私たちに最も大切なこと

礼拝メッセージ

2022/4/3 イースターウエルカム礼拝
【テーマ】  十字架と復活
【説教題】 「私たちに最も大切なこと」
【聖書箇所】 Ⅰコリント15:3-8

15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
15:5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。
15:7 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。
15:8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。

Ⅰコリント15:3-8

○ 最近ではイースターも一般的に知られるようになりましたが、クリスマスほどには知られていません。なぜかというとクリスマスは12月25日と日が決まっていますが、イースターは「春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日」とややこしいからです。それと、クリスマスと言えばイエス様の誕生ですからわかります。しかし、イースターは十字架で死なれたイエス様が復活した日ですから、信じられないという人が多いからです。今日は信じられない人の多い、このイースターについてお話しします。

最も大切なこと・十字架

聖書に書いてあるとおり

    1.イエス様の十字架のことは旧約聖書に預言されていました。詩篇22編とイザヤ書53章はその中でも有名です。詩篇22:1はイエス様がこの言葉を十字架上で語っておられます。また、22:16-18には手足が刺し通されること、骨は砕かれないこと、衣が分けられることも書かれています。イザヤ53章は、イエスの十字架に向かう姿や生贄としてのイエスの姿が克明に書かれています。

    2.そのような預言があるということは、神が遙か昔から人類の救いのために計画を持たれていたことがわかります。そして、私たちには分からないことですが、その時を今からおおよそ2000年前と定められ、その日それらの預言は実現しました。

わたしたちの罪のために死なれた

    1.ユダヤ人のためだけのイエス・キリストではなく、私たちのためでもあるのです。死なない人間がいないのと同じく、罪のない人は誰もいません。そして誰もその罪の解決ができません。ということは誰も神の元(天国)にはいけないということです。そこで神ご自身がその解決を与えてくださったのです。それがイエスの十字架でした。

    2.私のためにイエス様が十字架にかかってくださったことで私の罪が赦されたということを、私は自分の腰の手術で感じました。私は2006年7月に腰椎椎間板ヘルニアの手術をしました。私は麻酔で眠っている間にすべては終わっていました。わたしの問題は私の知らないところで完璧に取り去られていたのです。イエス様の十字架も私の知らないところで行われましたが、私の罪を完璧に取り除いたのです。手術台に上がらねば手術はしていただけないように、私たちもイエス様の手術台に上がることで罪は取り除いていただけるのです。

最も大切なこと・復活

聖書に書いてあるとおり

    1.イエス様の十字架は一般的にも知られている歴史的な事実ですが、復活についてはなかなか信じられていない事実です。そのことが聖書にどのように書かれていたかを見ると、 詩篇16:10あなたは私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。 とあります。

    2.イエス様は マタイ12:40-41 ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。・・・しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。 と、ヨナ書を取り上げてご自分の復活をほのめかされました。

三日目によみがえられた

    1.どうして復活が大事なのでしょうか? もしイエス様が復活されなくて、私たちの罪のために身代わりの死を遂げただけならどうしてわたしたちの罪が赦されたとわかるでしょうか? 復活したということはわたしたちの罪の解決ができたことを証明しているのです。

    2.また復活というのはただ生き返っただけではありません。もしそうならまだ3日目ですからまだ痛くて痛くてたまらない体でしょう。イエス様の復活の体は私たちがいずれいただくことのできる完璧な体を示すために見せてくださった特別な復活の体です。痛みはありませんし、時空間に支配されていません。これは今まではイエス様だけに起こったことですから、一般的で無いために信じられないという人が多いのです。

十字架と復活の証人

証人ペテロ

    1.イエス様の弟子達はイエス様が復活することを信じていませんでした。そんな不信仰な弟子達にイエス様は復活して現れてくださいました。特にいつもイエス様の近くにいたペテロ、彼はイエス様の十字架裁判の時にも近くにいたのですが、「イエスなんて知らない」と3回も弟子であることを否定した人です。その彼にもイエス様は優しく現れてくださったのです。そこから彼はイエス様のために命をかけて伝道する人になりました。

    2.ペテロだけでは無く、500人以上の弟子達にその姿を現されました。時には閉じられた部屋の中に突然現れなさいました。これが空間に支配されない姿です。また、突然そこから別の弟子達のいるところに行かれました。不思議ですが、彼等がその証人です。

証人パウロ

    1.イエスを十字架にかけて殺すことに大賛成していた一人に若いパウロがいます。血気盛んな人で頭もよく、イエスの復活を真っ向から否定していて、クリスチャン達を迫害していた人です。そのパウロの目が見えないようにされてイエスは彼に語られ、その後、イエスの弟子達によってイエスの事実を教えてもらうのです。そこで彼は変えられました。

    2.変えられた彼は 15:8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。 と、その恵みを語っています。あんなにイエスを否定していたのに、神に殺されることもなく、イエスに愛されて、真に生きがいをもったのです。彼は持ち前の知識を神のために用い、人々に語る人となったのです。

★ 最も大事なこと、それはあたなたの人生において最も大事なことなのです。イエス様の十字架と復活があなたの人生を最も有意義なものにします。そして、死後も永遠の命が保障されているのです。命に関わることですので、最も大事なことなのです。