命と死の尊さを覚える
高額になったペット
先日、ペットショップに行くと小犬の値段が、驚くほど高くなっていました。コロナ禍で家にいることが多くなったり、在宅ワークでそれなりのストレスが高まり、ペットを飼うことで心が安らぐとペットを飼う方も増えたと言われます。
しかし、この値段ではとても庶民には買えないのではないかと思いました。
私も犬は大好きなので、ペットショップで眺めるのは好きです。ペットショップで猫も見ていると、猫もかわいらしく思えるようになりました。鳥は元々好きなので、文鳥やジュウシマツ、インコ、カナリヤなどを見るのも楽しいです。ハムスターも飼ったことがあるので、ハムスターやうさぎ、モルモットを見るのも好きです。子ども達も同じようです。
犬を飼うと
そういう中でこんな記事を見つけました。
イヌ飼うと思春期の子の「幸福度」に好影響(2020年8月4日 朝日デジタル)
思春期の子の幸福度は、イヌを飼わないより飼う家庭の方が高くなる——。そんな研究結果を、麻布大学や東京都医学総合研究所などが思春期の子がいる都内の家庭環境を大規模に調査、分析して明らかにした。
イヌ飼うと思春期の子の「幸福度」に好影響(2020年8月4日 朝日デジタル)
ペットを飼うことで幸せを感じる人は多いが、その仕組みは分からないことが多い。従来の研究から、ヒトはイヌと見つめ合うことで社会行動の積極性を高めるホルモン「オキシトシン」が分泌されることがわかっているという。
研究では、子の発達を支援するために東京大など3機関が2012年度から行っている調査結果を活用した。この調査は、東京都世田谷区、調布市、三鷹市の10歳の子のいる家庭を無作為に選び、質問票やインタビューを通して家庭環境を調べたもの。この中からデータのそろった約2600家庭について、10歳の時点でイヌやネコを飼っているかと、10歳と12歳の時の「幸福度データ」を点数化した。幸福度は、楽しい気分だったか、よく眠れたかなどWHO(世界保健機関)が推奨する指標を使い、過去2週間に幸せを感じたかを6段階で評価した。
その上で、家庭を (1)イヌもネコも飼わない (2)イヌを飼う (3)ネコを飼う
の3グループに分類。イヌとネコ両方飼う家庭は統計的に正しいデータがとれるほど多くなかったので除外した。ヒトの幸福度は10歳ごろから徐々に下がるとされるが、3グループの中でイヌを飼う家庭が12歳時の幸福度の下がり方が最も低かったという。
子の性別、きょうだいの有無、親の年齢や収入などの影響を除くよう補正して計算しても、結果は変わらなかったという。
研究チームの茂木一孝・麻布大教授(伴侶動物学)によると、イヌは最も古くから家畜化された動物のひとつだという。茂木さんは「外敵から身を守る、狩猟に役立つといった役目がなくなってもヒトはイヌを飼ってきた。イヌと共生するメリットは、ヒト同士のコミュニケーションを円滑にすることとみられ、今回の研究結果はその作用の一つの現れではないか」と話している。
我が家のペット
私たちも東京に転勤して来たとき、子ども達の精神衛生のためにと犬を飼うことにしました。小型犬しか飼えない環境だったので、数軒のペットショップを回りましたが、比較的安く売っている店を見つけ、ミニチュアダックスを買いました。小さなボール紙の箱に入れて持ち帰ることが出来るような小ささでした。
小犬は新しい環境に慣れるまでは大変でしたが、家族にはすぐに慣れて、それはかわいくてたまらなかったです。
育てるという点では確かに大変なこともありました。しかし、ペットというより、家族という感じになるものです。犬の散歩のお陰で毎日よく歩くようにもなりました。家族の誰かが不調だと、すごく気にして「クンクン」泣くのです。家族の中で一番心配してくれていたかも知れません。
2014年3月に病気で死んでしまいましたが、「ペットロス」になった人の気持ちが分かりました。
命と死
動物を飼うと必ず死ぬので、「子どもに悲しい思いをさせるから飼わない」という方がおられます。それも一理あるなあと思うほどに、私も辛かったですし、特に世話をしていた子ども達は辛かったと思います。
しかし、命をしっかりと覚えるためには「死」と向き合うことも大事なのです。私たちは多くの動物の命を食料として食べています。
ある男性、自分の家で飼っていた鶏が翌日食卓に出たのだそうです。我が家の鶏だとは知らずにその子は食べました。後でその鶏肉があの飼っていた鶏だと知って、ショックを受け、長らく鶏肉が食べられなくなったと言います。
現代は自分の家で魚をさばくこともなくなってきました。子どもの中には魚は切り身で海を泳いでいると思っていたという話があるくらいです。
当然、牛肉、豚肉もすでに切り身として加工された肉を「おいしい」と言って食べます。屠殺(とさつ)場を見ませんから、美味しく食べることができます。
解剖実験
小学生の時に理科でフナの解剖がありました。最初はこわごわ、気持ち悪そうに解剖するのですが、考えてみれば魚を料理するときには同じようなことをしています。
そして中学生の時にカエルの解剖の授業がありました。4人一組の理科室の机に1匹のカエルが必要だというので、私と他3人の男子はカエルのたくさんいるところを探して、カエルをとることのできない女の子のためにとりに出かけました。思いがけずたくさんとれてバケツにいっぱい30匹ぐらいとってきました。
翌日、理科の時間にそれを先生に見せたら、ビックリしておられましたが、各机に必要な10匹ほどで解剖実験をしました。後の20匹はグランドに離してやりましたら、一気にピョンピョン向こうの草むらへと逃げていきました。
この時の解剖でも、女子達はキャーキャー言っていました。しかし、しばらくすると「これが○○で、これが心臓だ」とか言っているし、「心臓移植しよう」とか言い出していますから、馴れというのはすごいものです。
マスつかみ
似たようなことでは、教師時代に林間学校でマスつかみをしました。捕まえたマスは夜の食事に出るのです。この時も男子は一気に川の中に入って石を取り除けてはマスを必死で捕まえています。
女の子はやはりキャーキャー言っています。が、ここでも一度マスを掴むと楽しくなってきたのか、また探して掴んでは「先生、見て!2匹目よ」なんて喜んでいます。
夕食でそのマスの姿焼きを食べるときも「美味しい」と言っています。
命と死、そしてその命を私たちはいただいて生きていく、これはとても尊い関係です。しかし、人は人を殺してはいけません。「なぜ、人を殺してはいけないのか?」という思春期の子どもの質問になかなか上手く答えることができず、話題になったことがあります。そういう本が何冊も本屋さんに並びました。
人はこういう命と死の関係を体験しながら、人を殺してはいけないことを体得していくのです。実はこれはなかなか不思議なことなのです。
虫も殺さない良い子?
殺人者が子どもの頃は「虫も殺さない良い子だったのに」という話を聞きます。実は子どもは虫を殺しても何とも思わないのかと思うほどに、羽や足をちぎったり、踏んづけたりを平気でします。「かわいそうでしょ!」というお母さんに「お母さんだって、ゴキブリ殺しているじゃん」と言い返します。
不思議ですが、虫の命、魚の命、鳥や動物の命と死を通して、命と死との大事さ、厳かさを覚えていくのです。そして人の命の大切さをしっかりと覚え込むのです。
ペットを飼ったり、虫を育てたりして命と死を見ること、またペットのように家族となるような動物で心癒される体験などは人に対しても優しさを生み出すものとなります。
殺してはならない
ユダヤ人に動物の生贄を献げるように命じた神様は、十戒の一つで「殺してはならない。」と言われています。もちろん「人を殺してはならない」ということです。
そのユダヤ人は人類を代表しています。彼らは神の子イエス・キリストを十字架にかけて殺してしまいました。それが人間の罪深さだと聖書は教えています。
しかし、神は私たちに復讐されず、イエス・キリストを信じる者を救う・赦すという道を開かれました。そこに永遠の命が用意されています。
命と死、子ども達にこの尊さを教えたいものです。