人生の分かれ道でどちらを選ぶか
2022/1/9 礼拝説教
【テーマ】 人生の土台はイエス・キリスト
【説教題】 「人生の分かれ道でどちらを選ぶか」
【聖書箇所】 創世記13章
13:8 アブラムはロトに言った。「私とあなたの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に、争いがないようにしよう。私たちは親類同士なのだから。
創世記13章
13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。」
13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったので、その地はツォアルに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
13:11 ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。そしてロトは東へ移動した。こうして彼らは互いに別れた。
13:12 アブラムはカナンの地に住んだ。一方、ロトは低地の町々に住み、ソドムに天幕を移した。
13:13 ところが、ソドムの人々は邪悪で、【主】に対して甚だしく罪深い者たちであった。
13:14 ロトがアブラムから別れて行った後、【主】はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。
13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのように増やす。もし人が、地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができる。
13:17 立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。」
13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。
○ イエスのたとえ話に砂地に家を建てる人と岩地に家を建てる人の話があります。当然岩地に建てる方が良いに決まっています。現代でも土台が軟弱な土地に建てられたマンションなどが訴訟事件になっていたりします。私たちの人生こそ何を土台としているかはとても大事なことです。
ロトの土台は「自分」
ロトが先に選んだ
1.信仰者アブラムについてきたロトでしたが、今度は自分で決めなければならない場面がやってきました。今まではアブラムおじさんの信仰で導かれてきたのですが、ロトも独り立ちです。その事情は家畜が増えて牧者に争いが出始めたからでした。アブラム一家とロト一家が別れて家畜の飼料が十分あるところへ行く必要ができました。
2.そこで、アブラムの提案したことは あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。
と、年下のロトに優先権を与えたことでした。本来なら年長者であるアブラムに優先権があるのです。しかし、ここにアブラムの謙遜さが見えます。
3.そして、ロトはアブラムおじさんに優先権を与えず、 13:11 ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。
と、潤っている土地を選びました。たぶん誰が見てもその土地の方が良かったのでしょう。実は ロトは低地の町々に住み、ソドムに天幕を移した。13:13 ところが、ソドムの人々は邪悪で、【主】に対して甚だしく罪深い者たちであった。
と、見た目にはよくても信仰的には良くない場所だったのです。
ロトは自己中心の人生を歩んでいた
1.ロトはアブラムおじさんに着いてきたことで財産が増えたわけです。移動してくるという大変さはあったもののおじさんのお陰であるのに彼は 自分のために 土地を選びました。「おじさんのために」自分は悪い土地を選んだのではありません。
2.この後、ロトは大変なことになるのですが、この時点では彼は目先の良さに釣られてしまいました。ここでエバの記事を思い出します。 3:6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
神の言葉よりも自分の目にしたがった話です。
アブラムの土台は「神」
アブラムの愛
1.一方アブラムはロトに優先権を与え、残された土地に神は祝福をくださることを信じていました。「残り物に福がある」ということを信じたのではないと思います(笑)。ロトとの間に問題を起こしたくないという配慮から身を引いたのでしょう。ロトに良い土地を譲ったことはアブラムの愛でしょう。かわいい甥に苦しい思いをさせたくないというアブラムの愛かと思います。
2.しかし、それによってアブラム一家は決して楽ではない土地へ行くのですから、彼の牧者たちは「なぜ、俺たちが良くない土地に行かねばならないんだ」と思ったのではないでしょうか。アブラムの決めたことが身内には辛いことになるのです。
アブラムの生き方は信仰
1.ロトがアブラムを離れて行った時に神から声がありました。
さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。
創世記13章14-16
わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。
わたしは、あなたの子孫を地のちりのように増やす。もし人が、地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができる。
立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。
と、祝福の言葉でした。この祝福がはっきりするのはかなり後になるのですが・・・
2.そしてアブラムのしたことは礼拝です。 13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。
と。人生で大事なのは礼拝です。アブラムは常に祭壇を築いています。前にも語りましたが、祭壇を築く人生こそが神に喜ばれる人生です。神が喜ばれるのは神への信仰です。
私たちの土台は?
神に聴く人生であること
1.人生には何らかの問題、危機が訪れるものです。その時、その人が何を土台としているかでその後の歩みが決まります。ロトは見えるもの、財産といった、いわゆる世的なものを土台にしていたことがわかります。私たちの人生にも分かれ道があります。その先は見えません。現代ではその判断を様々な情報に頼るのかも知れませんし、色々な専門家という人の意見を聞いて判断するのかも知れません。それが悪いわけではありません。ただ、神に聴くことを忘れてはならないということです。
2.今月の教会会議で大事な議決をしようとしています。このことも私たちの目先だけの判断ではいけないので、みんなで祈っているわけです。これが将来を決めることになるのですから。
イエス・キリストを告白する人生であること
1.イエスが弟子達に質問したのは何でしたか? マタイ16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
でした。それに対してペテロが言ったのは、 16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
でした。この告白をイエスは喜ばれました。私たちも同じ告白をしているのです。
2.そしてその告白をするということはイエス・キリストに従順であるということです。アブラムがロトに優先権を与えた時、ロトの決定が、アブラムをも祝してくださることを信じたのです。私たちも人生の分かれ道でどの道を選ぶか、何を選ぶかは自由です。しかし、愛と信仰によって神に委ねるべきではないでしょうか。イエスを生ける神の子キリストと信じた者としての決断です。
★ あなたの人生の土台は何になさいましたか? イエス・キリストを人生の土台にしていただきたいです。あなたの人生のすべてにイエス・キリストがおられることを願います。
Posted by shinnakano
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