ヨナの怒り
ヨナの怒り

ヨナの怒り

礼拝メッセージ

2021/10/17 礼拝説教
テーマ:情け深くあわれみ深い神
説教題:「ヨナの怒り」
テキスト:ヨナ3:1~5,10、4:1~11

3:1 再びヨナに次のような【主】のことばがあった。
3:2 「立ってあの大きな都ニネベに行き、わたしがあなたに伝える宣言をせよ。」
3:3 ヨナは、【主】のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。
3:4 ヨナはその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って叫んだ。「あと四十日すると、ニネベは滅びる。」
3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。
3:10 神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。
4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、
4:2 【主】に祈った。「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。
4:3 ですから、【主】よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。」
4:4 【主】は言われた。「あなたは当然であるかのように怒るのか。」
4:5 ヨナは都から出て、都の東の方に座った。そしてそこに自分で仮小屋を作り、都の中で何が起こるかを見極めようと、その陰のところに座った。
4:6 神である【主】は一本の唐胡麻を備えて、ヨナの上をおおうように生えさせ、それを彼の頭の上の陰にして、ヨナの不機嫌を直そうとされた。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜んだ。
4:7 しかし翌日の夜明けに、神は一匹の虫を備えられた。虫がその唐胡麻をかんだので、唐胡麻は枯れた。
4:8 太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱り果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」
4:9 すると神はヨナに言われた。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」 
4:10 【主】は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」

ヨナ3:1~5,10、4:1~11

ヨナの不従順

ヨナは、紀元前8世紀前半の北王国イスラエルの預言者である。当時、北王国はヤロブアムⅡ世の支配下にあり繁栄していたが、アッシリヤ帝国の脅威におびえていた。愛国者のヨナはこの帝国が滅ぶことを願っていたようだ。そのヨナに、主はニネベの人々が悔い改めるように叫べと命じる。愛に満ちた神は、異邦の国であってもニネベの悪に心を痛め、救いを願っておられた。だが、ヨナは主の命令に背き、タルシシュ行きの船に乗ってしまう。すると、神は暴風を起こされた。船長は、ヨナに祈るように頼むが、ヨナには祈る力もなかった。船長たちは、だれかのせいでこんなことが起きたと言い、くじを引くとヨナに当たった。そこでヨナは、このような嵐に見舞われたのは自分の不従順のせいだから、自分を海に投げ込むよう船員たちに頼む。どんなに主の御顔を避けようとしても、逃れることは出来なかったのである。こうしてヨナは、不従順によって神の裁きを受けたが、それで終わりではなかった。主は大きな魚を使わして、ヨナを助けた。ここでようやく彼は祈り、神に感謝をささげることができたのだった。

ヨナの怒り

大きな魚の中で三日三晩過ごしたヨナは、陸地に吐き出された。そして、今度はニネベに行き、「あと四十日すると、ニネベは滅びる」と叫び歩いた。ここで、じっくりと聖書を読むと、ヨナは「滅び」を叫んだが、「悔い改めるなら救われる」ことを言っていない。それで、ニネベの人々は「3:9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。」と思い、彼らはひたすら神に願い、悪の道から立ち返ったのだった。私たちは自分の努力で救われるわけではない。しかし、罪を認め、悔い改めの決心をすることは必要である。そうするならば、神は救ってくださるのである。こうして、ニネベの人々は滅ぼされずに済んだのだが、これを見たヨナは憤慨する。ニネベは滅びると自分は言ったのに、そうならなかった。ヨナは、自分の願いが実現しなかったために「死んだほうがましだ。」と自暴自棄に陥ってしまう。もちろん彼は、主が「情け深くあわれみ深い神」と知っていたので、悔い改めたニネベの人々を救ってくださることはわかっていた。それならば、「滅びる」だけではなく、「悔い改めるなら救われる」と言えば良かったのに‥。だが、彼は悪事に満ちた敵国の救いを望んでいなかった。

情け深くあわれみ深い神

怒りに満ち、死んだほうがましだと捨て鉢になったヨナに対して、神はまたしても救いの御手を伸べる。主は、ヨナが自分のあやまちに気づくように、一本の「とうごま」を用いられた。ヨナは、町外れに仮小屋を建てて様子をうかがっていたが、そこに主は「とうごま」を生えさせ、日陰を作ってくださった。これに気を良くしたヨナだったが、神は虫を使って、一夜にして「とうごま」を枯れさせた。そればかりでなく、熱風を吹かせてヨナを苦しめた。この事態に、ヨナは再び「死んだほうがましだ」と叫んでしまう。しかし、そんなヨナに主は語りかけられる。ヨナ書の最後のこの場面はとても印象的である。(4:9~11参照)ここでヨナは、恐らく悟ったのではないだろうか。主は、イスラエルだけではなく、全世界の人々を愛しておられることを。それゆえ、ニネベの人々をも惜しまれた。また駄々っ子のようなヨナさえも惜しみ、諭してくださった。さらに、私たち全てをも惜しんで、イエス様を遣わされた。こんな罪深い私たちを惜しむゆえに、ご自身のひとり子であるお方を、惜しまずに私たちに与えてくださった。主はなんと情け深くあわれみ深い神であろうか。

結び)

私たちは自分の思いどおりにならない時、今回のヨナのように、神様に文句を言い、「死んだ方がましだ」とすねてしまうことはないだろうか。しかし神は、そんな私たちを惜しむゆえに、ご自身のひとり子であるお方を、惜しまずに私たちに与えてくださった。情け深くあわれみ深い神に心から感謝をささげていこう。