100才の父、90才の母

礼拝メッセージ

2022/1/23 礼拝説教
【テーマ】  不可能を可能にする神
【説教題】 「100才の父、90才の母」
【聖書箇所】 創世記21:1-7

21:1 【主】は約束したとおりに、サラを顧みられた。【主】は告げたとおりに、サラのために行われた。
21:2 サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
21:3 アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。
21:4 そしてアブラハムは、神が命じられたとおり、生後八日になった自分の子イサクに割礼を施した。
21:5 アブラハムは、その子イサクが彼に生まれたとき、百歳であった。
21:6 サラは言った。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」
21:7 また、彼女は言った。「だれがアブラハムに、『サラが子に乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、主人が年老いてから子を産んだのです。」

創世記21:1-7

○ 初代教会の人たちはイエスの再臨がもうすぐあると信じていました。でもそうではありませんでした。2000年たった今もなお再臨は来ていません。彼等の信じたことは間違いだったのでしょうか? いえ、再臨はあります。いつなのかという点では私たちは勘違いしやすいようですが。現代も「再臨は近い」と言っています。確かに2000年前よりは近いです。アブラハムの子どもを与えると神は言われたのになかなか実現しません。

不可能と思うような神の計画

信じられないような神の約束

    1.アブラハムが神の言葉をいただいてカランを出たのは75才でした。そして先週語った、15章の神の約束は、アブラハムが思ったしもべが相続人になるのは間違いで、アブラハム自身から子孫が誕生するという約束でした。

    2.ですが、おばあちゃんになってしまったサラには子どもが産めないと思うのは普通ではないでしょうか。16章で 16:1 アブラムの妻サライは、アブラムに子を産んでいなかった。 とあるように、かなりの年月が過ぎてもサラ(サライ)は子どもを産めませんでした。まして年月が過ぎて、100才と90才の夫婦に子どもを与えると言う神の約束、誰が信じられるでしょうか? 

    3.イエス・キリストを信じるだけで救われるということも、神の約束ですが、とても信じにくい話です。でもそれが神の約束です。

人の計画は神の計画と違う

    1.相当の年寄りになったサラは若いエジプト人の女奴隷ハガルを連れてきて彼女によって子を得ることにしました。 16:16 ハガルがアブラムにイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。 とあります。アブラハムはイシュマエルから子孫が増え広がることを神に願いましたが、これも間違いでした。

    2.サラが勧めた女奴隷ハガルによって子どもを得ることが神のみこころと思ってもおかしくないと思います。なにしろ、それでもアブラハムの子ですから。こういうように私たちも自分で信じやすいことを神の計画と思いやすいものです。

神の言葉は必ず成る

必ずアブラハムとサラから跡取りが生まれる

    1.しかし、神は90才になろうとしているサラによって子を与えると言われました。 わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える と。イシュマエルはすでに生まれているのです。この子の存在は大きいです。しかし、この子がアブラハムの跡継ぎではないということでした。

    2.神はあくまでもアブラハムとサラから子孫が誕生し、繁栄することを語られました。17:15-16  また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。と。

神の言葉に間違いは無い

    1.そして、遂に90歳になったサラが男の子を産むのです。神の約束が実現しました。なんと長い年月待たされたことでしょう。しかし、神はご自分の言われたことは必ず実現されるのです。それが人にとっては不可能に見えることであっても、神にはできるのです。

    2.アブラハムはまだ十分に神を信じ切っていない状態でしたが、こうしたことを通して信仰が成長させられていくのです。サラが妊娠したことを知ったとき、アブラハムはどれほど驚いたでしょうか。そして、神の言葉は間違いないということを確信し、喜びに満ちるのです。

    3.私たちはその神の言葉を「聖書」という書物でいただいています。ここには私たちが救われるという約束があるのです。それは間違いない事実です。

不可能を可能にされる神

信じたからこそ信仰は成長する

    1.聖書には不可能を可能にする神を信じた人が次々登場します。クリスマスは1ヶ月前でしたが、マリアもその一人です。マリアは天使から ルカ1:37神にとって不可能なことは何もありません。 と言われたことを信じたのです。そして、私たちも処女マリアからイエスが誕生するという不可解な話を信じているのではないですか。

    2.アブラハムとサラは彼等をこの地に導いた神は「不可能を可能にする神」だということを知りました。だからアブラハムは信仰の父と呼ばれたのです。しかし、誰も最初から素晴らしい信仰者であったとは思いません。しかし、確実に信仰は成長していくのです。信仰が成長するというのはこの不可能を可能にされる神に近づくことです。

イエスは不可能を可能にした神

    1.イエスは伝道活動されるようになって人々が信じられないようなことを次々なさいました。ヨハネはイエスがなさった不思議をそれこそ7種類集めて福音書に記しました。①水をぶどう酒に変える(2章)、②役人の子を会わずに癒す(4章)、③38年病気だった人の癒し(5章)、④5000人の給食(6章)、⑤水の上を歩く(6章)、⑥生まれつきの盲人の癒し(9章)、⑦ラザロのよみがえり(12章)。これは人には不可能です。なのに人となられたイエスはこの不可能を可能にされたのです。

    2.私たちはどうでしょうか? 不可能を可能にする神であることを信じているでしょうか? 私たちの願っていることを実現してくれる神ではありません。神の願いを私たちが実現していくために神は不可能を可能にもされるのです。神のなさるわざを見てわくわくしようではありませんか。

★ 不可能を可能にするのは神です。あなたはそれを信じますか? あなたの救われていない家族を救うことができるのは神であることを信じますか?