信仰薄っす!
説教者:八木原海師
2023.6.11礼拝説教
説教題『信仰薄っす!』
【説教箇所】マタイ14:22-33
14:22 それからすぐに、イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ、その間に群衆を解散させられた。
マタイ14:22-33
14:23 群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。
14:24 舟はすでに陸から何スタディオンも離れていて、向かい風だったので波に悩まされていた。
14:25 夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。
14:26 イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
14:28 するとペテロが答えて、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。
14:29 イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。
14:30 ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」
14:32 そして二人が舟に乗り込むと、風はやんだ。
14:33 舟の中にいた弟子たちは「まことに、あなたは神の子です」と言って、イエスを礼拝した。
見たことも聞いたこともない食べ物を勧められたことはありますか?口にするかどうかを吟味する時、最後の決め手は相手への信頼ではないでしょうか。「この人が自分に悪いことするはずがない」という信頼関係です。信仰が薄い、信仰が厚いかの違いは、「大丈夫かな?」と心配し続けるのか、「イエス様がいるから大丈夫だ」と信頼して前に進むかの違いでしょう。イエス様が「信仰薄っす!」と愛をもって言われる箇所から、私達が信頼すべき方について見ていきましょう。
イエス様がいる
イエス様の命令で一足先に船出した弟子たちは、もっと早く湖の向こう岸に着く予定でしたが、嵐に見舞われ、徹夜で風と格闘し、船が押し流されないようにするので必死でした。嵐で視界はほとんどありませんから、恐怖がだんだん増えていったのでしょう。水を渡って歩いて来る人影を見つけた時には、イエス様の存在など忘れて幽霊と勘違いしました。もう終わりだと思ったのかもしれません。一方、神様の力で水の上を渡って来たイエス様は、もう一度ご自身の存在を示すことになさったのです。
14:27 イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
イエス様との信頼関係の中の最初の大事なこととして、私達は、私達を助けてくださるイエス様がいるということを覚えていましょう。自分ひとりだけで奮闘しているように思う時も、「イエス様がいるのだ」と思い出していきましょう。
御言葉を聞く
信仰のもう一つの大事な面は、御言葉を聞くことです。言葉と信頼には密接な関係があり、私たちは、相手の言葉を聞いてその人を信じられるのです。そもそも弟子たちが船出するスタートはイエス様の命令から始まりました。ペテロは水の上を歩こうとする突飛な行動に出ますが、これはイエス様の「来なさい」という言葉からスタートしています。ペテロは頭の中で「来なさい」を連続再生しいていればよかったのかもしれませんが、ペテロは風を見ておびえてしまいました。つまりイエス様の言葉を途絶えさせてしまったのでした。命の危機を感じて「こわいな」「大丈夫かな」と思うのは自然です。体だけでなく心や精神が削られる思いをする時も苦しいです。しかし私達には注目し、より頼む聖書の言葉があります。
私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。
第一ヨハネ3:1
私達は神様に愛されている神の子どもだと聖書は言います。今月から始まる中高生のプログラム「We」はそのことを覚えていく場所です。
私達は御言葉に親しんでいきましょう。そして困難な時、御言葉を思い出し「神様が悪くされるはずない」と思って祈れるなら幸いです。
イエス様と一緒に
結局水へ沈んでしまったペテロです。信仰の薄い者だとまで言われてしまいます。ここで注目したいのは、イエス様は信仰が薄いと言った以外に、手を伸ばしてペテロをつかんでくださり、また、天気が晴れた状態でイエス様を船に乗せて航海を継続させてくれたことです。
イエス様は、私たちと一緒に生きようとしていて、本当に晴れた状態で生きる幸せを教えようとしておられます。本当の幸せは、何か一つの問題が解決することではありません。愛してくれるお方がすぐそこにいて、嬉しい時も悲しい時も一緒に過ごしてくださることです。この繋がりが、私達の人生においてかけがえのない繋がりとなっていきます。もうイエス様と一緒に歩み始めましたか?チャンスは誰にでも、どれ程今まで「誰も助けてくれない。神はいない。」と恐れに負けて口にしてしまった人にでもあります。なぜならイエス様は全ての人の罪の罰を十字架で身代わりに受けてくださり、よみがえってくださったからです。誰でもイエス様を信じる時、即座に神様との関係に入れていただき、即座に永遠の命をいただくことができるのです。イエス様と一緒に生きて行きましょう。
つまりこういうことです
イエス様が「信仰薄っす!」と言ったのは、死が誰にも訪れ、誰もが怖いと思うことをよくよく理解した上で、「今は頼る力がないかもしれないけど、私に助けを求め、御言葉に聞き従う中で、関係を築いていこう!」という意味なのです。私達もイエス様との関係に入れていただき、「この神様がくれた人生だから、悪いようにはされない」という信仰へと生涯かけて成長させていただきましょう。
Posted by shinnakano
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