全ての人に福音を届ける
今が救いの時

全ての人に福音を届ける

礼拝メッセージ

 2023/1/8 礼拝説教
【テーマ】  今が救いの時
【説教題】 「全ての人に福音を届ける」
【聖書箇所】 伝道者の書12:1

12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

伝道者の書12:1

○ 今日は成人者祝福式を行うのですが、成人者の年齢が18才となり選挙権が与えられました。とはいえ、まだ何もかもが18才から成人と同じとみなされていません。しかしその内、教会でも成人祝福式を18才で行うようになるのかも知れません。18才というのは大きな変化の年齢なのでしょうね。

神を信じた

    1.私毎で恐縮ですが、私がクリスチャンになったのは18才の誕生日から20日過ぎた頃でした。ここで私の人生は大きく変わりました。子どもから大人になったというような変化ではありませんが、世界に対しても、人に対しても、自分に対しても見方が変わりました。そして何よりも変わったのは見えない世界、神に対して変わりました。

    2.私はずっと神はいないと思っていたからです。科学で全てのものは証明されると思い込んでいましたし、進化論を信じ込んでいましたから、人間の祖先は類人猿であり、その前は猿だと思っていました。だから、私より少し猿に近い親を尊敬する気にもなれませんでした。

    3.宇宙はビッグバンででき、偶然に偶然が重なって地球ができ、また偶然に偶然がかさなってアメーバができ、さらに偶然に偶然が重なって人間へと進化したと信じていました。しかし、そう信じていたもののビッグバンの前はどうだったのか? とか、宇宙の果てはどうなっているのか? とか、死ぬとどうなるのか? 科学を信じ込んでいた割には何もわかっていませんでした。

    4.また、キリンの首は進化して長くなった話だとかを聞くと変だなあと感じていましたし、木の葉そっくりの昆虫などが進化でできるだろうかと疑問に思ったり、春になると枝から葉っぱが出てくるのもとても不思議でした。勝手にできたということですから。こんなにすばらしい自然が勝手にできるのだろうかと不思議でした。

    5.それらのことがイエス・キリストを信じただけで何もかも解決してしまったのです。わかったという意味ではないのですが、神がそのようにされたということで解決したのです。じゃ、「神は誰が創ったのか?」と言われると「最初からおられた」としか言えないのですが・・・でも、解決したのです。

    6.そのきっかけとなったのは神なんているわけがないと信じ込んでいた17才の終わり頃のことでした。大学受験を控えていた私の目が見えにくくなったのです。近視とかそういうのではないのです。全体に暗くなって本が読めなくなって、いつも通っていた目医者に行きましたら、1時間もかけて先生は検査しました。そして「視神経が半分死んでいる」と言われ、「そのままでは失明する」と。そこで、紹介状をいただき、大学病院へ行くのですが、その前にクリスチャンの母が手を置いて祈ってくれました。ところが、大学病院で検査すると「視神経には何の問題もない」というのです。視力表や本を見ると確かに見えるのです。もう一度カルテをもらって目医者に行きましたら、「そんな馬鹿なことがあるか!」と先生は私の目を調べました。「生き返っている!」と言われるのです。そうです、視神経は生き返っていました。この体験は私には大変大きな体験で、「神はいるのだろうか?」という大きな疑問へと発展したのです。

    7.でも、「神なんているはずがない。母が祈ったからなんて関係ない。治ったのは偶然だ」と言い聞かすのです。が、どうしても「偶然治った」ということが信じられないのです。確かに目は見えにくくなっていたのです。目医者さんは視神経を見て「半分死んでいる」と言ったのです。わけがわからなくなりました。

    8.そうして2週間ほどして大学受験が終わりました。すると、母が「高校生バイブルキャンプ」のチラシを手渡し、「行ってみないか」と言うのです。いつもなら、「誰がこんなの行くかぁあ!」と握りつぶされてゴミ箱行きのチラシのはずでした。ところが、この時は急に「バイブル」という言葉に興味が湧き、「行ってくるわ」と言って、教会に自ら申込み書と参加費を持って行きました。

    9.キャンプというのでテントで寝るのかと思っていたら、きちんとした建物の中で寝られましたし、食事もおばさん達が作ってくださっていました。最初はソフトボールをしてとても楽しく遊びました。この時感じたのはここに来ているクリスチャンと呼ばれる高校生がとても明るいということでした。高校3年の私のクラスと全く雰囲気が違って驚きました。一気に私はこの人達、クリスチャンが好きになりました。

    10.夜になって最初のメッセージを聞いたのですが、その時私は「神はいる」「イエス・キリストは神だ」と信じられました。まだ知識がしっかりあるはずもありません。ですが「クリスチャンになる」と決めましたし、洗礼も受けると決めました。二泊三日の楽しいキャンプを終えて家に帰ると真っ先に母に「おれ、クリスチャンになったから」と言って、次の日曜日から教会に行きました。まず休むこともありませんでした。

    11.私は若い日に創造者・神を信じて本当によかったと思っています。私の人生は幸いです。

早いほうがいい

    1.海神学生やレナン神学生のようにクリスチャンホームに生まれイエス様を信じるのが普通の状態で成長してきた人もいます。私なんかよりもっと若い日に創造者を信じておられたのです。それを聞くと「私ももっと早くにイエス様を知っていればなあ」と思ったものです。

    2.しかし、チャンスはあったのです。小学四年生の時に母に言われて教会学校に行ったのです。が、面白くなくて1ヶ月くらいでやめてしまいました。「続けていればよかったのになあ」とつくづく思いますが、微妙な年齢の男の子には女の子ばかりのクラスに女の先生、聖書のお話だけのような時間は耐えられなかったのだと思います。

    3.ですから、18才でクリスチャンになった私は幸いです。私の父も妻の両親も亡くなる少し前にクリスチャンになるのですから、「もっと早くにクリスチャンになってくれていれば」とは思いましたが、天国で会えるという幸いを神様はくださったので、本当に感謝しています。

    4.年配の方にとって、遅すぎるということはありませんが、少しでも早くクリスチャンになっていただきたいです。ですから、若い人はもちろん、クリスチャンになっていただきたいです。いつ?!「今でしょ!」(もう古い言い方ですね)

喜びがある人生

    1.神様のために働くというのはとてもすばらしいものです。私は教師時代、生徒達のために祈りながら仕事が出来たことを嬉しく思っています。たくさんの生徒が教会に来ました。色々不思議も起こり、祝福された教師時代でした。

    2.牧師になって体を壊し、新中野教会に来てさらに体を壊してしまいましたが、 「何の喜びもない」 ということを体験していません。そりゃ、辛いこと、苦しいこと、痛いことはいっぱいあるのですが、神様からいただく喜びというのは何か次元が違うのでしょうね。そんなものを抱えながらも不思議な喜びに満たされるのです。それはイエスの弟子達と同じだと思います。

★ 少しでもあなたの若い内に、イエス・キリストを信じませんか。聖書はあなたの幸せはそこにあると言っています。最後にもう一度御言葉を読みます。 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。