イエスの最後の言葉
神の命令と約束 マタイの福音書28:16-20

イエスの最後の言葉

礼拝メッセージ

説教者:藤井佳子師
2023.8.20礼拝説教
テーマ: 神の命令と約束
説教題: 「イエスの最後の言葉」
テキスト: マタイ28:16-20

28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。
28:17 そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
28:19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
28:20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

マタイ28:16-20

イエスの復活

 イエスが埋葬されて安息日が終わると、女たちは墓へ行った。すると大きな地震が起こり、墓の入り口をふさいでいた石が御使いによって転がされた。女たちも墓の番をしていた兵士たちも、御使いの姿を見て恐ろしかったに違いない。そして、イエスが復活されたことを聞く。さらに彼女らは、復活された主とお会いしたことが記されている。彼女たちは、以前から復活の話を聞いていただろう(マタイ16:21,17:9,23,20:19,26:32)。だが、これは彼女たちにとって信じられないことであった。私たちも、もしこの場に居合わせたなら、「死んだはずの人がまさか生き返るわけがない。」と恐れたであろう。人間の常識をはるかに超える出来事が起これば、恐れと疑いが生まれるものである。御使いも主も「恐れるな」と語られた。その後、彼らは主の復活を喜び、礼拝したのだった。

 イエスの復活は、第一にイエスが神であることの証明である。(ローマ1:4聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。)イエスが神でなければ、復活などあり得ない。また、第二に復活は、私たちの救いが確実であることを保証している。イエスは十字架によって救いの約束を成就したが、復活によってその成就が確実なものであることを保証した。復活によるイエスの圧倒的な勝利によって、罪も死も力を失ってしまったのである。そして第三に、復活は私たちに希望を与えてくれるものである。イエスを信じる者は、死んでも天の御国において永遠に生きることができる。イエスの復活は、「死が克服される」という新しい時代をもたらしたのである。

イエスの宣教命令

 イエスは死に打ち勝って天地の全ての権威を持つお方となられた(エペソ1:20、ピリピ2:6~11)。主はこの権威をもって、弟子たちに命令を与える。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」。ここでは「あらゆる国の人々」とあるが、以前の宣教の対象は「イスラエルの家の滅びた羊」(マタイ10:6)、すなわちユダヤ人に限定されていた。しかし、今や宣教の命令はその枠が取り外され、「あらゆる国の人々」となった。「弟子」とは、「宣教する人間」の弟子ではない。教会で言うならば、○○牧師の弟子である信徒を作ってはならない。「弟子」とは「イエスの弟子」であり、常にイエスにつながっていることを現している。

 弟子とするために「父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け」るのだが、この「父、子、聖霊の名において」の「名」はギリシャ語では単数になっており、三位一体の神を表現している。バプテスマ(洗礼)によって、三位一体なる神と私たちとの生きた交わりに入ることを意味しているのだ。そして、「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。」という命令を下された。「教えなさい」とは、原語で現在分詞が使われており、絶えず継続されなければならないということである。弟子は、イエス様が教えてくださったことを守り行うことで、正しい信仰生活を実践できるのである。

イエスの約束

 宣教の命令を行うためには、「世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」という約束が必要である。
弟子たちは、今までイエスと共に生活することによって訓練された。イエスの姿が見えなくなっても、主は彼らと共にいてくださるという。主が一緒にいてくださること以外に、弟子が生み出される条件はない。イエスが共にいなければ、この命令は大変な重荷となってしまうだろう。人間的な力によって、この命令を全うすることは不可能なのだから。

 主が共にいてくださるとは、聖霊降臨によって実現される。つまり、復活は聖霊降臨の前提となっており、復活の後に聖霊が降されるのである(使徒の働き1:8)。
 「インマヌエル」(神は私たちとともにおられる)の預言で始まったマタイ福音書は、「あなたとともにいます」という宣言で完結する。

終わりに)
 神の命令と約束は今も変わることがない。イエスの弟子となった私たちは、共におられる主の力をいただいて福音を宣べ伝えよう。