法律の裏側にあるもの
第六戒~八戒・法律違反するな

法律の裏側にあるもの

礼拝メッセージ

2022/7/3 礼拝説教
【テーマ】  第六戒~八戒・法律違反するな
【説教題】 「法律の裏側にあるもの」
【聖書箇所】 出エジプト記20:13-15

20:13 殺してはならない。
20:14 姦淫してはならない。
20:15 盗んではならない。

出エジプト記20:13-15

○ 今日は十戒の第六戒~八戒を見ましょう。今まで見てきた戒めはいわゆる一般的な法律に触れませんでした。今日の三つの戒めは現代の法律にも触れるものです。

殺してはならない

殺すこともある

    1.神は 殺してはならない と当たり前のことを言われますが、誰もがご存知のように旧約聖書では神が殺すことを命じておられるところが多々あります。ですから、この 殺してはならない という当たり前の戒めに込められた神の意図が何かを知りたいものです。

    2.殺人と言っても故意にでは無く「過失致死」があります。それに対しては 出エジプト記21:13ただし、彼に殺意がなく神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに、彼が逃れることができる場所を指定する。 と逃れの町を規定し、ヨシュア記で実行されています。

    3.罪を犯したアダムとエバを神は殺しはされませんでした。しかし、ノアの時代の大洪水は大変な裁きとなりました。罪が満ちた時には神のこうした裁きもあるようです。それが後の時代にはイスラエル人を通して行われることもあったということです。だからといって神が殺人を認めておられるわけではありません。

敵をも愛する愛を!

    1.イエスは 

マタイ5:21 昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

マタイ5:21-22

 と言われました。そうです、兄弟に対して怒る者  兄弟に『ばか者』と言う者 は裁かれるのです。内的殺人と言うか、言葉においてもなのです。誰もが「いじめ」のひどさをご存知ですが、自殺に追いやるような言葉、こころに大きな傷を負わせるような言葉を神は望んでおられません。

    2.イエスはまたこうも言われました。 

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

マタイ5:44

 と。殺してはならないの裏側にあるのは「愛しなさい」なのです。

    3. 殺してはならない。 の言葉の裏に神の熱い願いがあることを覚えたいです。いのちはとても大事で人が勝手にそのいのちを左右してはならないのです。神がどれほど人のことを思っておられるか、自分は神に愛されていることを覚えたいですね。

姦淫してはならない

夫婦にしか認められていない関係

    1. 箴言6:32女と姦淫する者は良識がない。自分自身を滅ぼす者がこれを行う。 とあります。男女の性の問題は人を滅ぼすことになりかねません。性の関係は夫婦の間では祝福であり、子孫の繁栄ともなります。しかし、いつの時代にもどこの国でもこの夫婦以外の性の問題は無くなりません。

    2.思春期のユース達にとって性に関する関心はすごいものです。しかし、その誘惑にはまり込むと時には一生を無にしてしまいます。それほどこの問題は大きいものです。最近「性教育」が重要視されています。それも幼い内から家庭で始めるべきだというのです。そして、プライベートゾーンを大事にすることを教えて性的被害を防ぐようにも教えるのです。

夫婦はしっかり愛し合おう

    1. 姦淫してはならない。 の裏には「姦淫さえしなければよろしい」という話では無く、夫婦こそしっかり愛し合って欲しいということがあるのです。結婚式で誓約していただくのは、 あなたは、この結婚が神の御旨によるものであることを確信しますか。あなたは神の教えに従って、夫(妻)としての分を果たし、常に妻(夫)を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健康の時も、病いの時も、富める時も、貧しき時も、いのちの日の限りあなたの妻(夫)に対して堅く節操を守ることを約束いたしますか。 という文面です。これは何があっても伴侶を愛して欲しいという神の思いから来ているのです。

    2.イエスは 

しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。 

マタイ5:28

と言われました。心の姦淫です。男性は女性よりも何倍も性の誘惑が多いです。サタンはこの用いやすい誘惑を仕掛けてきます。「愛」の本質をしっかり御言葉から学び、御言葉で悪魔の誘惑を退けましょう。

盗んではならない

人間を盗む罪

    1.これも当たり前ですが、現代では盗むことにも色々あると思います。間違って自分の口座に多額のお金が振り込まれたのを勝手に使った事件がありましたが、盗んだのでしょうか? この聖書の盗むというのは所有権を犯すことです。泥棒、詐欺、万引きはもちろんで、借りたものを返さない、電車のキセル、脱税、試験のカンニングもこれに当てはまるのです。また、飽食、浪費もぬすんでいることになると言う人もいます。

    2.「盗む」はヘブル語で「ガナーブ」と言います。これは「人間を盗む」という意味を持っているそうです。正に誘拐、奴隷です。つまり、人権無視、人格を尊重しないことがこれに当てはまるようなのです。ユダがイエスを銀30枚で売ったのもこれになるのです。

神のものを盗む罪

    1.さて、私たちは神のものを盗んではいないでしょうか?  

人は、神のものを盗むことができるだろうか。だが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか』と。十分の一と奉納物においてだ。 

マラキ3:8

という有名な御言葉はどうでしょうか?

    2.そして、盗んではならない。 の裏にある神のみこころは神のものは神にお返しし、ザアカイのように心入れ替えたなら、与える人になることではないでしょうか。与えるのはお金やものも大事かも知れませんが、私たちが救われたのは誰かの祈りによってです。そして福音を聞いたからです。私たちはそれを与えないことが盗みですから、積極的に愛をもって祈り、福音を語ることなのです。

★ 「ならない」と続きますが、その裏に神の熱い願いがあることを覚えたいです。正に神と人を愛することが神の願いなのです。