世界初の殺人事件から学ぶ
世界初の殺人事件から学ぶ

世界初の殺人事件から学ぶ

礼拝メッセージ

2021-10-10 礼拝説教
【テーマ】  罪人と礼拝
【説教題】 「世界初の殺人事件から学ぶ」
【聖書箇所】 創世記4章

4:1 人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、【主】によって一人の男子を得た」と言った。
4:2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。
4:3 しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを【主】へのささげ物として持って来た。
4:4 アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物に目を留められた。
4:5 しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。
4:6 【主】はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。
4:7 もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」
4:8 カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。
4:9 【主】はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」カインは言った。「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」
4:10 主は言われた。「いったい、あなたは何ということをしたのか。声がする。あなたの弟の血が、その大地からわたしに向かって叫んでいる。

創世記4章

○ 日本の治安は世界でも大変よいと評価されています。なぜなら殺人事件は年間300件強??と他国と比べてずば抜けて低い数値です。よっぽどサスペンスドラマでの死者数は多いのではないかと思ってしまいます。ただ、自殺者数は年間3万人と言われますので、これはまた考えさせられます。しかし、どうして人が人を殺すのでしょうか? 今日は人類初の殺人事件をから考えてみたいと思います。

子育てと礼拝

子育ての喜び

    1.前回、罪の無かった人間に罪が入ってきた話をしました。そのためにアダムとエバはあの快適なエデンの園を追い出されてしまいました。エデンの園での仕事は楽しいものだったと思います。しかし、そこを追い出されて、果たして仕事はどういうものと化したのでしょうか。

    2.それでも子どもが生まれたことはとても嬉しかったでしょう。子育ての本やYouTubeも無い時代に初めての子育てをして、子どもが大きくなって仕事をするようになるのを見るのは楽しいことだったと思います。

    3.アダムとエバにとってカインは当然喜びの子です。親が子どもを喜ばないはずがありません。それは単に赤ちゃんでかわいいというだけではありません。赤ちゃんを見ていると、神様と共に過ごした時を思い起こしたのではないでしょうか。全く親に依存しきっているカイン。親の働きかけ無しに生きていけないカイン。子育てはまさに神と人との関係を教わっている気がします。

礼拝の喜び

    1.カインもアベルも大きくなってそれぞれに仕事をするようになりました。そして、神にささげ物をするということがいつしか行われていました。それは礼拝です。アダムとエバはエデンの園にいたときから自然な礼拝、つまり神との親密な交わりを体験してきました。しかし、神と断絶しエデンの園を追い出されてからは礼拝のスタイルも変わったでしょう。

    2.彼等はあの 3:24 こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。 という場所に来て祭壇をつくり、自分たちの罪の赦しを願って神が動物の毛皮で作ってくださったことで思いおこされる動物の身代わりから、生贄を捧げる、あるいは地の産物を与えられたことを感謝してその産物を捧げて礼拝を行ってきたのかも知れません。

    3.そうしたアダムとエバの礼拝行為はカインとアベルにも引き継がれ、罪が入り込んだ問題を辛い思いを込めて子どもに語ったことでしょう。しかし、またエデンの園での楽しかった生活、神様との親しい交わりのことも喜びを持って語ったのではないでしょうか? 罪を犯した辛い話と、神と共に過ごした喜びの話を語るような礼拝ではなかったでしょうか。

妬みの恐ろしさ

カインの怒り

    1.どれほどの期間をアダムとエバは幼い子達と過ごしたのでしょうか。大きくなったカインとアベルはそれぞれに仕事をしてその得たものから神様に捧げ物をする礼拝の時を持ちました。しかし、その捧げ物で問題が起こりました。アベルの捧げ物は神に受け入れられたのに、カインの捧げ物は受け入れられなかったのです。

    2.その理由が聖書からわかるのは、3-5節の 

カインは大地の実りを【主】へのささげ物として持って来た。
アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物に目を留められた。しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。

創世記4章3-4

です。どうやら捧げ物というより、彼等の神への思いにあったのではないでしょうか。アベルは神様に最高のものを献げようとしたようです。一方カインはそのようには考えなかったようです。このことでカインは神に申し訳なく思ったのではなく、 カインは激しく怒り、顔を伏せた とあります。
      (参照 ヘブル11:4、Ⅰヨハネ3:12)

カインの妬み

    1.神はアベルを喜ばれカインを喜ばれなかったので、カインは腹を立てますが、同時にそれは妬みでした。アベルが神に喜ばれていることで妬んだのです。さらにその思いはアベルに対する怒りになり、殺人へと発展しました。

    2.Ⅰコリント13:4

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

Ⅰコリント13:4

 とあるように、妬みは神の求める姿ではありません。弟の方が神に愛されているように感じ、その弟に腹を立ててしまうのです。自分の側の問題なのに、弟を憎んでしまうというカインの罪です。

即座に罪を認めること

悔い改め

    1. 「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」 一瞬、神から身を隠したアダムとエバに語られた言葉のように聞こえます。罪を犯したために隠れてしまったアダムとエバ。しかし、アベルは隠れてはいません。アベルこそしっかり神の前に出ていました。一方、カインが隠れているのです。

    2.ここでカインは神に即座に謝るべきだったのです。悔い改めるべきだったのです。神はすぐに罰を下したのではなく、カインから悔い改めの言葉が出る時間を用意されていたのです。私たちも罪を犯した時、悔い改める時間が与えられています。

良きものを献げよう

    1.人の心は神の前に正しく歩もうともし、また反対に悪への道を歩もうともします。悪しき道に行かないように自制すべきなのですが、人は楽な楽しいと思える悪しき道に行きやすいようです。それは罪人となったからです。ですから、神の前に出て礼拝し、感謝を捧げ、神第一の生き方をしようと努力すべきなのです。

    2.悪しき方向に流れるのではなく、神に喜ばれる正しい道を歩もうではありませんか。アベルが最も良き生贄を献げたように、私たちも良きものを献げましょう。生贄は犠牲です。献金は私たちにとって犠牲です。しかし、神との良き礼拝を守っているときにはそれが喜びとなります。

★ 人は何と悪しき方向に流れやすいのでしょう。私たちは常に自己吟味が必要です。そして、日々、悔い改めるべき事を見出したら即座に悔い改めるのです。そして、喜びの礼拝を、最高のものを献げる礼拝をしようではありませんか。

  1. エデンの園を出されたアダムとエバはどうしたでしょう?
  2. カインはなぜアベルを殺したのですか?
  3. 神はカインを嫌ったのですか?
  4. この話から私たちは何を教えられますか?
  5. あなたはどうしますか?