神を心から礼拝しよう!
第一・二戒 他に神は無い

神を心から礼拝しよう!

礼拝メッセージ

2022/5/22 礼拝説教
【テーマ】  第一・二戒 他に神は無い
【説教題】 「神を心から礼拝しよう!」
【聖書箇所】 出エジプト記20:1-6

20:1 それから神は次のすべてのことばを告げられた。
20:2 「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、【主】である。
20:3 あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
20:4 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

出エジプト記 20:1-6

○ ある方が会堂に入って来られて「ご本尊はどちらにありますか?」と尋ねられました。それに向かって祈りたかったみたいなのです。「うちの教会にはそういうものはありません」というと驚かれたような顔をなさり「どちらにお祈りすればよろしいでしょうか?」と言われました。すると、十字架を見つけてそこに向かって手を合わされていました。もしかすると、この方にはこの十字架は偶像ではないかと思えたのです。十戒の最初に わたし以外に、ほかの神があってはならない。 偶像を造ってはならない。 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。 とあります。

ほかの神があってはならない

果たして神はたくさんいるのか?

    1.十戒が与えられたのは、イスラエルがエジプトで奴隷となっている間にエジプト文化がかなり染みつき、神観も崩れてきていたからです。エジプトにはいくつもの神がいたようです。それは偶像ですから「あったようです」と言った方がよいのかも知れません。

    2.神がたくさんいて、ファラオが「エジプトの神はイスラエルの神よりはるかに強い」と思っていました。そういう神なら、神々は仲が良くないことになり、神の愛が信じられなくなります。また、世界には調和がなくなるはずです。ですから神はお一人のはずなのです。

神はお一人だと信じ切ること

    1.日本では「〇〇の神」として、例えば「商売の神」「学問の神」「健康長寿の神」「交通事故から守る神」等々色々な神がいて、人間すら「神」になり得ます。子どもの時からそれらを「神」と教えられるとそう思い込んでしまうものです。実はこうしたことは何も日本だけでなく世界各国にあることです。

    2.しかし、聖書は神は一人で、他に神は無いと教えています。そしてそのお方は全知全能のお方です。だから全てをお造りになることができました。そしてあまりに偉大だから私たちには理解できないのです。私たちに理解できるような神ならすでに神ではありません。

偶像を造ってはならない

偶像とは何か?

    1.私は「偶像」と言われると真っ先に思い出すのは仏像です。皆さんは何ですか? 「お地蔵さん」と言った人もいます。「奈良の大仏」とか。木や石、金属で造られた像に神が宿ると考えられたようです。「お守り」はどうでしょうか? 

    2.また、偶像というのは英語の「アイドル」で賞賛を浴びるもののようです。そのように自分の心がそれで満ちるものが偶像になる可能性があります。ということは現代ではスマホが偶像になってもおかしくないということです。クリスチャンにとって神以上に大切なものがあるとするとそれは偶像化しているのではないでしょうか。

悪霊がそこに存在するか?

    1.こうした偶像は神ではないのに、人は偶像を造り、拝みたがるのは自分以上に力のある存在を認めているからなのですが、それを上手く利用しているのがサタンです。偶像の背後には往々にしてサタン・悪霊が存在すると思われます。気をつけなければならないですね。

    2.では、日本人がお墓に手を合わすのは偶像礼拝でしょうか? ある外国人の方が日本人のお辞儀を見て「人を礼拝している。偶像礼拝だ」と言ったそうです。本当にそうでしょうか? このあたり文化として考えるべき事と宗教をごっちゃにしてはいけないかと思います。まさにその人の心がどこにあるかでしょうね。ですから人によってはお墓も偶像になってしまいます。仏像も芸術作品としてみる人と偶像として拝する人があるということです。

偶像を拝んではならない

なぜ拝むのか?

    1.拝むというのは自分以上の存在に対して敬意を払い尊重することであり、祈ることです。ですから、偶像を拝むというのは、偶像が偉大な方であり、それを信じ、祈ることです。多くの場合、自分の願いをかなえてもらいたいので、かなえてくれる偶像・神を求めます。自分の方から神の教えに従う、仕えるより、自分に神が従う・仕えることを願っているのです。

    2.また、偶像を拝する背景には拝まないと祟りがあるのではないかという恐れや、自分にはできないことをこの神にはしてもらえるのではないかという期待があるからでしょう。私たちが真の神を信じる、礼拝するというのはもちろん恐れからではないですし、神は必ず最善をなさると信じているからなのです。

この方以外にいないことを確信する

    1.聖書はこう言っています。 

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」 

使徒 4:12

私たちの信じる神は三位一体の神であり、ペテロの言うようにイエスによってしか救いは無いのです。つまり、神はお一人なのです。

    2.また、 

さて、偶像に献げた肉を食べることについてですが、「世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外には神は存在しない」ことを私たちは知っています。 

Ⅰコリント 8:4

とパウロが言っているとおり、偶像の神というのは本来存在しないのです。

● この戒めは「〇〇してはならない」という禁止命令として聞こえますが、これは「私は、あなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである。もしあなたがそのことを本当に知っているなら、あなたは私のほかになにものをも神とするはずがない」次も、「私はあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである。もし、あなたがその私の愛を知っているのであれば、あなたは自分のために偶像を造るはずがない」というように訳せるとも言います。この訳ですと神は私たちに積極的に神を愛して礼拝することを望んでおられることがわかります。

★ 私たちはもちろん偶像礼拝してはならないのですが、それよりも私たちの神はお一人で、イエスによる以外救いはないことを確信して、神を愛することなのです。「神を心から礼拝しよう!」という意気込み、意志決定が大事なのではないでしょうか。