子育て通信

二人三脚

子育て通信

  以前この「子育て通信」で自分自身の若い時のことを何回かにわたって書きました。中学の教師時代のことは今も私にとって楽しい思い出です。たった6年の教師時代の思い出です。31歳で牧師になり38年間牧師をしていますが、とても一人でできたわけではありません。教会の皆さんの協力なしに私はありえませんでした。
  そして何と言っても妻の協力、助け、(こういう言葉で言い表せているのか疑問ですが)があってのことです。でもちょっと恥ずかしくて上手く感謝を言い表せないです。5月に入院・手術した私は改めて妻に感謝しました。心臓の問題もあったので、生きて戻れない可能性もあっただけに、生かされている今、感謝の気持ちを込めて、私から見た妻のことを書いてみたいと思います。

一間に住んだ

  私が妻と出会ったのは神学校でした。私が29歳の時です。私は31歳で神学校を卒業し、妻はなお2年間在学していました。ですから、彼女の卒業を待って33歳で結婚しました。
  そして、関東出身の妻は大阪府高槻市の私が働く高槻キリスト教会に来ました。「教会」と言ってもしっかりした会堂もなく、小さな「にこいち(二軒の家が一つにつながった長屋のような家)」の古い家の1階6畳と4畳半のふすまを外して会堂にした教会です。すでに私はこの2階の6畳間だけを自分の部屋として使っていました。結婚するとこの6畳間に妻のご両親がくださったタンスなどを入れましたので、ギリギリいっぱいの部屋でした。トイレは和式が一つ、もちろん教会と共同、小さな台所は洗面所を兼ねており教会の台所としても使っていました。しかし、この小さな新居で妻は一言も文句を言いませんでした。(先代のM牧師夫妻も同じようにされていたのですから改めて感心したものです。)

2DKに住めた

  教会はこの場所では狭すぎるので、自分たちの会堂を持ちたいと、会堂用地(中古物件など)を探していました。一年以上探し続けた後、幸いなことに結婚の少し前に現在の高槻キリスト教会の土地を見つけて購入しました。しかし、その広さから考えて会堂を建てても、その中に私たちの住むスペースを造るのは難しいと考え、会堂だけを建てて、私たちは近くの古いマンションを借りることにしました。新居は2DKで洋式トイレ。洗面台もあります。私たちは感動しました。
  教会堂が建ち上がると、マンションの窓から教会の十字架が見えました。教会と牧師館が離れているのはプライベートが守られて助かりました。何しろ、あの借家会堂の時は、まだ仕事に就けない若いメンバーが早天祈祷会をしに早くから来て、一緒に朝食も食べるので、私たちは新婚の雰囲気がなかなか感じられませんでした。
  しかも、私は教団、教区のいくつかの委員をしており、月曜日はまず教会にいませんでした。家庭集会という聖書の会を5か所くらいで開いておりましたので、1週間とても忙しく、私達は基本的に休みの日がありませんでした(これは今に至るまで続いています)。それでも妻は文句を言いませんでした。ですから、プライベートの守られたマンションに引っ越した時はとても嬉しかったです。ただ、私はますます忙しくなっていましたので、妻が一人で教会と家を守ることが多くありました。
  関東出身の妻にとっては関西の風潮に慣れるのは大変でした。そうして長男が誕生。実家に戻らず、高槻で出産。妻の母が1週間来てくださいました。私たち二人にとって初めての子育て。楽しいやら、わからないやら、大変でした。

会堂を建てた

  しかし、難産だったのは会堂建築です。お金は無いわ、大阪府庁の手続きが上手くいかないわ、業者とは問題だらけ、私はクタクタでした。それでも牧師館に帰ると妻と息子がいてくれる。疲れが吹っ飛ぶ感じでした。
  会堂ができたときはどんなに喜んだことか。しかし、この会堂の土地を見つけてくれた伯父が癌であることがわかりました。そしてこの伯父が亡くなり、この新しい会堂で葬儀を行いました。辛かったです。でもこれを通して伯父の奥さんが教会に来てくれるようになって、後にクリスチャンになりました。手作りの葬儀でしたので、私たち夫婦は大忙し、私は市役所に死亡診断書を持って行き、火葬場の予約をするなど何から何まで夫婦で行いました(この大変さを教訓にこの後の葬儀は業者にお願いしました)。当時は家族葬というのはほとんど無かったと思います。ですから、本当に大変でした。
  そして、続いて祖母の死、教会建築に多大の貢献をしてくださった方の死、葬儀の連続でした。真新しい会堂は葬儀で始まった感じですが、会堂があったおかげで葬儀も無事できたことを感謝しました。

結婚式が増えた

  礼拝では時々ピアノの奉仕をしてくれました。何しろ、色んな事を二人でしなければなりませんでしたから。だんだん教会も組織的に教会らしくなり、喜んで奉仕をしてくださる方も増えたので、助かりました。
  また、若い人の多い高槻教会でしたので、次々結婚し、今度は結婚式をたくさん行うことができました。そのためのカウンセリングも若い私たちがしなければなりません。結婚講座を行うためにセミナーに出たり、10冊以上の本を買って勉強もしました。

赤ちゃんも増えた

  赤ちゃんも増えました。にぎやかな教会になってきました。嬉しかったですね。でも人が増えると人間関係も色々あります。そのために私たち二人は奔走したものです。
  そして、私たちにも長女が誕生。忙しさは倍増しましたが、嬉しさも倍増です。長男は市立幼稚園の抽選に落ちてしまい、私立の幼稚園を考えましたが、お金が無いので、翌年市立幼稚園に入れることも考えました。でも考えに考えて、妻は締め切り日に牧師館近くの私立幼稚園に飛び込んで申し込みました。ギリギリでしたが間に合いました。幸い、園長がクリスチャンになり、理事と保育士にもクリスチャンの方がおられ、園長は私たちが牧師であることから入園金を補助してくださいました。妻が思い切って幼稚園に行かなかったら長男は翌年の市立幼稚園・年長組まで待つしかなかったでしょう。私は妻のこういう判断力・決断力に感謝しています。お金の問題も不思議な方法を神様はくださり、解決できました。

公園デビュー

  子どもが大きくなるにつれ、色々な忙しさが増えます。妻は子育てと家事に追われています。お母さん仲間との交流も大事です。「公園デビュー」なんて言葉が流行った時代でした。恥ずかしがり屋のうちの子どもを連れて公園に行くのはそれなりに大変だったようです。
  こうした昼間の妻の大変さを私は見ていません。色々あったはずです。でも、牧師館に帰るとホッとできるようにしてくれていました。しんどいことがいっぱいあったはずなのに、ほんとに文句を言わない妻です(かなりストレスは溜まっていたとは思うのです)。
  二人三脚でやって来れたことを感謝しています。

聖書の言葉

  見よ。子どもたちは【主】の賜物、胎の実は報酬である。 

詩篇127:3

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Posted by shinnakano