礼拝メッセージ
藤井牧師

妻たちよ、夫たちよ

礼拝メッセージ

2021/4/25 礼拝説教
【テーマ】  クリスチャンの生き方
【説教題】 「妻たちよ、夫たちよ」
【聖書箇所】 エペソ5:21-27

5:21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。
5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
5:23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。
5:24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

エペソ5:21-27

○ 今日の聖書箇所は結婚式でもよく読まれるところですし、結婚講座で必ず学ぶところです。また最近有名になっている本に「妻のトリセツ」「夫のトリセツ」があります。この著者の黒川伊保子さんが以前に書かれた「恋愛脳」「夫婦脳」は結婚前の男女に呼んでもらうようにしています。ある先生は「話を聞かない男、地図が読めない女」を読むようにと言われていたそうです。そういう脳科学が進んでいない時代のパウロの時代にも夫婦の問題は多々あったようで、教会でも夫婦の問題はありました。そこで、夫婦について語っています。しかし、ここは単に夫婦のことだけを言っているのでは無く、キリストと教会の関係にまで及んでいるのです。 

キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。 

エペソ 5:21

の実践編として、ここから妻と夫、奴隷と主人、子どもと親の関係にも繋がっている言葉です。

神のつくられた秩序を壊すなら

神のつくられた幸福の秩序

    1.ここは、 

御霊に満たされなさい。 

エペソ 5:18

から関連しています。御霊に満たされてこそ、互いに仕え合うこと、従い合うことが本物になってくるからです。言い換えるならば上辺だけの仕え合い、従い合いはどこかで必ず破綻するのです。夫婦でも御霊に満たされて生活することが必要なのです。

    2.最初に 

妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。 

エペソ 5:22

から始まります。「夫に従え」これは女性が男性より劣っているということではありません。神が幸福の秩序として定められた順序があります。神の御子イエス・キリストは完全に父なる神に従われました。神として差があるはずはありませんが、イエスが父なる神に従うことで世界の秩序が整うのです。

    3.同じように夫婦の間でも妻が夫に従う事で幸せな家庭としての秩序が整うのです。しかし、ここのところはよく物議をかもし出します。「妻はどんな夫にでも従わなければならないのですか?」と。どう思いますか? 

家庭を崩壊する考え

    1.昔、イギリスのある王室で結婚式がありました。女王に繋がる家族だったそうです。結婚するその女性は、英国教会の自分たちの結婚式の司式をする司祭に、「夫は妻の頭」という聖書の言葉を読まないように、と言ったということが、日本の新聞でも伝えられたらしいのです。この夫婦は離婚になったそうです。「妻が夫に従う」というのを勘違いしています

    2.また、ユダヤ人が旧約聖書を間違って解釈してしまったがために、問題が起こっています。 申命記24:1 人が妻をめとり夫となった後で、もし、妻に何か恥ずべきことを見つけたために気に入らなくなり、離縁状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ、 の 恥ずべきこと を厳格派のラビ・シャンマイは姦淫に限るとしていたのですが、リベラルのラビ・ヒレルは色々なものに適用しました。「他の男性と話をした」「夫の親の悪口を言った」「食事がまずい」「口うるさい」などで離婚を認めたのです。さらにラビ・アキバは「魅力的な女性に出会ったら、夫は妻を離婚してもよい」と教えたそうです。ですから、当時のユダヤでは夫の横暴が公然と許されていたわけです。

    3.しかし、ギリシャやローマではもっと悪かったらしいです。女性が一箇の人格と見なされず、古代ローマの家庭生活はほとんどが壊滅状態にあったとさえ言われます。神のつくられた秩序に反すると家庭だけでなく、社会も崩壊するのです

神のつくられた秩序を回復するなら

イエスは命をかけて教会を愛された

    1.そういう時代にあって、パウロは神の御前に男女は平等だと解きます。妻に向かって語っているのは決して単なる服従を要求しているのではありません。 教会がキリストに従うように という意味で従う事を言っています。
    2.つまりそこにはキリストが教会のために命を捨てられたように、夫が妻のために命を捨てる愛をもっているから成り立つ言葉なのです。「夫婦は互いに愛し合いなさい、仕え合いなさい」ということです。
    3.それはイエスが人々から捨てられても人々を愛し続けられたように、自分が愛されなくても相手を愛し続けるということなのです。ただ、私たちは人間なので、難しいのは事実です。聖霊に満たされる必要を感じます。

私たちもイエスのように愛する

    1.イエスと教会の関係を見てみましょう。イエスは教会を愛されました。 キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられた とあるように、イエスは「私に仕えろ!」とは要求なさいませんでした。むしろ、 

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。 

マタイ20:28

と、イエスは「仕えるために来た」と言われています。

    2.若いカップルの男性は「彼女を命をかけて守る!」と本気で言います。すばらしいです。それはまた結婚の誓約にもなっています。「あなたは、神の教えに従って、夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健康の時も、病いの時も、富める時も、貧しき時も、いのちの日の限りあなたの妻に対して堅く節操を守ることを約束いたしますか。」と聞き、「約束します」ときっぱり答えるのです。

栄光の教会を建て上げるため

    1.アダムとエバ以来人類は罪のために夫婦、家庭、社会が崩壊に向かいました。そこで、イエスは天国の関係を示すために教会をおつくりになりました。しかし、単なる集まりでは天国化しません。「互いに愛し合うこと、仕え合うこと」で成り立ちます。

    2.イエスの願いは 

キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 

エペソ 5:26-27

ということです。

    3.教会の最小単位は夫婦と言われます。イエスはあの結婚の誓約を忠実に守ることを願い、それによって天国の家庭を築かせ、さらに天国の教会を築かせ、さらに天国の社会を築かせたいのです。〇〇主義でそういう社会をつくるのでは無く、聖霊に満たされてつくる家庭、教会、社会です。それが神のつくられた秩序を取り戻す方法なのです。

★  妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
  夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。