礼拝メッセージ
藤井牧師

最も大切なこと 受難

礼拝メッセージ

2021/3/28 受難週礼拝説教
【テーマ】  十字架
【説教題】 「最も大切なこと 受難」
【聖書箇所】 Ⅰコリント15:3-5

15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
15:5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

Ⅰコリント15:3-5

皆さんにとって最も大切なことは何ですか? 
会社員に聞いた「人生で最も大事なものは?」という調査で、
1位「お金」 30.5%、
2位「愛」 25.5%、
3位「希望」 11.8%、
4位「知識」 10.4%、
5位「努力」 8.8%、
6位「その他」 7.6%、
7位「友情」 5.6%
だったそうです。
また、ある調査で女性に尋ねた最も大切なこと10選は「自由な時間」「大切な人」「家族」「健康」「お金」「人との関係」「自分らしく生きること」「愛する人との日々」「スタイル」「趣味と仕事」でした。
しかし、人生で大切なことは変わることがあるということでした。
その変わったきっかけが「大切な人ができた」「年齢を重ねたから」「転職したから」というようなものが挙げられていました。
「イエス様と出会ったから」というのが欲しかったですね。
パウロが伝えたは最も大切なこととは何でしょうか? それはまずイエス・キリストの十字架の死です。

パウロも受けたこと

パウロが考え出したものではない

1.現代はたくさんの宗教があるようです。そして、被造物の中で宗教を持つのは人間だけです。人間は宗教無しには生きていけないのです。ですから、生きていくためにも宗教を考え出してきたと言えます。

2.キリスト教は宗教学的にはユダヤ教からの分かれ、ユダヤ教から見れば、ユダヤ教の異端とさえ言われてきたものです。このキリスト教をパウロが考え出したわけではありません。しかし、パウロ無しには新約聖書が成り立たないほどに教理的な部分を担っています。

パウロが受けたこと

1.まだ新約聖書が無いときにパウロはクリスチャンになりました。しかも彼はイエスが天に帰られてからのクリスチャンです。クリスチャンになる前はイエスとクリスチャンを迫害した程の人です。

2.では、彼が受けたのは何かというと、イエスの直弟子たちから伝えられたことです。彼は確かにダマスコ途上でイエス・キリストに会い、一時目が見えなくされました。彼は直に神から教えられた後、キリストの弟子達から教えられたようです。

私たちも受けたこと

1.私たちはどうでしょうか? 私たちもこのパウロと同じように言えるのではないでしょうか。誰から受けたかというと人によってはクリスチャンである家族、友人達、あるいは教会に行って、福音放送などを聞いて、YouTubeを見てなど色々あるかと思います。

2.私たちも宗教が必要ですが、勝手に自分で都合良く考えついたようなものではありません。突然天からの教えを聞いたとか言う方が宗教っぽいではありませんか。しかし、それは実に危ない話であり、悪霊の働きと言えるかも知れません。神は人を通して宣教のわざを繰り広げておられるのです。

聖書に書いてあるとおり

イエスに関する預言

1. 聖書に書いてあるとおり とは、新約聖書が無かった時代ですから、もちろん旧約聖書です。旧約聖書にイエス・キリストのことが書かれているのでしょうか?

2.イエス・キリストに関する預言はたくさんあると言われています。しかし、わたし達が旧約聖書を読んで、ここがイエス・キリストに関する預言だと簡単にわかるところは少ないと思います。しかし、例えばイエス・キリストの誕生預言として有名なのは、 

それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。

イザヤ書 7:14

ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる 

イザヤ書 9:6

などが挙げられます。

私たちの罪のために死なれた

1.イエス・キリストの死に関しての預言はやはりイザヤ書53章が有名です。

53:5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、【主】は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
53:7 彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。 

イザヤ書53章

2.イエスが十字架にかけられて死んだということはただ歴史的な事実だということではなく、その目的が 私たちの罪のために死なれたこと ということです。私たちのために死なねばならなかったのです。この身代わりの死こそが 最も大切なこと です。これ無しに私たちは救われなかったのです。

葬られた

1.イエスは確かに死んだのです。しかし、これが昔から論議されてきました。なぜか? 神は本来死ねないのです。イエスが神であるということは間違いの無い事実ですが、とすると死ぬことの無い神が死ぬというのはおかしいというわけです。

2.しかし、私たちの救いのためには私たちの罪のために身代わりになる生贄が必要なのです。それも動物では無く、完全な生贄が必要でした。そこで、三位一体の神は、子なる神イエスが罪の無い人間となって、全ての人の罪を引き受けて完璧な生贄となってくださったのです

3.パウロはこのすばらしさを身をもって味わったのです。ですから 最も大切なこと と言うのです。果たして、私たちはパウロと同じく、このイエスの身代わりの死、十字架の死を 最も大切なこと と言えるでしょうか。

★ 今週金曜日は受難日です。全世界の全ての人が、この日の出来事を 最も大切なこと として受け止めるべきなのです。そして、そこに自分との命の関係を見出さねばなりません。なぜなら、私たちの人生の本当のスタートはイエスの十字架から始まっているのですから。