クリスマスを通して思う
クリスマスが近い
早いもので今年も12月になりました。クリスマスの準備が忙しいですが、とても嬉しい季節です。なぜクリスマスが嬉しいのでしょうか? イエス様のお誕生日だからですが、イエス様の本当の誕生日はわかっていません。
イエス様が復活なさったのは春で、復活祭(イースター)として世界中で祝われています。こちらは大体時期がわかっています。そこで、「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」と決められ、2024年は3月31日でした。2025年は4月20日になります。毎年、イースターの日は変わるので、教会も年ごとにイースター礼拝の日を変えています。
私たち新中野キリスト教会も2025年は4月20日にイースター礼拝、午後にイースターフェスタを行う予定にしています。
なぜ12月25日?
では、クリスマスはなぜ12月25日なのでしょう? これには諸説ありますが、2~4世紀頃からクリスマスとして祝われるようになったようです。
当時、ローマ帝国に太陽神を信仰する宗教があり、「光の祭」として祝われていたのが12月25日です。それは冬至を境に太陽の力が強まっていくので祝われていたようです。キリスト教が広まって、本当の神は「太陽」ではなく「聖書の神」とわかって、この日がイエス・キリストを祝う日となり、クリスマスとなり、イエス様の誕生をお祝いするようになったみたいです。クリスマスを英語表記にするとChristmas。 Christがキリスト、masはミサ(礼拝)という意味です。 クリスマスとは「キリストのミサ」という意味です。
クリスマスツリーの話
かつて私はクリスマスツリーのこんな話を聞いたことがあります。北欧のある地域ではやはり「太陽の祭」のような祭、儀式があり、村の若い女性を生贄として気に吊り下げていたそうです。ところが、その村にキリスト教が伝えられ、イエス様が救い主だと知った人々は太陽神への生贄をやめたので、その村には喜びが湧き起こりました。もう、若い女性を生贄にする必要が無くなったからです。そして、イエス様をほめたたえました。そこで、生贄を吊り下げていた木にプレゼントを吊り下げるようになったという話です。
世界には色々な恐ろしい風習がありました。真の神を知らないため人間が考え出した神々に生贄をささげる風習はあちこちにあります。その生贄が動物ではなく、人間となることも。そういう地域に次々キリスト教が伝わって人間を生贄にするのをやめたところがたくさんあると聞いています。
虐待
こういう話を聞いてふと思ったのは、教育、子育ての世界でも恐ろしいことが行われているのではないかということです。例えば虐待です。子どもを生贄のようにしているように思えます。
虐待にもいろいろの種類がありますが、体を傷つけ、挙句の果ては殺してしまう恐ろしいものも後を絶ちません。最初は「しつけ」のつもりであったのが、感情が高ぶり、自分を抑えられなくなり、酷いことを行ってしまうのですが、それが儀式のように通常化してしまうのです。
生贄をささげていた村にキリスト教が伝わって若い女性、子どもを生贄として捧げることをやめたように、キリストの愛を信じてやめてほしいものです。
虐待にはネグレクトという子どもを放置したり、食事を与えなかったりして子育てを放棄したようなものもあります。
また、精神的虐待もあります。これは言葉で脅したり、無視したり、兄弟(姉妹)間で差別したり、子どもの前で家族に暴力をふるうことで精神的ダメージを与えたりするものです。
罪・原罪
人間というのはどこかでこうした酷い行為に出てしまうことがあるものです。実際に虐待に走ってしまった親も初めはそんな気持ちは無かったのに、子どもがうるさすぎたり、言うことを聞かなさ過ぎたりして感情的に切れてしまって虐待という行為に走ることがあります。
人間の心は科学、医学の進んだ現在もわからないことがいっぱいです。「こんなはずじゃなかったのに」「自分は大丈夫だと思っていたのに」ということが多々あるのではないでしょうか?
これが全ての人間の中にある「罪」が原因です。この根本的な罪は世の中で一般的に言われる「罪」(犯罪や嘘をつくとか、人を悪く思うなど)とは違って、それらの根本にある罪で、キリスト教では「原罪」と言います。人間みんなが生まれつき持っている罪のことです。これが解決されることで本来の人間の生き方が見えてきます。
そのためにイエス・キリストは神ですが、人間になって来てくださいました。神ですから罪(原罪)はありません。
罪の解決
罪を償うにはそれなりの代償が必要です。罪の根本である「原罪」は神に対する罪の償いですので、自分を捧げるしかないので、イエス・キリストが私たちの身代わりになってくださったのです(非常に単純な言い方ですみません)。それが十字架刑でした。これによって神は全ての人の罪を赦すと決めてくださったのです。
そのために人となって生まれたイエス・キリストのお誕生をお祝いするのがクリスマスとなりました。
私の子どもの時
私は18歳でクリスチャンになったので、そこからはクリスマスの意味を理解して毎年、感謝してクリスマスの日を迎えるようになりました。そして、全ての人のために来られた神のひとり子ですから、世界の平和のためにやはり祈っています。
子どもの時は何もわかっていなかったので、サンタさんの方が関心事でした。どんなプレゼントをもらえるのかと楽しみにしたものです。そして、小さなクリスマスツリーを飾り、イルミネーションを飾るのが好きでした。
私のクラスで
教師になって(すでにクリスチャンです)クラスの生徒が「冬休み前にクラスでクリスマス会をしよう」と言い出しました。ところが、ある宗教のに属する生徒がいて、その生徒が「クリスマスは祝わないので、クリスマス会は欠席する」と言いました。この時、いくらかクリスマスのことをみんなで考えることになりましたが、結果は「お楽しみ会」という名で行うことで落ち着きました。意味もなく「クリスマス会」と言っていたより、少しでもクリスマスのことを考えてくれたのは良かったです。
そして、このお楽しみ会はクラス全員が何らかの出し物をしてとても楽しい時を持つことができました。私もちょっとした出し物をして大笑いされました。
通勤時の祈り
毎朝、通勤の道4㎞ほどあるのですが、そこは私の祈りの道でした。色んな事を祈りましたが、生徒たちのことは毎朝祈って行きました。祈って行くと仕事にも熱が入るのを感じました。
そして、色々悩んでいる生徒のことを祈り、美術準備室で相談を受けたものです。中学生といえども、彼らなりに親にも言えない真剣な悩みがありました。その子たちのために祈ってきました。
現代も子ども達にとって大変な時代に感じます。私は祈っています。この祈りの輪が大きくなればなあとも思っています。一緒に子ども達の祝福を祈りませんか。イエスはその祈りを聞いてくださっています。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
マタイの福音書 18:19
新中野キリスト教会 のクリスマス
★12月8日(日) 午後2時
ジュニアクリスマス(幼児・小学生向け:保護者の方もご一緒に)
★12月22日(日) 午前11時
クリスマス礼拝
★12月24日(火) 午後7時
キャンドルライト サービス
どうぞお出でください。