主に信頼する者のハッピーエンド
詩篇37:3₋6

主に信頼する者のハッピーエンド

礼拝メッセージ

2023.4.23礼拝説教
説教題『主に信頼する者のハッピーエンド』
【説教箇所】詩篇37:3₋6

37:3 【主】に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。
37:4 【主】を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:6 主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。

詩篇37:3₋6

 多くのクリスチャンの信仰を励ます詩篇は、私の生活においても、とても身近なものである。フィリピン人の母は、詩編小学生のわたしと弟に毎晩詩篇91篇を読ませていた。それが、異国の地で子育てをする母が唯一もっていた子育ての知恵だったようだ。
詩編は何千年もの前から神を信じる人々に礼拝の中の賛美としてうたわれ、彼らの信仰を励ましてきたが、聖書には様々な詩篇が記されている。詩篇37篇は、どのように生きていくかを教える“知恵の詩篇”だ。本日は、詩篇37:3-6を通して、主に信頼する者の生き方を見つめて行く。

主に信頼する者は、この地上で良いことを行う

37篇全体を読むと、正しい人が悪を行う者達によって苦しい状況にいることが想像できる(37;1、12-14)。「信頼する」という言葉のヘブル語を直訳すると「安全であることを確信する」と意味する。攻撃を受けている中でも「安全だと確信する」ことが主に信頼することだと教えている。
詩篇37篇の冒頭から、ダビデに与えられた詩篇(うた)であることが分かる。ダビデは、自分が慕っていたサウル王に命を狙われても、決してサウル王に攻撃することがなかった。それは、「サウル王が神に選ばれた王」だったからである。詩篇37篇は、神の働きと支配を認める信仰が見えて来る。
最後に悪人を裁き正しい人を祝福するのは主である(37:33)。主の支配を信じ認める信仰が主への信頼を深め、どのような状況においても投げ出さずに、この地上で誠実(良いこと)を行う力となる。

主に信頼する者は、主を自分の喜びとする

 「主を自分の喜びとする」とは、自分の思いや願いを主の前に置くことである。これは、「自分の思いを委ねる」(37:5)と言うこともできる。「委ねる」とは、石を転がす動作などで使われる動詞である。「主を自分の喜びとする」ことは、自分の思いを主の前に置き、主の思いを自分の思いとする信仰者の姿である。
 実際に、主の思いを自分の思いとすることは、葛藤の多いことである。
 私が神学校に入る前のことである。「牧師」になるために保育士を辞めることに対して、園長から非難された。祈りの中で神様が与えてくれたのはマタイの福音書5:44であった。

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

マタイの福音書5:44

葛藤を覚えながら園長のために毎朝祈る日々が始まった。これを通して、どこまでも私に愛を実践して欲しいという神様の思いを知った。主に自分の思いを委ねることは、主の思いを知ることである。日々の生活の中で、主に自分の思いを委ねることは難しいことだが、主を自分の喜びとすることは、主の思いと偉大さを知ることである。

主に信頼する者は、主によって正しい者とされる

詩篇37:6は、正しさが太陽のように表現されている。主に信頼する者は主によって正しさが内から外へ輝き溢れるのである。
聖書では、正しい人を行いではなく状態で判断している。新約聖書では、正しい状態(義)について教えている。

神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

ローマ人への手紙3:24

神と共に生きる人が、正しい状態にある人が、正しい人であり、それは、イエス・キリストの十字架と復活を信じることで正しい状態になると教える。そして、正しい状態にある人が正しいことをする正しい人なのである。
主に信頼することは、主を信じることである。それは、現代を生きる私達
にとっては、イエス様を信じることと言える。イエス様を信じ、主に信頼する者は正しい者として輝くのである。

結び

主に信頼する者は、主の偉大さと支配を知りどんな時でも良いことを行い、主を自分の喜びとし、主に正しい者とされることである。
詩篇37の最後は宣言する。

主は彼らを助け、解き放たれる。
悪しき者どもから解き放ち、彼らを救われる。
彼らが主に身を避けているからだ。

詩篇37::40

主に信頼する者の生活は、主に救われ、主がどのようなお方かを知る生活である。
祈り、御言葉を読み、主への信頼を示すことで、益々主を知り、家族や友人に主の光を輝かせる者とされることを期待する。