どんな時でも主と共に歩もう

どんな時でも主と共に歩もう

礼拝メッセージ

2022/1/2 礼拝説教
【テーマ】  福音は留まらない
【説教題】 「どんな時でも主と共に歩もう」
【聖書箇所】 Ⅱテモテ4:2


 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

Ⅱテモテ 4:2

○ 今年もよろしくお願いいたします。2020年、2021年と思わぬ出来事に見舞われました。告別式でよく歌います聖歌348、この聖歌は本来「送別会」の歌ですが。この3節に「おもわぬできごとに みまわるるときも ちからのみうでは いちはやくのばされん」とあります。不安に満ちた方々もあったかと思いますが、今年もこの「力の御腕」が私たちに伸ばされることを信じて歩んで参りましょう。

コロナの今は時が悪いのか

オンライン礼拝・伝道が一気に増えた

    1.多くの教会が、私たちと同じように みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。 の御言葉が迫ってきたようです。コロナで思うような伝道ができなくなって、困惑した教会が多かったのです。

    2.しかし、多くの教会がオンライン礼拝を実行し、新たな礼拝に踏み出しました。同時にオンライン伝道にも踏み出した教会がたくさんあります。しかし、それはまたネット上のトラブルも発生しました。とは言え、新しい伝道が考えられたと言えます。

神を考える機会も増えた

    1.コロナ問題は長い期間人々を悩ませ、世界的には多くの人を死に追いやりました。また、感染した人たちが後遺症で悩まれたり、大変でした。仕事を失った人も多くおられます。また、学生たちも大学に入学したものの授業がオンラインになって大学に行けなかったりしました。子どもたちも学校に行けなかったりで不登校になったり、心の病にかかる者も多くありました。

    2.こうしたことで即座に悩める人たちに伝道ができたかどうかはわかりませんが、このことで教会を訪ねる人があったことは事実です。世の中的に時が悪くても神はその時を有益にしてくださるお方です。

伝え続けると人は救われる

若い伝道者テモテを励ますパウロ

    1.テモテという若い牧師が教会の伝道・牧会において苦労をしていました。いつの時代も伝道・牧会は楽ではないようです。だから牧師になるというのを「献身」と言うのかも知れません。しかし、本来「献身」というのはすべてのクリスチャンがすることです。

    2.パウロも当然ながら大変な苦労をしました。命の危険が何度もありました。そこで、自分の経験からもこの若い伝道者テモテを励まそうとしているのです。テモテにとっては大先生パウロから励ましていただくのは本当に嬉しかったと思います。私たちも励ましていただけるとありがたいものです。

    3.パウロは聖書を読んでどなたも恐ろしいほどに伝道に励んだ人だとわかると思います。 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。 というのは正に自分の経験からも言えたことでしょう。パウロは大変な迫害の中、命の危険も味わいながら、投獄されたときにも、とても悪いと思えるときにも彼はしっかりやった人でしょう。

悪い時代だからこそ福音を語り続ける必要がある

    1.時が良いとか悪いとかは私たちが勝手に思う事だと思います。よく言われることですが、晴れると良い天気だ、雨だと悪い天気だと言いやすいですが、傘屋さんは雨が良い天気だと。また、田植えの時期は雨が望ましいと。ということは神には悪いときは無いのかも知れません。ですから、私たちが考える時がよくても悪くてもは、神にとってはすべて伝道に最善の時なのかも知れないということです。

    2.パウロはこう続けています。 

というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。 けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。

Ⅱテモテ 4:3-5

 人々は自分に都合の良いことだけ聞こうとするものです。現代もネットから自分の好きな情報だけを集める人たちがいます。

    3.自分勝手なこの時代、とても悪い時代です。時が悪いと言えます。異端がはびこり、新しい宗教も次々起こってきて、何が本当の神かわからなくさせる時代です。時は悪いでしょう。しかし、それは同時に人々が本物を求めているからかも知れません。イエス・キリスト以外に救いがないということに人々が気づくために私たちはひたすら伝え続ける必要があるのです。

聖霊はコロナ以上の感染力をもつ

クリスチャンは感染力をもっている

    1.使徒行伝を見ると、聖霊を受けた弟子達の伝道は爆発的で、しかもコロナのように凄い感染力を持っていました。パウロに至ってはペストのような人間だと言われました 使徒24:5この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。(新改訳2017では「疫病」と訳されています)。これはパウロが感染力の強い人間だという言い方なのでしょう。

    2.これは初代教会だけではありません。その後も教会は増え続けました。キリスト教を排除しようという国でも、地下教会、家の教会など国家の手を逃れて人々は救いに入れられました。福音は留まることを知らないのです。いつの時代にもパウロのように感染力の強いクリスチャンがいたのです。

聖霊が励ましてくれる

    1.私たちの内にあるのは初代教会のクリスチャンたちが持っていた同じ聖霊です。聖霊は福音を全世界に広げる働きを私たちにさせます。しかし、それは強制的に奴隷を扱うように働きかけているのではなく、励ましという形でしてくださいます。私たちにも、パウロは みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。 と、聖霊を通して励ましているわけです。

    2.イエスの大宣教命令は 

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」 

マタイ28:18-20

でした。これは私たちの力でできるものではありません。なぜ福音書の最後にあるのでしょうか。使徒行伝で本格的に宣教が始まるからです。その時、弟子達は聖霊を受けたからです。私たちも聖霊を受けて伝道するのです。それはイエス・キリストと共に伝道するということです。

★ 私たちはどんな時もイエス・キリストと共と共に生活し、イエス・キリストの望まれる生き方をしようではありませんか。