ほぼ一年働けた奇跡

子育て通信

  2022年、今年もよろしくお願いいたします。

教育委員会からの電話

前号から続けて

  「★中学校の養護学級(今で言う支援学級)に行って欲しい」ということでした。私は「『今さら来ても無いよ』と言われたのにどうしてですか?」と聞きますと、「美術の先生で養護学級を担任している先生が産休に入られたので、美術の免許を持つ人でないとダメだったんだ。これは何人もいるんだけど、★中からの要望は、『4人の担任は誰も養護教育(今の支援教育)の免許が無いので、ぜひ養護教育の免許のある人が欲しい』と言われたんだ。するとこの二つの免許を持っているのは君しかいなかったんだよ」という返事でした。こんな事があるんだろうかと驚いてしまいましたが、私は4月5日の春休み中から勤務が決まったのです。本当に有り難かったです。

延長してもらえた

  産休講師ですので夏休みで終わりの予定でした。が、養護学級は夏休みも数日間登校するので、私の期間延長が決まりました。でも、夏休みいっぱいで終わりだなあと思っていたところ、同じ養護学級の先生が次に産休に入られたのです。主任の先生はその先生の代わりに私に継続して欲しいと願ってくださったのですが、その先生の科目は家庭科でした。家庭科の免許を私は持っていませんから本来私は8月末で仕事が無くなるところでした。
  ところが、その先生は11月末まで産休をとられるので、養護学級の担任だけで、家庭科を受け持つことがありませんでした。そのため、特別に私がその先生の代わりに講師として入ることができるようになりました。

ボーナスが出る!

  私は神様のご配慮に感謝したのですが、ここでさらに面白いことがありました。その先生は12月1日から復帰される事は決まっていました。というのは、12月1日に仕事をしていればボーナスが出るからです。つまり、私は11月末で終わりということでボーナスは無しとなるのです。
  遂にその日が近づいてきたのですが、校長先生が『藤井君、悪いなあ。君にボーナスが出ないなんて」と気にしてくださいました。私は「いえ、ここまで働けただけで十分です」なんてかっこいいこと言ったのですが、心の中では「残念、もうちょっと休んでくれればいいのに」と思ってしまいました。
  ところが、ある日、校長先生が「藤井君、もしかすると君にもボーナスが出るかもしれんぞ! 今から教育委員会に行ってくる!」と笑顔で校長先生は出て行かれました。何のことかわからないまま授業をしておりましたら、養護学級の電話が鳴り「藤井君、君にも出ることになった! 詳しいことは戻って話す」と。

  わけがわからないまま校長先生を待っておりましたら、笑顔で戻ってくられた校長先生が、「藤井君、君にもボーナスが出るんだよ。と言うのはね、君も12月1日まで働いてもらうからだ」と。「え、じゃ、〇〇先生はどうなるんですか?」「大丈夫、〇〇先生も12月1日に働いてもらう。だから二人共にボーナスが出るんだよ」
  わけがわからず、校長先生の説明を聞いていました。「引き継ぎの日が一日取れるわけなんだが、君はずっと養護学級で勤めていてくれたから〇〇先生が休みに入るときに引き継ぎをしなかった。規則には引き継ぎは『産休に入る最初でも、後でも良い』とあるんだ。君は最初に引き継ぎをしなかったから、この引き継ぎを後に使って、二人が12月1日に引き継ぎをする事になったわけだ。だから二人ともボーナスが出るんだ。教育委員会も驚いていた。何しろこんな事は初めてのことだそうだ。教育長も『二人にボーナスを出すという前例は無かったけれど、規則にかなっているから二人共にボーナスは出します』と約束してくれたよ」と、いうことでした。
  経済的に厳しい私にとっては本当に感謝な事で、神様の不思議な計らいに感謝しました。それでも12月1日にボーナスを受け取るまでは何となく不安がありました。ですから、本当にボーナスを手にした時は嬉しかったです。「神様、感謝します」と、言葉が出てきました。もちろん私の勤務日数からはわずかな額でしたが。私もボーナスをいただけたことで。〇〇先生も「私もホッとしたわ」と言ってくださいました。

次の中学校へ

  こうして、高槻第★中学校での勤務が終わったのですが、すぐに教育委員会に呼ばれました。教育課長さんから「ボーナス出て良かったね」と言っていただいた後、「今度は12月14日から第◆中学に行ってくれ。」と2週間後にもう仕事をいただけることになりました。
  「わかりました。今度は美術ですか?」と聞きましたら、「いや、事務室だ」と。「え、私は事務の経験も無いですが・・・」と言うと、「大丈夫。事務職員3名のうちの一人が産休なんだ。君がちょうどその期間空いていたから、◆中学に聞いたところ、OKしてくれた」と言うのです。
  私としては引き続き仕事をいただけたのはありがたかったです。ただ、★中学でフルに働いたので、教師採用試験の勉強ができませんでしたから、ここから勉強しようと思っていたのです(実は採用試験の一次試験は合格していたのです)。

え! 小学校にも!

  でも、せっかくのお誘いですので、引き受けました。ーー2週間だけでも真剣に勉強しなければ--と、思っていたら、2日後、また電話です。「すぐ、教育委員会に来てくれ」と、前のように呼び出されました。「今度は何だろう?」と不思議に思いながら行きますと、「明日から▲小学校に行ってくれ。6年1組の先生が病欠で、教頭がしばらく対応したけれど、もう無理だということで講師申請があったんだ。しかし、10日間だけの講師なので、誰もいないんだよ。そこで、君を思い出した。なんと、ちょうど10日間終わったら、翌日から◆中学の事務だろ、ばっちりなんだよ」と。
  「すみません。私、小学校の免許無いですよ」と言うと、「大丈夫。6年生なので、かなり専科があるのと、他の先生が時間割を組み替えてくれているから君にもできる。とにかく、遊んでやってくれればいいから」なんて関西人らしい言い方をしてくださったので、「遊んでいいなら行きます」と、私も軽く承諾しました。
  これで二次、三次の試験勉強は2日間だけしかできないことになってしまいましたが、仕事はほぼ一年間継続できました。本当に不思議です。

本当に遊んだ

  10日間とは言え、小学校の担任ですから緊張しました。初日が雨で自転車でレインコートを着ての出勤。しかし、濡れたレインコートをどこに置いていいのかもわからないまま、校長室に。そして、職員室で紹介されて、私用の机も教えていただき、さっそく教頭先生に連れられて6年1組の教室に向かいました。そこには中学生と違って、かわいい子どもたちがいました。
  とても楽しく過ごしていたのですが、休み時間に運動場に誰もいないのが不思議でした。子どもたちに聞いても理由はわからなかったので、教育課長の「遊んでやってくれ」を思い出したので、教室にあったドッジボールを持って運動場に子どもたちを数名連れ出しました。とりあえず「バラ当て」というボールの当てっこをしました。その数名は大喜びで歓声をあげたので、あちこちの教室の窓から、子どもたちがこちらを見ています。
  「一緒にやろうよ」と誘うと、1年生の子どもたち数名がやってきました。少しの時間でしたが楽しく遊びました。そして、段々子どもの数が増え、休み時間に運動場は子どもたちで一杯になりました。遊びもボール遊びだけではなく、色々な遊びをするようになりました。運動場に子どもの声が響くのは私にとっては心地良いことでした。

  私はほんの少しだけ、子どもたちに遊びをリードしただけでした。でもその後、子どもたちは運動場にいっぱい出てきて、それぞれ好きな遊びをして歓声を上げ、大笑いしています。ほんのちょっとのリードを大人がしてあげるだけで良いのだと思いました。
  イエス・キリストもしっかりと私たちを見守ってくださいますが、私たちが自発的に愛の行動がとれるようにほんのちょっとずつ助けをくださっているように感じます。

  何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。     

  マタイの福音書7:12

子育て通信

Posted by shinnakano