祈りはサタンを打ち負かす
支え合う教会 出エジプト17-18

祈りはサタンを打ち負かす

礼拝メッセージ

2022/5/15 礼拝説教
【テーマ】  支え合う教会
【説教題】 「祈りはサタンを打ち負かす」
【聖書箇所】 出エジプト17:8-18:25

17:8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。
17:9 モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
17:10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。
17:11 モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。
17:12 モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。
17:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち破った。

18:19 さあ、私の言うことを聞きなさい。あなたに助言しましょう。どうか神があなたとともにいてくださるように。あなたは神の前で民の代わりとなり、様々な事件をあなたが神のところに持って行くようにしなさい。
18:20 あなたは掟とおしえをもって彼らに警告し、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを知らせなさい。
18:21 あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなさい。
18:22 いつもは彼らが民をさばくのです。大きな事件のときは、すべてあなたのところに持って来させ、小さな事件はみな、彼らにさばかせて、あなたの重荷を軽くしなさい。こうして彼らはあなたとともに重荷を負うのです。

出エジプト17:8-18:25

○ 皆さんは祈る時、どんな姿勢で祈りますか? 目を閉じて、下を向いて、両手は組んで、静かに祈る、あるいは黙って祈るのが普通でしょうか? 絵画で「祈りの手」を見ると開いた手を合わせています。また祈る人の写真などを見ると両手を上げて、上を向いて祈っています。実際、イスラエルの祈りはこのような感じだったみたいです。また声に出して祈るのが普通だったみたいです。どうしてこうも祈りの形が変わったのかと思いますが、とにかく大事なのは形では無く、実際に祈るということです。

祈り続けて勝利を得る

手を上げて祈る

    1.旧約聖書には戦いが何度も出てきますが、それを今日の戦争と同等に扱わないでください。その大前提で、このアマレクとの戦いを考えてみましょう。

    2.モーセが手を上げているときにはイスラエルが優勢になりました。手を上げるというのはイスラエルの基本的な祈りの形です。モーセが祈るとイスラエルが優勢になるということです。モーセが祈り続けていると勝利があるのです。あなたが祈り続けると勝利があります。

    3.テモテへの手紙にこうあります。 

そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。 

Ⅰテモテ 2:8

パウロは男性の祈りを求めています。男性が手を上げるというのは怒りの手が多く、げんこつを振り下ろして相手を殴るのですが、パウロはそういう手の上げ方を求めていません。「聖い祈りの手を上げよ!」と言うのです。

祈りを支える仲間がいる

    1.また祈るモーセの手を支えたアロンとフルがいました。これがまた大事なのです。祈りを助ける仲間です。これが真の友であり、兄弟姉妹ではないでしょうか? このアロンとフルもかなりの年寄りだったらしいです。3人の年寄りが丘の上にいて、モーセは手を上げ、アロンとフルは両側でその手を支えていたのです。この二人のお陰でモーセは日没まで手を上げ続けることができました。

    2.あの紅海を真っ二つに割り、エジプトの軍隊を海に飲み込ませることのできる神がここではイスラエル人が戦わねばならず、それも簡単に勝利を得さえるのではなく、年寄り3人に祈りの働きをさせられたのはなにか大きな意味を感じませんか。

    3.私たちが共に集まって祈る祈祷会を持つ意味はこれです。また、集まれなくても祈りで支え合うのです。アガペー通信を見て祈ってくださるのもこれです。

祈りのない信仰はない

祈っているか!?

    1.皆さんは信仰を持っていますか? 「祈りのない信仰はない」と言われます。神を信じるということは神と常に交わることを意味しているわけですから当然祈るのです。「祈り」と一言で言いますが、その中身は濃厚で、賛美もあり、悔い改めもあり、また神の御声を聞くことも含まれています。聖書を読むのもそのためです。聖書を読まない、祈らないとすればそれは不信者です。祈らない人生に勝利はないということです。

    2.楽しく、嬉しい祈りですが、時に祈りは難しく感じたり、祈れないと思ったりすることもあります。その一つの理由にサタンの妨害があります。サタンはもちろん私たちを神から引き離したいわけですから、私たちに祈らないようにさせます。それは巧みに色々な方法をとります。それに対抗するために、私たちは「祈祷会」を設けて祈りを定期的に行うようにしているわけです。

祈りより大事と思うものは?

    1.また、祈りにくくなる理由にはその時間がもったいなく感じるからです。つまり、祈りより大事だと思える仕事、楽しいことなどに心が奪われるからです。最近ではスマホに時間が奪われている人が多いといわれています。結果的にはこれもサタンの誘惑でしょう。

    2.私たちはサタンに勝利をする必要があるのですが、それには祈ることなのです。祈らずしてこの世の誘惑に勝てるのでしょうか? サタンはとても手強い相手です。イスラエルにとってアマレクは大変手強い敵でした。その敵に勝つためにモーセは手を上げ続けたのです。私たちはサタンという敵に対して祈らずに勝てると思いますか?

仕事の分担をする

イテロの助言のありがたさ

    1.さて、少し先に進みます。イスラエルがシナイ山の近くに来た時、久しぶりにモーセは愛する家族と会いました(しばらくは単身赴任状態でした)。そこに、しゅうとのイテロがいました。彼はモーセとイスラエルの民の光景を見て、このままではモーセは燃え尽きてしまうと感じたのでモーセに助言しました。ここでも年寄りの大きな助けがあるのです。

    2.それが、 

あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなさい。 

出エジプト 18:21

というものでした。このアドバイスによってモーセは楽になったのです。と言っても大きな問題はモーセのところに来るので、決して楽になったとは言えないでしょう。けれども以前に比べると段違いです。問題処理班がいくつもできたのですから。

教会の仕事分担

    1.教会もこのイテロの助言に従って色々な形でグループ分けをして、それぞれにリーダーを置いています。教会はこのように支え合う仲間で形成されるのです。

    2.このリーダーに要求されるのは 神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たち とあります。新約聖書からも見てみましょう。12使徒が忙しくなったときに執事7人を選びました。 

そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。

使徒 6:3

 です。また、パウロがテモテに「監督・執事」のために求めたのは、Ⅰテモテ3:2-12にあります。

    3.パウロがテトスに宛てた手紙では 

監督は神の家を管理する者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。 

テトス1:7-9

とあります。

★ 祈りを励まし合い、祈り合う教会でなければ、神の教会ではありません。教会を立て上げる諸グループが、助け合い、励まし合い、祈り合い、祈りの手を支えるのです。