心臓検診でひっかかった
心臓検診でひっかかった

心臓検診でひっかかった

子育て通信

高校生活始まる

  51年前になるのでしょうか、大阪府立三島高校に合格した私は高校生になれたことが嬉しくて、「中卒で大工になるんや」と父に息巻いていたことが恥ずかしく感じられました。

  男子25名、女子23名で一クラスですから今思うと教室はぎっしりだったと思います。新しいクラスメイトはあちこちの中学校から来ています。当然不安もいっぱいでした。しかし、みんな楽しく明るい生徒達でクラスには一気になじめました。
  家から2.5kmという距離のこの高校、多くの生徒がバス通学していました。私は交通費を浮かす必要がありましたから、歩くか自転車でした。同じ道を二人の先生が歩いておられて、時々先生と話をしながら登校したこともあります。

校舎一つ、プレハブ一つ

  相変わらず門だけで塀がなく、校舎が一つだけの学校、プレハブの食堂にはうどんとそばだけ、後はパンの販売があったように思います。整った高校生活を望んでいた生徒達からは不満の声もありましたが、何も無いことに惹かれた私はむしろこれからが楽しみでした。

  入学した最初の初夏、学校の回りが田んぼでカエルの鳴き声がすごくて、先生の声が聞こえなくて授業になりませんでした。当然クーラーはありませんから、窓を開けての授業です。カエルの鳴き声がうるさいときは午後の授業が中止になったこともあります。なにしろ田んぼを埋め立てて建てられた学校ですから、まだ周りは田んぼと畑でした。

中間テストも無い学校

  新設校というのは1年生しかいませんし、校長が入学式の挨拶で「この学校には校則はありません」「中間テストはしません」「大学のための受験体制もとりません」と言い切った学校です。何もかも先生と1年生で作っていくのです。それはとても楽しいことでした。
  この高校でのこうした校則も中間テストも無いという体験は私の高校生活をとても楽しくしてくれました。近年、都内の中学校でも同じような試みをしておられる校長がおられるのを知りました。テレビで観たり、本を読んだりしてそれらの学校の生徒がいきいきしていることを知り、私も高校生活を思い出したのです。

  グランドはまだ泥んこ状態だったので、最初の体育は校外を走ることばかりでした。そのグランドをみんなで使えるようにし、体育祭直前にも水たまりを無くして、砂を敷き詰めるなどの作業をしました。

心臓検診でひっかかった

  長距離走の比較的得意だった私は体育祭で校外1周という種目に出ようとしたのですが、全員の心臓検診が行われた際、私はひっかかってしまいました。
  体育の先生の前任校で、授業中に生徒が心臓麻痺で亡くなったことがあったために、この新設校では全ての生徒の心臓検診を行う事にされたのです。そこで、早速その心臓検診で数名がひっかかったわけですが、その一人が私でした。

  体育祭を前に校医からは「100m走を1回だけにしておくように」と言われてしまいました。実は中学3年生の時にどんな検査だったか忘れたのですが、やはり心臓検診を受け、数名ひっかかったのです。その時も私は引っかかり、保健所に再検査に行った記憶があります。

  しかし、私の両親は私の心臓のことは気にしたことが無く、運動などについても気にしませんでした。私にとっては返ってそれが良かったのだと思うのですが、50歳ぐらいになって心臓は「心筋症」と名付けられる病気になってしまいました。
  高校では運動制限され、運動部に入ることも禁じられてしまいました。まだ何の部活も無い学校ですから、生徒がクラブをつくるのです。友達と私はすでにサッカー部をつくろうとメンバーも集め、練習も始めていたのですが、残念ながらサッカー部に入れませんでした。

内緒で走った

  楽しみにしていたサッカーができなくなった私は気落ちしましたが、同じクラスにやはり心臓検診でひっかかって運動制限された友達がいました。二人で「つまんねえな」等と言いながら、彼の家まで行って話をするなどしていました。その時、彼が手乗り文鳥を飼っていてあまりのかわいさに惹きつけられました。すると、彼が生まれて間もないヒナを一羽くれました。これが私の手乗り文鳥を何度も飼うきっかけとなりました。

  さて、彼と話をしていて、学校には内緒で校外を走ろうということになりました。放課後、みんながつくり始めたクラブを頑張っている時、私たち二人は校外を走りました。ジョギングですね。それを知った友人が一人、また一人と加わり、5人くらいで毎日走りました。
  学校から田んぼを抜け、芥川という川の土手を走り、数km行ったところに「摂津峡」というきれいな渓谷があるのですが、そこまで走って、川の水で顔を洗ったり、自然を満喫して、また走って帰るのです。楽しかったです。この摂津峡は私が勤めた中学校のそばで、陸上部の顧問をした時、度々走りに行って、川の水で顔を洗ったり、鬼ごっこをした渓谷です。

  結局、3年間私は検診の結果OKが出なくて、運動制限されたままでしたが、このランニングが楽しい時でした。3年生の体育祭もやはり長距離走を許可してもらえませんでした。ただ、毎日校外を走っていることはばれていなかったみたいです。時には部活の連中と一緒に私たちのランニングコースを走ったこともあります。いつしか「自然に親しもう友の会」なんていう名前がついていました。

親は知らないものだなあ

  こういう私のことを両親は全く知らなかったと思います。今思うと、高校生が親に何をしているかそう話をするものではないなと思います。
  教師になるために採用試験を受けた時のこと(この時、私はクリスチャンになって5年が過ぎていました)。詳しいことは次回に書こうと思いますが、不思議だったのです。
  不思議に二次試験を突破し、健康診断を受けることになりました。しかし、私は健康診断なるものがあることを知らなかったのです。通知が来て、健康診断会場に向かうのですが、心臓検診、血圧、視力などの項目があることを知りました。
  高校生の時、心臓検診でひっかかり、血圧は上が常に150~170と「若年性高血圧」と名付けられていたのです。視力は酷かったです。
  ですから二次試験を突破したのに、ここで落とされると覚悟を決めて、祈りながら健康診断会場に入りました。
  血圧を計ってくださった先生が「はい、問題無いです」と言われました。「本当??」と思いながら、「いくらですか?」と聞くと「130ですから大丈夫です」と。そして、視力、両目でその日は問題無く0.6以上が見えたのでこれもクリアし、心臓検診も大丈夫と言われました。

  こういうことを両親に話したら、「おまえ、そんなに血圧高かったのか!」と父に驚かれました。何と父親も高血圧だったのです。遺伝みたいです。母も「あんたの目、そんなに見えてないの?」と、これも驚かれました。この時、親は案外子どものことを知らないものだと知りました。

  やはり私たちのことを完璧に知ってくださっているのは神様だけだと思いました。

あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。

新約聖書 マタイの福音書 10:30

 この聖書の言葉を思いだしました。医者だって知らないことです。両親はもっと知らない私の体のこと。それを神様は全部知っているのです。

  私が「子育ての会」を開いて語ってきている中心は、神様が私たちの子どものことを一番良く知っていてくださるのだから、この神様に信頼して子育てしましょう、ということなのです。

子育て通信

Posted by shinnakano