心を解放(開放)する言葉を
緊急事態宣言解除
緊急事態宣言が解除されてどれほどの人がホッとしたでしょうか? しかし、反対に密閉は別としても、密集、密接を心配する人もたくさんいらっしゃることでしょう。
私たちも3月から日曜の午後の活動を中止して、4月からは日曜の礼拝会も中止して、ネット配信に切り替えざるを得ませんでした。教会の活動を止めたくなかったのですが、安全を考えると仕方がありませんでした。
やっと再開できるのですが、前と同じようにはいかないのです。三密をいかに防ぐかを考え、安全を確保していくことをなおも検討しています。
自粛生活の大変さ
子ども達は卒業式・入学式がまともにできなかったり、それこそずっと入学式が無いまま6月になった子どももいます。自粛生活が始まり、長い休みになってもどこにも行けない、行こうとしてもあらゆる所が休みで、楽しくないという状態でした。
学校に行っているときは「ずっと休みだったら良いのになあ」などと言っていた子ども達も「学校に行きたい」というように変わったのです。それはいいのですが、「コロナが怖くて家から出られない」という子ども達が続出したと言います。また、精神的にイライラしたり、うつっぽくなったりした子どもが増えました。
親の側でも在宅勤務・テレワークが増え、家族で過ごせる時間が増えたかと思いきや、かえって夫婦間でもギクシャクしたり、イライラしたり、また子どもに怒鳴ったり、手が出たり、親子でも辛い生活が続いたという話がたくさんあるようです。
生活習慣の崩れ
そして、これだけ家にいる時間が増えると生活時間が規則正しくなくなってきます。それは子どもに限らず、大人もそうだと思います。
まず起床時間が崩れてくるものです。最初の頃は親子で意識してできるだけ幼稚園・学校に行っているときと同じように生活していてもだんだん変わってきます。
小学生・中高生は勉強時間を決めていたかも知れませんが、それもどんどん変わったことでしょう。学校から課題が出たところもあるようですが、その課題をこなすにも親の協力が必要であったりして、親もさらに忙しくなってしまい困ったという話が多々ありました。
元に戻せるか?
さあ、今度はそれを元に戻すことになるのですが、それは大変難しいものです。長すぎましたからね。
それと、長く友だちとも会っていないと会えることの嬉しさはありますが、新たな緊張感、しかも夏休みと違って学年が違うわけですからあらゆることが新しく始まるのです。その緊張感は児童・生徒数の多いところではより大きいかと思います。こういう緊張感に何の問題もなくやり過ごせる子ども達もいますが、この緊張感が大変な子ども達もいます。
今までに無かった事態だけに、私はどのようなことが起こるのか気になっています。大したことが起こらなければもちろんいいのですが、何かが起こったときにどのように対応するかというのもたぶんあまり例のないことだと思います。
子どもの心を考える
子ども達の心は親にはわかっているように見えてわかっていないことが多いものです。
幼い子ども達は時に泣くことで多くを表現します。それが親を自分に惹きつけるのに手っ取り早いですし、他に上手く伝える言葉を持っていない以上そうなるのでしょう。
しかし、小学生になってくるとそうも泣いていられません。きちんと自分の気持ちを言葉で表現しようとしますが、大人のように上手く表現できません。そのイライラが泣く以外の表現になったりしてくることもあるわけです。
自分がわからない
言葉にならないということは子ども本人も「自分がわからない」ということにもなります。それがイライラ感になってきます。この心を理解してあげてほしいのですが、語彙数の多い大人にとってみればそれはなかなか理解できないことです。「はっきり言ってごらん!」とか、「なにを黙っているの?」と言ってしまいやすくなります。そして、子ども達は子ども心に「どっちみちわかってもらえないんだ」という思いになりやすいのです。
思春期を研究してきた私には、この幼児期・学童期の時期のこうした関係が思春期に及ぼす影響が気になるのです。
親の言葉
今回はそういう親子関係の問題も数多くありました。さらに目に見えないウイルスに対しての恐怖感です。大人も大きな影響を受けたのですから、子ども達にとっては大人に理解できないほどの心の問題があるかも知れないということです。
それでも兄弟がいて兄弟で色々遊べたり、親子で散歩したりできた子どもであればさほど心配は無いのかも知れません。家にこもりっきりになり、遊ぶ相手もなく、大人の会話で消極的な会話を聞き続けていると「恐怖感」などに心が占領されてしまいます。ということは親の言葉がとても大事だということも言えるのです。
コロナ問題はどこまで慎重にするのがよいのかが親にもわからないから困るのです。だからどうしても慎重になりがちで子どもにも注意するように言って聞かせます。間違いないことなのですが、そのことで子どもの心を萎縮させてしまうことがあるのが、今回のコロナ問題の大変なところです。
慎重でありつつも心を穏やかにしていられる親でありたいのです。
笑いや励ましの言葉
そのためには常に「笑い」を忘れないことです。親子の会話に「笑い」があることです。「笑い」「笑顔」には大きな力があることはすでに知られていることですが、人の心を元気にする脳内ホルモンが分泌されるそうです。神様はそのように人間を造ってくださっています。聖書の中でイエス・キリストが辛い思いをした人達に語りかけている言葉はその人をホッとさせます。そして元気を与えます。その当時の人達だけでなく、現代の人達もこのイエス・キリストの言葉で励まされてきています。
もちろん聖書には厳しい言葉もたくさんあります。しかし、励ましを与える言葉がたくさんあることを知っていただきたいです。
言葉には力がある
「自粛警察」と呼ばれる人達による言葉でかなりたたかれたお店がありました。そして、この時期にSNSの書き込みの言葉が原因で自殺した人がいました。いかに言葉が大きな力を持っているかを知るではないですか。
人を傷つけ、命さえ奪うような言葉もあれば、元気をもらえる言葉もあります。どのように言葉を使うかが大事ではあるのですが、「言葉は人」なのです。つまりどんなに言葉は格好良くても心が入っていない言葉には力がありません。イエス・キリストの言葉になぜ力があったのかと言えば、イエス・キリストには愛があったからです。人に伝わるのは愛があったからです。
子どもにはお父さん。お母さんの愛の言葉が通じるのです。その愛は「神は愛である」という神様から無限にいただくことで今までには無い愛を得ることができます。愛は知識ではありません。かと言って感情でもありません。愛は意志です。その意志を自分のために働かすのでは無く、相手のために使うのです。それはイエス・キリストがなさったことです。
「緊急事態宣言解除」という言葉を待ち望んだように、私たち(子ども達)の閉じ込められた心を解除(解放・開放)する言葉があればなんとすばらしいでしょう。