安息日は礼拝する日です
第四戒・安息日を守る

安息日は礼拝する日です

礼拝メッセージ

2022/6/5 礼拝説教
【テーマ】  第四戒・安息日を守る
【説教題】 「安息日は礼拝する日です」
【聖書箇所】 出エジプト記20:8−11

20:8 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
20:9 六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
20:10 七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
20:11 それは【主】が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。

出エジプト記20:8−11

○ 今日はウエルカムサンデーです。私たちキリスト教会は日曜日に礼拝しています。現代は日曜日も休みでないところが増えましたし、夜間の仕事も増え、仕事を休みにできる日はそれぞれ違う形になってきました。とは言え、基本的に日曜日は休みです。これはキリスト教のお陰だと言う人もいます。そんなに昔でない日本では、週休という考えはなかったようです。それこそ「丁稚奉公」があった頃、貧しい農村の子どもは小学校を出ると5年契約くらいの年期奉公に出されたのです。5年間働いて200-300円位(現在の300-500万円位)のお金が大体前金で親に渡されて、本人は毎月ほんのわずかな小遣いをもらう程度で5年間住み込みで働いていました。年に2回「藪入り」の時だけ数日間休めたのです。

安息日はどんな日?

神の安息の日

   1.なぜ安息日ができたのかというと、この十戒で神がそのように命じられたからですが、その理由として挙げられているのが、神が天地創造を6日間でなさって、 七日目に休んだからである とあります。そして、 七日目は、あなたの神、【主】の安息である と言われているのが目に留まります。

   2.しかし、神は聖書の至る所でわかるように寝ることも休むこともしないお方です。とすればこの安息日や休むということについて考える必要があると思います。神は6日間の創造の最後に創られたアダムとエバと親しい交わりをもたれました。それは安息日であったかも知れません。安息日は仕事などを休み、神と過ごす日であって、自分勝手な休日ではないということでしょう。

救い出されたことを思い起こす日

   1.さらに安息日は 

あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、【主】が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、【主】は安息日を守るよう、あなたに命じたのである 

申命記5:15

というように奴隷から救い出されたことを思い起こし、感謝する日と定められました。

   2.今は私たちが罪の奴隷から救い出されたことを思い起こす日ということも言えるでしょう。

安息日はとても大事な日

安息日は礼拝する日

   1. 安息日 のヘブル語「シャバート」は「休む」「中止する」という意味で、 安息日 は休みの日ということです。そして 聖なるものとせよ は、区別することを意味しています。ですから 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ というのは「休みの日を思い起こして、これを他の日と区別しなさい」という意味になります。

   2.そこで、この日は「聖日」とも呼ばれ、礼拝する日なのです。 

民衆も、安息日と新月の祭りの日には、その門の入り口で【主】の前に礼拝をする。 

エゼキエル46:3

と言われています。この日は他の日とは違うのです。ですから、 

幸いなことよ。安息日を守って、これを汚さず、どんな悪事からもその手を守る人は。 

イザヤ56:2

と、守る者は祝福されます。

守らなければ殺される

   1.そして安息日を守らないならどうなるのかも書かれています。 

あなたがたは、この安息を守らなければならない。これは、あなたがたにとって聖なるものだからである。これを汚す者は必ず殺されなければならない。この安息中に仕事をする者はだれでも、自分の民の間から断ち切られる。
六日間は仕事をする。 しかし、 七日目は【主】の聖なる全き安息である。 安息日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。 

出エジプト31:14-15

と守らなければ殺されたのです。

   2.今、私たちはそのような律法に縛られていません。土曜日安息日ではなく、イエス様の復活を思い起こして日曜日に礼拝します。かといって、日曜日に仕事をしたら殺されるわけではありません。イエス様によって真の自由を得たからです。私たちは自分の自由意志で神を礼拝するようにされたのです。

安息日はイエスと私たちの日

安息日とイエス様

   1.イエス様は安息日に病人を癒されています。それがために律法学者達から責められました。なぜかというと学者達が安息日の守り方を考えて自分たちで考え出した決まりごとがあったからです。イエスの行為はその決まりごとに反するということで責めました。しかしイエスは 

それから彼らに言われた。「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」 

マルコ3:4

と言って、癒されるのです。

   2.その前の章の最後ではイエスは 

そして言われた。「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。ですから、人の子は安息日にも主です。」 

マルコ2:27-28

と言われています。安息日の積極的な捉え方を言われています。律法学者達が「安息日には〇〇をしてはならない」と言って人を苦しめましたが、イエスは人のために真の安息を与えられました。

日曜日の過ごし方

   1.現代はユダヤ人の守る土曜日安息日と私たちの休みとする日曜日が同じとは言えませんが、この日は主の安息であり、私たちのためにもあるとすれば神と親しく過ごし、エネルギーを回復するときであり、神のみこころを思う時でもあるのです。

   2.聖日ですから礼拝すべきです。何にもまして私たちのすべきは礼拝です。ただ、礼拝は聖日礼拝に留まらず、今や私たちは毎日個人的な礼拝ができます。できることなら仕事や学校に出かける前に短い時間でも静まって御言葉と祈りの時間を持つといいですね。

● 休むということはとても大事です。私は教会に2年間行かなかったことがあります。どんどん信仰は消えていきました。本当に飢え渇いてアッセンブリーの高槻キリスト教会に行った時、私は水を得た魚のようでした。聖日礼拝しないと私はダメでした。

★ 神は神が私たちと心身霊共にエネルギーを回復するように安息日を設けてくださいました。そして神は積極的に私たちと交わりを持ってくださいます。私たちも積極的に聖日礼拝を守りましょう。