体と心は一体化していることを痛感します。ここ10年以上痛みの無かった日は無い私ですが、11年前に三叉神経痛になった時は痛みで気を失いそうになったこともありました。その後、薬でかなり楽になったのですが、それでも激痛が走っていた時のことを思い出すと恐ろしくなります。
  さらに頸椎症にもなって、寝転がると頭を起こせないほどの首の痛みを味わいました。しかもそこに加えて五十肩にもなってしまい、腕は上がらない、首は回らない、大変でした。
  それに腰痛です。腰痛は2006年に椎間板ヘルニアの手術をしましたが、一つを切り取っただけでまだ二つを残してあるため、腰痛、座骨神経痛、足の痺れは持病となっています。
  これらの痛みが一度に来たとき(一昨年)は本当に辛かったです。そこに膝痛ですから。「もうダメかも」と思いましたね。

希望が出てきた

  もうこの痛みは無くならないのではと、悲観的にもなってしまったのですが、ある日、痛みが楽になり、一つ癒され、また一つ癒されると、他の痛みが残っているにもかかわらず希望が湧いてきたんです。

  障害児学級〔今の支援学級)で、教えても教えてもできない、理解してくれなかったとき、教師のこちらまで希望を失いかけました。しかし、何か一つできたとき、それはすごい喜びで、一気に希望が湧いてきたことを思い出しました。「もしかするとこれもできるようになるのではないか」とワクワクしてきて、次はどんなふうにするとこの子は発達するだろうかと希望をもって考えることができたのです。

自分も障がい者だ

  自分もこのような痛みを抱えると「障がい者」の一人です。膝痛で歩くのも痛くて、横断歩道で信号が変わりそうになっても走って渡れないのです。
  三叉神経痛では痛みが出ると話すことも食べることもできなくなります。涙を流しながら、少しずつゆっくり食べるしかないので、みんなと同じように食べられません。
  腰痛が出ていると動くことに関してはまともにできなくなります。階段も手すりにつかまりながらでないと上がれません。荷物も重い物は持てません。
  五十肩では上の物が取れなくて椅子に上ったりするのですが、膝が痛いと椅子にも上れません。誰かに取ってもらうしかありません。
  どれほど他の人のお世話になったことでしょう。

  痛みでは夜中に何度目が覚めたことでしょう。翌日は当然寝不足状態でボーッとしていて、考える力も失せます。
  もともと目は悪いですから、メガネをかけてもはっきりとは見えません。文字を読み間違える、パソコンでも打ち間違えるなんてしょっちゅうですから、仕事も遅ければ、間違えることだらけです。

  心臓はペースメーカーを着けずに済みましたが、不整脈が酷かったときは脈が半分に減ってしまいました。さすがにしんどかったですね。椅子に座っての仕事でも変な咳が出るし、すぐに疲れてしまいました。

障がい者とは?

  「障がい者とは何か?」は障害児教育をしてきた者として当然考えさせられることでした。教師時代、すでに目は悪かったですが、自分は障がい者だという感覚はみじんもありませんでした。メガネをかけて何とかやれるのですから。

  しかし、50才を過ぎて次々色々な病気を体験すると自分は障がい者だと感じるようになりました。そして、障害児教育をしてきたことが力になり、この状態でできることは何だろう? と考えるようになりました。そして、障害を持っていらっしゃる方のこと、辛い状況にある方のことが気になって仕方がないようになりました。
  特に私の場合は子どもが辛い状況にあることに関心があります。「この子にはどのように接することで少しでも良くなるだろうか?」とか「どういう指導が良いのだろうか?」とか考えてしまいます。

人はみんな弱点がある

  私達は人間ですから、みんな欠点も弱点もあります。もちろん長所も優れた所もあります。どんなメジャーで測るかで人は違って見えてくるものです。学力なのか、体力なのか等々、一般的な学校ではこの二つが重視されたメジャーを使っています。しかし、私はそのメジャーではないものが必要だと感じています。それは往々にしてお母さん方がお持ちの我が子を愛するメジャーだと思うのです。

  このメジャーはイエス様がお持ちなんです。聖書を読むと「どうしてこの人が弟子に選ばれたのだろう?」とか、人々が嫌っている人を愛されたり、当時危険な病気のために触れても近づいてもいけないとされた病人に手を置いて祈られ癒されたり、姦淫の現場で捕まえられた女性(当時はこういう人は石打ちの死刑でした)を赦されたりされるのか不思議です。
  イエス様の人を見るメジャーは一般的ではありませんでした。しかし、イエス様以外に、私はこのメジャーに一番近いメジャーを持っているのは、わが子を見る「お母さん」だと思うのです。勉強ができるとか運動ができるとかのメジャーで無いものを持っておられます。

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Posted by shinnakano