新しくされ続ける
説教者:海師
2024.2.25礼拝説教
説教題『新しくされ続ける』
【説教箇所】コロサイ3:9 – 10
3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
〈新改訳2017〉
3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。
コロサイ3:9 – 10
共同体の新しさ
おとぎ話やファンタジーの世界では、永遠の若さを求めるというストーリーがよくあります。創造性、未知の機会への冒険、既存の枠組みへの疑問、やむことのない興味関心、これらは若くないと取り組めないことかもしれません。ところが、新しくされることを、コロサイ人の手紙では、必ずしも若さと結び付けていません。そもそも複数人の人たちの集まり、つまり共同体が新しいということに焦点が当たっています。
信じる者の集まりの大前提
誰もイエス様を知らない人達の中で、イエス様を信じた人が一人いて、そして、もう一人イエス様を信じた人がいたとします。一人の人が祈れないという時に、もう一人の信じている人が、あなたの代わりに私が祈るよと言って引き上げます。あるいは、愛がわからないという時に、もう一人の信じる人が神様の愛はこんな感じだったよね、と思い出させてくれます。牧師に近いような存在として、伝道者エパフラスが福音を伝えたとコロサイの1章4章を見るとわかりますが、パウロの言葉の中心は「あなたがた」「互いに」です。つまりお互いの信仰成長は信じる者の集まりに委ねられています。ですからもし、一人の信仰が落ち込んでも、集まる人たちが放っておいたら、そのままということです。でも、信じる者の集まりで、何かが起こります。それぞれに与えられた良い物が、化学反応的に神様の恵みを表していくなら、素晴らしいことです。年齢が若いわけではないけど、冒険的だと思いませんか?パウロはその冒険的とも言える交わりで、ここはおさえておくべき大前提を語っています。
①古い人は脱ぎ捨てた
パウロは古い人を脱いだという言い方をしました。9節と10節前半を読みましょう。
3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
3:10前半 新しい人を着たのです。
「古い人」「脱ぎ捨てて」とあります。いつ脱ぎ捨てたのでしょうか、それは イエス様を信じた時です。また古い人とは、神様を知らない生き方をしていた自分のことです。神様を知らなかった時は、ある時は「人に優しくしようかな」と思い、でもある時は「ここは自分の都合に合わせてやらせてもらおう」という二択だったかもしれません。「大丈夫ですか」と人に働きかけるのか「いやこれは私の出る幕ではない」と下がるのか、いろんな場面で二択があると思います。ただ、パウロはここで「自分をその行いとともに」脱ぎ捨てたとかなり強めに言っていますから、前後を読んでみても、その二択さえもポイと捨てたんだと言うように私は読んでいます。倫理的によくあろうとするのは当然良いことですが、ここでの本題は私達は古い人を脱いだということです。イエス様は、十字架にかかり、私達を赦し近づけ、私達に命を与えてくださいました。おかげで私達はユダヤの民でもないのに、イエス様のゆえに、神の子どもとなったのです。自分は自分のものではなくて脱ぎ捨てたのです。ではそれは何を意味するのか。イエス様のものとなったということは、イエス様のご性質を表す存在となったということです。私達の口がお互いの信仰を励まし合い、感謝の賛美をみんなで歌えたら素晴らしいです。様々な交わりで、それぞれが「神様はこういうお方だと思う」と証してほしいと思います。
②新しくされ続ける
パウロは、ただ頭の知識だけではなくて、イエス様を体感し続けるというような意味も込めて、新しくされ続けることについて言っています。
10節後半を読みましょう。
3:10後半 新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。
新しくイエス様に出会って、そこからイエス様のものとして、どんどんイエス様を体験していくという意味です。前の職場で、東北の震災で使われなくなった土地に、たくさんのヒマワリを植えるプロジェクトに参加されている方がいました。「土地をこういうふうに使えたら素晴らしいな」とその写真を見て思いました。私達の中にも、信仰の土地があるはずです。ただの知識や技能が増えるなら、プライドが育つかもしれませんが、私達がイエス様をいろんな形で体験していく中で、神様に対する忠誠心、信仰心というものが、誰も想像していない形で成長するのではないでしょうか。交わりを通して、みことばを通してイエス様を信じるあなたという人が、どんどん成長していくのです。
皆さんの中で
自分は、イエス様を信じ、周りに現れるほど努力が全然できてないと思う方はいますか?大丈夫です。個人的な信仰生活ではなくて、他の信じる人達すべての中にイエス様がいるので、信仰面でお互いに頼ってほしいです。
よく聖書も理解してきてわかったけど、神様に対して冷めてきてしまっているのではないかと思うと怖いという方はいますか?大丈夫です。イエス様を着ているということは、「なんだこれは!?」というイエス様を体験させてもらえます。
信仰は昔の体験で、自分の世代みたいにフレッシュじゃない人の出番はないかなと思っている方はいますか?大丈夫です。新しくされ続けると書いてありますから、新しくされてください。
★まとめ
今日は、古い人を脱いだということを見ました。神様の与えている交わりのために自分の口が用いられたいと願っていきたいです。また、自分のイエス様への信仰は、様々なところを通るけれど、交わりによって、みことばによって、ある時は化学反応的に、新しくされ続け成長し続けることを見ました。今週も、聖霊に励まされ、私達を愛し、導く神様をおぼえて歩んでいきましょう。
Posted by shinnakano
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