詩編119:54

主の教えを歌う者

礼拝メッセージ

説教者:八木原知宏師
2024/6/2 礼拝説教
【説教題】「主の教えを歌う者」
【聖 書】詩編119:54

あなたのおきては私の旅の家で私の歌となりました。

詩編119:54

人生はドライブのようなものです。そこに音楽という讃美をプラスすると明るく前に進むことができます。ナビゲーターは神様です。
聖書の詩編という箇所には沢山の詩がのっています。
詩編は、人生というドライブにおいて色を与え、時には励まし、
涙を流させて、また頑張ろう。そう思わせる詩がたくさんあります。今日、神様は、あなたが今通っている道に更なる彩を与えようと「詩編」からBGMを用意してくれました!少しの間、詩編の詩に耳を傾けてみましょう!

主の教えを歌う者

詩の背景

詩にはいろいろな背景があるように、今日の詩にも背景があります。
この119篇はヘブル語アルファベット歌です。世界には母国語の基礎を覚えさせるための“歌”があります。ヘブル語を母国語とする方々にとって、詩編119篇はすごく身近に感じ、印象に残る詩でしょう。
詩の全体を読むと、今日の詩の背景を想像できます。119篇全体には感情の波があり、喜んでいるかと思えば、悲しみ。幸せ!かと思えば、誰かに傷つけられる・・・まるで私たちの人生と一緒です。そんな波のある人生の中で、著者は大切にしたいものがありました。それが「主の掟(おきて)」です。この詩を歌った人は、「主の掟」という大切なものを握って居たい。そのような強い思いでこの詩を作ったようです。

主の掟

聖書のおきてはわたし達が考える“掟”とは目的が違うようです。それは、神様と人のつながりの証明として神が与えらたものでした。
この証拠は3つの要素がありました。

(1) おきては、主がどのような方かを教えてくれる

聖書の基盤になっている「掟」は神のことばで、最初の方(創世記~申命記)にあります。神様のことばとしてのおきては、すべての命を与え、どん底に居たわたしたちを救い出せる唯一の神について教える目的があったようです。

(2) おきては、主のことばを思い出させてくれる

そして、多くのおきてはその主が目に見えなくとも、真実であることを思い出させてくれました。すべてを失ったように思えたときにも主は決して変わらない。「わたしはあなたの主。あなたを救い出す。」という主を思い出したのです。

(3) おきては、神を信じる人を輝かせる

そして、おきての意義は「神を信じる人を輝かせる」ものでした。どんな時でも神の言葉を信じて行う人をみて、人々は「この人すごいな」「なんかちがうな」と思うのです。(参:申命記4:6,8)
聖書のおきては、評価の基準や型に押し入れるためのものではなく、どん底からわたしを救うお方。決して変わらないお方。その神との関係の中にいることの証拠です。神様との関係にいるという真実は、悪を行う者に良いことを行い、自分を傷つける人に親切にする勇気のある正しい人でいる力となります。

わたしと神様

この神様と人の繋がりを教えてくれる「おきて」という言葉を使った歌は、わたしたちの人生にどのように彩りを与えてくれるのでしょうか?それは、「どんな時でも、どこにいても私があなたの神」という真実です。主は言われます。「今もわたしはあなたを救う神だ。」この真実をもって、私たちの今通っている道を美しく色付けてくれます。

「旅の家」:今の人生

別の詩で旅人のことを「迷ったり、見えなくなったりする(119:19)」と、歌うものがあります。旅の間は、一時的に滞在する場所がありますが、慣れない場所ゆえに迷って困ることがあります。そして「家」は、家に限らない「場所」や、あるものが入れられる「容器」を指すこともあります。一時的な場所にいる。明日にはどこにいるのか定かではない。「旅の家」からは、そのような著者の思いが伝わってきます。

「わたしの」:神の個人的な交わり

だれかの人生ではない。誰かの歌ではない。主のおきては、この私の人生において、私の歌となった。その著者は言います。「うた」とは、この口、自分の感性、感情があふれるものです。「主の掟」は、神様と人の繋がりを表すものです。この詩は、神様との繋がりはこの私の人生において、私が体験し、私の心を動かすものだと証明しています。この真実は、どんな時でも「うた」を口ずさむ希望を与えてくれます。そして、わたしたちに正しい行いをさせる勇気をくれます。

結び

わたしの神様は、毎日の中で私を慰め、共に居てくださるお方です。
正しい人にも、躓き、失敗し、逃げてきた人にも「わたしは共にいる」ことを教え、わたしたちの人生に「うた」を与えて下さいます。
今日、そのことを受け入れ、十字架の愛を手に握り、主を歌う日々を過ごして参りましょう。