高校受験を前にして
過去の栄光?
「歳をとると過去の栄光を語りたがる」と言うのを聞いたことがあります。先日、若い人たちに話をして欲しいと頼まれましたのですが、有名人のようにおもしろい話が語れるわけでもなく、すごく悩みました。結局自分の若い時を思い出してそこから語ったのですが、「栄光」の無い私は過去の出来事を語ったに過ぎませんでした。
この子育て通信でも毎回何を書くか悩むのです。回数は多くなりましたが、似たようなことの繰り返しをしているのかもしれません。ただ、読んでくださる方が変わってきているので、なんとか繋がっているだけのような気がします。
「高校に行かない!」
私の人生は18才で大きく変わり、その後 28才でまた大きく変わりました。少し自分史的なことを書いてみたいと思います。
幼い時のことからではなく、その18才より少し前、15才の高校受験の頃からまず書いてみます。
私は大阪府立三島高校という大阪府立の69番目の新設校に入学しました。
中学3年生の進路を決める頃、「高校になんか行きたくない!」と言って父親に怒鳴られ、「オレは大工になる」と言ったのですが、なれる自信があったわけでもありません。父親から「今の時代(もう50年ほど前の事)、高校も出ないで何ができるか!」と怒られ、1週間ほど真面目に考えました。「大学には建築科というのがあって建築士にもなれるんやぞ」と叔父の話も聞いて、とりあえず高校に行く気になったのです。
模擬テストが学校であったので、受けたのですが、本当にできない自分に愕然としました。そりゃ、受験勉強なんかしていないわけですから当然でしょう。
塾に行かないから
かなりの友達が3年生になると塾に行っていました。そこで、塾に行っていないあまり勉強の好きで無い連中と遊んでいましたが、これでは高校行けないかも知れないという不安が募って、2学期から受験勉強しようと意識しました。
塾に行ってないので、学校の授業を大切にしようと決めました。何をしたかというと、授業中に理解しきるようにしようと、予習したのです。そして、先生を睨みつけるようにして授業を聞くことにしました。これは正解でした。が、疲れました。45分の授業に集中するとクタクタになるとわかりました。でも、授業はよくわかるようになりました。予習しているので、わからなかったところはしっかり聞いて、それでもわからないところは質問しました。
2学期中頃からは、受験用試験問題と小テストを買ってきて、解答時間の半分でやるという方法をとって挑戦しました。そのペーパーが100点取れるまで、繰り返すという方法をやってみたのです。これがとても私には良かったようで、成績的にも府立高校には入れるということを担任から言われました。
我が家は経済的に厳しい家でしたから、府立高校に入れないとダメでした。私立高校受験は頭から考えませんでした。友達は滑り止めとしての私立高校を決めていたのですが、私はそれができませんでした。確実に入れる府立高校を決める必要があったのです。
ところが、自分の実力がよくわかってないですからかなり上の学校を目指してしまったのです。担任から「そこはやめろ」と言われるのに「そこに行きたい」と言い続けたりして担任を悩ませました。当然受からない高校です。
受験校を決める
友達と高校を見に行こうと言って、日曜日に出かけました。学校の中は見学できないのですが、外から見たり、通学路を確認したりして楽しく思いました。
最後に建築中の府立第69高校を見てきました。一つだけの校舎がまだ建築中で、グランドもできていないし、塀も無いのです。ところが、ここを見た途端、「ここに来たい」と、どういうわけか思ってしまったのです。
担任に「69高校に行きたい」と言いましたらすぐにOKが出ました。というのも、私がずっと行きたいと言っていた高校は絶対無理でしたから、この新しい高校は先生方も入りやすいと考えておられて、私が変更したことでホッとされたのです。
行きたい学校が決まるとやる気が出るものですね。ただ新設校なので、どれ位の点をとれば合格するのかも全くわかりませんでした。
ジベレリン
「塾に行ってないのだから」と私は引き続き、授業中に集中する方法をとりました。これは段々楽しくなってきました。理科の先生が授業中に少し話された「種なしぶどうを作る植物ホルモン・ジベレリン」のことが頭に残り、授業が終わると先生に聞きに行きました。先生もそんなことを聞きに来る生徒がいるのに驚かれたようでしたが、詳しく説明してくださいました。そして、「ジベレリン」が花屋か薬局にあるのではないかと教えてもらって、私は早速探し回りました。
花屋と薬局を何軒も回りましたが、どこにも売ってないのです。諦めかけて、種を専門に売っている店に行くと、「そんなのあったかな?」と言いつつ、奥のおじいさんにも聞いてくださいました。すると、「あー、もしかして、これか?」と小さなビンに入った白い粉(今だと白い粉は怖いですね(笑))を出してきてくださいました。そして、「こんなもん、何に使うんや?」と。「種なしぶどうを作るホルモンって聞いたので、他の植物にも試そうと思って」と言うと「へーー」と。
私はこのジベレリンを庭にあった植物に次々吹きかけていきました。ほとんど何の変化も無かったのですが、サルビアは成長が早くなって、花を咲かせず終わりました。「やはり種なしぶどうを作るのがいいなあ」と思ったことでした。
願書提出
また、問題集は各ページ100点を取るまで繰り返してやるという方法も継続しましたが、これはとても効果的だったみたいです。この方法は、大学受験にも役立ち、私が大学生時代に家庭教師をした時にも生徒にさせた方法ですが、とても効果的でした。
そして、第69高校に願書提出をしました。しかし、新しい高校だけにどれ位の受験者があるのかわかりませんでした。先生方の予想は大した競争率では無い、成績上位の生徒は受験しないと思われたので、私のような生徒も担任は安心して受験させてくれたみたいです。
いよいよ受験
こうして3月15日だったか、府立高校の受験日、まだ寒い日で雪がちらつきました。その日は確か「大阪万博」のオープンの日でした。
相変わらず校舎が一つポツンとあるだけの第69高校(まだ三島高校という名前もついていませんでした)、塀も無いので、どこからでも入れました。この校舎の3階、外のよく見える窓側の席、前から2番目が私の席でした。
配られた試験問題を見ると勉強してきた内容のものでした。だからといってできたわけではありません。国語と英語は苦手だったので、どれくらいできたのでしょうか? 数学と理科は比較的得意だったので、結構良い点を取ったと思っています。
さて、結果は? 合格しました。競争率は低く、確か男子は250名募集で20名弱だけが落ちたと思います。女子はかわいそうで、230名募集のところ、170名ほどが落ちたと聞いています。ですから私も合格できたわけですが、この高校がなかなか面白い高校でした。学力が低いと思われていたのですが、私たち一期生の大学進学状況はとても良かったのです。
この時、私はまだ知らなかったのですが、母はイエス・キリストにお祈りしてくれていたのです。
「神なんかいない!」と母に反抗した私のために母は祈っていたのです。「神はいない」と言いつつ友達からもらったお守りをなぜか筆箱に入れていたのですが。
3年後、大学受験となって、私は母の祈りのありがたさを知ることになりました。