不思議が起こる

不思議が起こる

子育て通信

進路指導室で見た写真

  ここのところ、自分のことを書いていますが、お許しください。
  こうして大学受験へと向かうのですが、前回書いたように、私は目が悪くなっていくのでした。視力が落ちた上、乱視が酷くなりました。しかも、物理の授業でつまずき、第一希望にしていた建築関係を諦めました。そして、第二志望のデザイン関係も無理だと判断し、進路に関して何もかも希望を失いました。大学に行こうと思ったのに、どこに行けばよいのかわからなくなったのです。進路が決まらないのはクラスで私一人となってしまいました。
  そんな時、進路指導の先生に相談しようと思って進路指導室に行きましたが、先生がおられませんでした。仕方がないので、本棚に並べてある職業の本を開きました。その時、養護学校(今の支援学校)で汗だくになって働く先生の写真を見ました。「こんな仕事があるんだ!」一気に興味を持ち、すぐに担任のところに行き、「養護学校の教師になりたい」と言いました。驚いた担任は「そういうことなら養護学校を見学した方がいい」と高槻市にある府立養護学校に電話してくださり、翌日見学に行けるように手配してくださいました。

進路を決めた!

  見学した私は「これだ!」と思い、養護学校の先生に、ここで働くためにはどんな大学に行けばよいのかお聞きして、教育学部を目指すことにしたのです。が、すでに3学期が始まろうとしていました。担任は現役では無理というか、一浪してもダメだろうと思っていたみたいです。
  進路が決まった私は勉強に身が入りました。塾などには行ってませんから、自分でやるしかありません。でもやりたいことが見つかるというのは勉強にも身が入るものです。今思うとよく勉強したと思います。

弟のことで精一杯の親

  進路を決めるまでイライラしていた私に父は無関心に見えました。母はとても気にしてくれましたが、反抗期の私はそんな母を寄せ付けませんでした。クリスチャンの母はただただ祈ってくれていたようです。(実はこのことが後になって本当に有り難いことだとわかったのです。)進路を決めると私も少し母に穏やかに接するようになった気がします。
  私の大学受験の時、弟は中学3年生で不登校になっていて(当時は不登校という言葉さえ無い時代です)、高校受験できるか親も心配していたところだったので、私のことを心配している暇はなかったのかも知れません。親も辛かったと思います。でもそんなこと、私はわかってあげる余裕もありませんでした。

目が変だ!

  やっと受験する国立二期校(当時は国立大学が一期校と二期校に分かれていました)を決めて、赤本で対策を練りましたが、この大学は毎年数学が難しくて、数学の得意な私も40点取るのがやっとでした。英語の苦手な私は数学で点を取らないと合格はできそうにありません。最後の追い込みは数学に重点を置きました。

  そんな受験直前に私を愕然とさせることが起きました。それは3年生後半に「プール性結膜炎」と呼ばれる病気にかかったことからでした。その時、目が腫れあがり、目やにで目が開きませんでした。学校さえ休むことになり、目医者で強い薬を処方され、1ヶ月近くそれを塗り続けました。その薬の使い過ぎのため視神経に異常が生じてしまったらしいのです。

  受験直前に教科書を開いた時に暗くて字がよく見えないのです。目を閉じてもう一度開いてみても同じ。冷や汗が流れました。「目がおかしい」。急いで目医者に直行。長い時間の検査で「視神経の半分が死んでいる」と言われてしまいました。先生は大学病院への紹介状を書いて、カルテと共に封筒に入れて持たせてくれました。家に帰った私に母は「どうだった?」と聞きましたが、反抗期の私はふてくされて「失明するかも」と言いました。
  母は、「そこに寝転びなさい。祈るから」と言いました。普通なら「神なんかいるかよ!」と、自分の部屋に行くところでしたが、なんでもいいから失明を免れたい、と思った私は寝転びました。母は私の目に手を置いて力強く祈ってくれました。

治ってるの?!

  よく眠れないまま夜を過ごし、大学病院へ。4つの検査室を巡り、凄い機器で検査が進められました。結果、先生は「視神経に異常はありません」と言うではありませんか。「君、本を見てごらん」と。ドキドキしながら見ると以前のように明るく見えるではありませんか。

  書いていただいたカルテをもって再度目医者に。先生は「そんなバカな!」と私の目を検査されました。「治ってる」と。

  このわけのわからない出来事の2週間後に大学受験をしました。なぜ治ったのか、さっぱりわかりませんでしたが、母が祈ったことしか思いつきませんでした。しかし、神がいるとは思いたくない私。受験を終えてから、考えることにしようと思いました。

高校生バイブルキャンプ

  二期校の受験は3月下旬にありましたので、発表が4月2日だったと思います。その間に高校生バイブルキャンプというのがあったのですが、母からその案内をもらった時、私は「行ってくるわ」と言ったのです。いつもならこんなチラシは母の目の前で丸めて「誰がこんなん、行くか!」と捨てていたのですが、この日は不思議に行きたくなりました。というのも目が治った理由がわからず、「もしかして神がいるのかも」と思いはじめていたからです。
  そして、そのキャンプに行って、神がいること、イエス・キリストが神であり、私たちの救い主であることを信じたのです。まだ知識は無く、良くわかってはいませんでしたが、信じることはできました。

教会に行き始めた

  そこからクリスチャン生活が始まります。4月1日の日曜日に初めて礼拝出席をしました。すごく嬉しかったのです。
  その翌日、合格発表を見に行きました。受験当日、手応えがありました。あの難しい数学、確かに難しかったのですが、私が最後に重点的に勉強したところが中心に出て、100点を取りました。このお陰でしょう。合格してしまいました。高校に行って担任に合格を告げましたら、本当に驚いていました。何しろ、何回かの模擬テストでいつも私の合格可能性は0に近かったのですから。合格可能性の75%以上の人たちが軒並み落ちてしまっていたのにです。

不思議な神の計画?

  目が治ったことといい、こんな合格をしたことといい、私は神の存在を信じるしかない状態でした。
  しかも、次の年に合格したとすると授業料が倍額になっていたのです。しかも、私は経済的に厳しい家ということで、授業料免除申請を出すと入学金免除、授業料半額免除(38,000円/年を19,000円/年 これで4年間)となりました。その上、教育特別奨学金(8,000円/月)というのをいただくことができました。

  そして、4年後の教員採用試験ですが、ここで一次試験で落ちるのです。あーー、奇跡は続かないと思いました。
  教師を断念して他の仕事に就こうかと思っていたのですが、遅すぎました。バイト探しをしていたところ、誰だったか、「講師申請した方がいい」と教えていただき、3月終わり頃に高槻市に講師申請をしました。教育課長さんが「今ごろ来たの?」と遅すぎたことを告げられたのですが、数日後「すぐに教育委員会に来い」との電話です。
           (また続けます)

  不思議なことをしてくださった神様ですが、教会に行って知った本当に凄いことはイエス・キリストの愛です。十字架にかかって死んだのは私のためだったと知りました。そのために神である神の子イエスが人間となって来てくださったことがおとぎ話のようなものでは無く、事実だったと知ったときは衝撃でしたね。でもそれが信じられました。
  今もクリスマスを全世界で祝うのはそこですからね。

子育て通信

Posted by shinnakano