夜明け
ルカの福音書1:67-79

曙の光が射す前に

礼拝メッセージ

説教者:知宏先生
2023.12.10礼拝説教
説教題:「曙の光が射す前に」
テキスト:ルカの福音書1:67-79

1:67 さて、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言した。
1:68 「ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、
1:69 救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた。
1:70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
1:71 この救いは、私たちの敵からの、私たちを憎むすべての者の手からの救いである。
1:72 主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。
1:73 私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。
1:74 主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。
1:75 私たちのすべての日々において、 主の御前で、敬虔に、 正しく。」
1:76 幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、
1:77 罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。
1:78 これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、
1:79 暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。」

【新改訳2017】ルカの福音書1:67-79
曙の光が射す前に

 日の出は、天気や季節によって全く表情が違います。冬は1年の中で特に乾燥した季節だからこそ、晴れた日に射し込む日の出の光は、目が開かないくらいにまぶしいです。今日の聖書の中には「曙の光」(1:78)という表現があります。私は、曙と聞くと明け方前の美しい優しい青色の空を想像します。
 今日の聖書の箇所は、クリスマス前、父となったザカリヤの讃美です。生まれた子の名前は「ヨハネ」です。彼の働きを聖書では「道備え(マルコ1:2)」と表現します。
 神様はザカリヤの讃美を通して「神様の憐れみによる救い」を教えて下さいました。太陽が東から上って来るので、段々と真っ暗な空が明るくなる。「曙の光」という言葉を使った詩は、そのような夜が明ける情景と救い主であるイエス様が誕生して、この地上に救いが来ることのイメージを合わせているようです。
 今日は聖霊によってザカリヤがうたったこの詩から、神様の憐れみによる救いとは何かを見て行きましょう。

① 救いの理由は、神様の憐れみ

 ザカリヤの讃美はなぜ神様が救いをわたし達に与えてくれるのか詩っています。今日読んだザカリヤの詩には神様の動作がいくつも出てきます。(例:「顧みて」「覚えておられた」)。これらの行動に共通することは「神の深いあわれみによる」(1:78)ことです。聖書では、心を表す時に「内臓」と同じ単語を使います。大切な機能である“内臓”と人の“心”のイメージを合わせて私たちのことを思う、神様の“憐れみ深い心”を教えています。また、神様の憐れみの深さは、「時」という側面からも語られています。ずっと、苦しい時代の時でも神は共にいて、私たちのために内臓が痛むほどに悲しみ、愛してくれていたお方です。しかし、人は神を忘れて自分勝手に生きていました。それでも神様は「あなたと共にいて、あなたを救い出す」という聖書の最初にある約束を決して忘れませんでした。そして、長い歴史を経てクリスマスの時に私たちに見える形で成就したのです。

② 神様が与えてくれた救い

 聖書では、救いが様々な言葉で表現されています。ザカリヤも喜び溢れる賛美の中で神様が与えてくれた“救い”とは何か、詩っています。(1:74 -79)
救われていない状態は敵に攻撃され、暗闇にいること。これは、神様に向かうことが出来ない。神様が分からない状態と言えます。救われている状態は、神様と良好な関係に居る人です。神様と関係を築くと、神様にとって正しいことを知り、行おうとします。私たちの神様は、この世界を愛し、平和をもたらすお方です。だから、私たちはその神様の心を知り、平和を創るものとされます。イエス様の十字架と復活が救いの約束を成就しました。私たちは、そのことを信じることで、私達は神様との愛の関係に入り、その中に永遠に留まることが可能になりました。

③ 救いの道を備える恵み

ザカリヤとエリザベツの間に生まれたヨハネの役割は、人々が悔い改めるために罪の赦しを教えることでした(1:76-77)。悔い改めとは、心を変えることで、救いが来る道を備えることです。神様は、ザカリヤの詩を通して救いだけでなく、悔い改めについても教えたのは、悔い改めも救いの計画の一部だからです。
 イエス様ご自身も、十字架と復活を完成する前に、悔い改めを重んじました(ルカ5:32)。自分や人から「神様」へと心を向ける時、聖霊はわたしに神様に背を向けていた罪を自覚させ、赦しを経験させ、神様との愛の関係が始まります。悔い改めを通して、私たちは、イエス様を自分の救い主だと告白せずにはいられなくなるのです。そして、神様の関係に居るのなら、聖霊様は何度も心を神様の方へ変えるのを助けて下さいます。

結び
 東から日が昇ると夜が明けて町に朝がやってきます。イエス様の十字架と復活はまさに、東から登ってくる夜明けの光です。夜明け前には「曙」があります。曙の光が射す優しい空の色がもうすぐ、わたし達の住む町に夜が明けることを教えてくれるように「悔い改めよ」と言うヨハネの言葉は、イエス様による救いが目の前にあることを教えてくれます。
日の光が射す前に、救いの道備えを求めます。心の向きを神様に変えるように。「神様。」と祈ることが、現代を生きる私たちにとって、心の向きを神様に変えることです。
第2アドベントの時、私達は神様に心を向けて行きましょう。
私達が神様に心向け神様の憐れみ深い心を体験する時、私達の住むところに、日本中に、世界中に、曙の光が訪れることを祈ります。