祈って見つけた花嫁
2022/2/6 礼拝説教
【テーマ】 祈りは聞かれている
【説教題】 「祈って見つけた花嫁」
【聖書箇所】 創世記24章
24:10 しもべは主人のらくだの中から十頭を連れて出かけた。主人のあらゆる良い品々をその手に携えていた。彼は立って、アラム・ナハライムのナホルの町へ行った。
創世記24章
24:11 彼は夕暮れ時、水を汲む女たちが出て来るころ、町の外の井戸のそばにらくだを伏させた。
24:12 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、【主】よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。
24:13 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。
24:14 私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」
24:15 しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはミルカの子ベトエルの娘で、ミルカはアブラハムの兄弟ナホルの妻であった。
○ 結婚されている方、皆さんはどのようにして結婚相手を見つけられましたか? 最近ではマッチングアプリで見つけるのでしょうか? これももう古くなっているのでしょうか? その昔、アブラハムの時代に息子イサクの結婚相手を決めるのにアブラハムの使用人(しもべ)が用いられます。彼はどんなことをしてイサクの結婚相手を見つけたのでしょうか?
しもべの祈り
アブラハムはしもべに託す
1.イサクが結婚したのは40才だそうです。妻となったリベカの年はわかりません。結婚して20年間子どもができませんでした。やっとイサク60才にして双子の男の子が与えられます。イサクは180才まで生きたそうですから、60才といっても若いと言えるのでしょうか?
2.さてこのイサクに妻を見つけたいとアブラハムは思ったのですが、その地域にはアブラハムの目にかなう若い女性はいませんでした。そこで、親族の住む地に行って相手となる女性を探すことにしましたが、その役目をアブラハムの信頼するしもべに託しました。
しもべは花嫁にふさわしい人を祈る
1.しもべはそこで、ラクダ10頭を連れて出かけます。他に一緒に行った人達の数はわかりません。そして、行った先、 アラム・ナハライムのナホルの町
でイサクの花嫁を見つけなければならないのですが、ネット検索などできないわけですから、それは簡単なことではありません。
2.では、このしもべのしたことは何だったでしょうか? ネットより情報の確かな神に祈ったことでした。彼の祈りはかなり具体的な内容の祈りでした。 24:12-14
そうして言った。「私の主人アブラハムの神、【主】よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」
創世記24:12-14
と。さてどうなったでしょうか?
祈りに応える神
即刻聞かれた祈り
1.こうしてしもべが祈った後というか、祈っている途中というか、リベカという美しい女性が水汲みにやってきたのです。そして、しもべが祈ったように、水を求めたところ、リベカは親切に水を汲んでくれ、さらにラクダの分も水を汲んでくれました。まさにこのしもべの祈ったとおりの女性が現れたのです。
2.このように祈ったことが即座に聞かれる場合もあります。しかし、祈ってからきかれるまでに時間がかかることは普通です。このしもべは大変具体的に祈りましたが、具体的な祈りは大事だと思われます。神は私たちが祈る前からわかっておられる全知全能のお方です。しかし、神は私たちに祈るように言われています。そして、その祈りを聞いてくださるのです。
神の応え方
1.神が「聞く」というのは文字通り、私たちの言葉に耳を傾けてくださることです。しかも、その人のことを愛をもって聞いてくださいます。だからといって私たちの願いを皆かなえるという聞き方ではありません。神のご判断があるということです。でもそれが最善です。
2.イサクも祈り心を持って待っていたのではないでしょうか? もしかするとリベカも「ふさわしい結婚相手が与えられるように」と祈っていたのかも知れません。祈りはこのように、不思議と人と人をつなぐことがあります。
祈りはすばらしい
誰でも祈ることができる
1.ここで創世記の話から離れて、「祈り」についてわずかですがお伝えしましょう。祈りというのは神との会話のようなものだと言われます。神は目には見えませんから、電話あるいはメールのようなものでしょう。でも、こちらからは語りかけられるけれど神の声は聞こえないのだから会話ではないように思われがちです。しかし、神のお声は聖書なんです。聖書をよく読んでいますと、私たちの頭に聖書の言葉つまり神様の言葉がいつしか溜まっています。それが必要な時に神様によって思い起こさせられたりするのです。
2.祈りは誰にでもできます。子どもにだって、クリスチャンでなくてもできます。会話も相手を信用して話をするのと信用していなくて話をするのでは大きな違いがあるように、神を信じて祈って欲しいのです。
イエスの名によって祈る
1.クリスチャンは祈りの最後に「イエス様のお名前を通してお祈りします」というようなことを言って祈りを締めくくることが多いです。これはなぜかというと、私たちは本来神に祈ることさえできない神と離れてしまった存在だったのです。しかし、イエスが十字架で私たちの身代わりに罪を負ってくださったことで、私たちは文句なしに神に直接お話しできるような存在にしていただけたのです。
2.権威ある方の名前の元には人々はひれ伏します。有名な「このお方を誰と心得る。先の副将軍水戸の光圀公にあらせられるぞ」と印籠を出すとその権威にひれ伏します。イエス・キリストの名前はこの全世界をお造りになった神の子のお名前ですので、すべての権威をお持ちなのです。ですから、イエス・キリストと家族にしていただいたクリスチャンはそのお名前を使うことができるのです。
★ 神はあなたの祈りをも聴いておられます。そして、神の語る言葉も聞いて欲しいと願っておられます。聖書をぜひお読みください。そして、いつでも神とお話のできる人となっていただきたいと思います。
Posted by shinnakano
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