イエスだけが守れた十戒
十戒と福音

イエスだけが守れた十戒

礼拝メッセージ

2022/8/7 礼拝説教
【テーマ】  十戒と福音
【説教題】 「イエスだけが守れた十戒」
【聖書箇所】 マタイ22:37-40

22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
22:38 これが、重要な第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
22:40 この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

マタイ22:37-40

○ 出エジプト記を説教して、ここしばらく十戒を語ってきましたが、遂に十戒を語り終えました。イエスの時代にはこの十戒を元に律法学者達によってどんどん決まりを作っていました。それは事細かな決まりで結局ユダヤ人自身を苦しめるようなものでした。では、イエスは十戒をどう捉えておられたでしょうか? 今日は出エジプト記を離れて新約聖書・マタイの福音書から見てみます。

十戒は神の民の生き方を示す

十戒の復習

    1.まず、十戒を簡単に復習してみましょう。

      1.あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
      2.あなたは自分のために偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
      3.あなたは、あなたの神、【主】の名をみだりに口にしてはならない。
      4.安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
      5.あなたの父と母を敬え。
      6.殺してはならない。
      7.姦淫してはならない。
      8.盗んではならない。
      9.あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。
   10.あなたの隣人の家を欲してはならない。

    2.十戒の前半4つが神と人との関係の戒めで、神認識を正しくするための戒めです。後半の6つが人と人との関係を正すものであり、社会を良きものとするための戒めです。ですから、これを守らないことが罪だと教えています。

律法(トーラー)

    1.聖書の最初5巻はモーセの書で「モーセ五書」また、「律法」と呼ばれています。この中には613の規定があります。それをまとめたものが十戒と言ってよいかと思います。これらの規定は神様の求める基準です。

    2.イスラエル人は長年エジプトで奴隷生活をしていたため、神との関係も崩れており「神の民」として選ばれたアイデンティティも無くなっていましたので、再教育する必要がありました。そこで、神の基準を教えておられるのです。

十戒によって罪を認識させる

十戒を守れる人はいない

    1.十戒を中心に律法を守ることで神の基準に達するのですが、残念ながら誰一人としてその基準には達せませんでした。つまり十戒は私達が罪人であることを教えるものでもあるのです。 ローマ 3:20なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。 と、あります。

    2.人々は十戒によって「罪人」であることを認識させられ、救い主の必要を覚えさせられるのです。それは ガラテヤ3:24こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。 と、パウロが言うとおりなのです。十戒では救われないのです。むしろ、救いが必要だと知らされるのです。

十戒を守れたのはイエスだけ

    1.十戒という神の基準を人間は誰一人守れないというのは、結局人間がもともと「罪人」だからです。しかし、イエスはもともと「神」ですので、「罪のない人」として誕生し、「罪のない人」として生活されました。

    2.イエスは ヘブル 4:15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。 とあるように罪のない人です。イエスは十戒を完璧に実行されました。完璧というのはただ表面上守ったというのではなく、みこころを行ったということです。

福音は十戒を全うする

十戒の中心は愛

    1.この十戒の中心は何でしょうか? イエスが語っておられます。それが今日のテキストです。 

22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』22:38 これが、重要な第一の戒めです。22:39 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。22:40 この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

 十戒の中心は、神を愛することと、人を愛することです。

    2.パウロも ガラテヤ5:14律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。 と言っています。つまり、律法を守るというのは愛の人になることなのです。イエス・キリストに似た人となることなのです。

十戒の中にある福音

    1.この十戒を御心のままに実行されたのがイエスだと言いましたが、だからこそイエスを心に迎えることで私達は律法抜きに「神の子」としていただけたのです。 マタイ5:17わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。 

    2.イエスを心に迎えるというのは、神の子として生まれたので、イエスのように成長することを願っているということです。イエス無しで私達の願いだけではイエスのように成長しません。しかし、私達の心の中心にイエスが来てくださることで私たちは変えられるのです。ここに福音があります。

★ 神は十戒を通して私達に苦しい戒めを課したのではありません。神に信頼することを教えておられます。つまり、イエス・キリストを信頼すれば良いのです。このお方に信頼してしがみつけばいいのです。イエス・キリストはあなたといつも共にいてくださいます。それが福音です。