ピリピ1:3-6

喜びの関係

礼拝メッセージ

説教者:知宏師
2024.3.17礼拝説教
説教題:「喜びの関係」
テキスト:ピリピ人への手紙1:3-6

1:3 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。
1:4 あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、
1:5 あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。
1:6 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。

【新改訳2017】ピリピ人への手紙1:3-6

 今日開いたピリピ人への手紙は、パウロがピリピの教会に書いた手紙です。送り主のパウロは手紙を書く際、書き出しところに両者がどのような関係なのかを示すことがあります。パウロは手紙の冒頭にピリピの教会とどのような関係なのかを載せています。その関係は「喜びの関係」です。
私たちクリスチャンもまた喜びの関係にあります。クリスチャンの喜びの関係は、日々を生きていく中でキリストがしてくださったその十字架と復活がどれだけ素晴らしいのか思い起こさせ、心に喜びを溢れさせます。

喜びの関係

パウロとピリピ教会の関係

 この手紙の特徴はよく「喜び」と言われます。その理由は、聖書の中で一番「喜び」という言葉が多く出てくるからです。
私たちは「喜び」ときくと「嬉しい」とか「笑顔」とかそのようなことを関連させると思います。「喜び」とはもっと深くてもっといろいろな面を持った言葉であることをピリピ人への手紙は教えてくれます。手紙の書きだし部分では“喜び”という言葉をもって、パウロとピリピ教会の“繋がり”(関係)を表現します。この“繋がり”(関係)は、キリストの十字架と復活による影響であることをパウロは手紙の書き出しで伝えます。

祈れる関係(1:3-4)(教会の中の影響)

 「祈れる関係」は、わたし達教会(内側)に起きている福音の恵みによる具体的な行動と言えます。
 パウロは、獄中からピリピの街にある教会へこの手紙を送ったと考えられています。しかし、パウロは手紙の中で苦しみや痛みではなく「喜び」という肯定的な言葉を並べました。「喜ぶ」という感情は外部からの作用がないと生まれない気持ちです。パウロの「喜ぶ」という言葉の理由は「ピリピの教会」だったようです。(1:3-4)彼はピリピの教会の事を祈る度に、ピリピの教会とキリストの恵みを思い出し、喜び溢れ、神様へ感謝するのです。わたし達クリスチャンが「祈り合う」というのは、イエス・キリストを思い起こさせ、お互いの苦しい時を支え、痛みを慰めてくれる特別な関係です。そして、祈り合う関係はイエス・キリストの十字架と復活がなければありえない関係です。

福音宣教による関係(:5-6)(教会の外での影響)

 福音はわたし教会内に影響を及ぼしただけではありません。
キリストによる関係は、教会の外。わたしたちのそれぞれの生活(外側)においても大きな影響を与えています。イエス・キリストを伝えることは、教会にとっては“喜びの関係”を与える“恵み”であることが見えてきます。
 ピリピという街は、商業が盛んで様々な文化が行き交う栄えた街であったようです。確かなことは「祈りの会堂」がない街でした。
 当時、祈りの会堂がないという事実から、聖書の言葉も、聖書の神についてもほとんど聞いたことのない人が多かったと予想できます。
 そのような人々の住む町にイエス・キリストの救いが語られ、その内の幾人かが福音を受け取ったようです。(使徒行伝15-18章)
 そして、今度はピリピの教会の人々がキリストを伝えるようになったようです。キリストを伝えるようになったこの働きは、キリストによって始まり、キリストによって完成することをパウロは信じていました。この信仰は更にピリピ教会によるパウロの喜びを大きなものにしているようです。(1:5-6)
 「宣教」という外に向いている具体的な行動によっても「喜びの関係」として、わたし達教会は繋がります。

結論

キリストの十字架と復活の恵みは、個人を救うだけではありません。
私たちは、互いに祈りをもって支え合い、イエス・キリストを伝えることで更にキリストの恵みを味わうことの出来る“喜びの関係”に入れられます。キリストを聞いて信じたこと、そして、伝えることもまた、イエス様の十字架と復活が与えてくれた恵みであることを感謝します。
そして、互いに祈り合い、宣教に励む中で、キリストの恵みをそれぞれの場所で味わい、流して行きましょう。