秋になりました

教会ブログ ビジョン

こんにちは。おごちゃんです。

東京も同じらしいですが、当地(島根県)も秋になりました。

先週くらいまでは「暑さ対策」を考えながら通訳していたのですが、今週はむしろ逆なくらいです。随分と涼しくなり、夕方外出する時は長袖を着るようになりました。てゆーか、昨日(日曜日)も今日も寒いんですけど。

引っ越して最初のエントリを書いた時に青々としていた田んぼは、とっくの昔(8月頃)に稲が刈られました。そして、今たわわに実っているように見える稲は、その刈り株から生えて育った穂です。通常この穂は「しいな」なんですが、採ってみたらお米が入ってました。誰も世話なんてしてないんですけどね。それだけ夏は暑かったのでしょう。東京ほどじゃなかったですけど。

家の外の様子

まだ紅葉という感じではないです。

夕方近くになって、畑の柿を収穫しに行きました。

夏に雨が降らなかったせいか、実が小さいんですよね。

これは渋柿なので、渋抜きをして食べます。当初は干すつもりだったのですが、実が小さいと皮剥きが面倒臭いのですよ。

下草のような牧草のような草は「ニラ」です。この畑は今年は耕作してなかったので、これは勝手に生えて来たものですね。採って帰って食べたら、普通に美味しかったです。

まぁこんな感じで平和に過ごしています。

さて、日曜日の様子です。

今日は本当に「いつもの礼拝」という感じで、先週のようなトラブルもなく、リモート通訳でも事件は起きず(先週は画像が出てなくて焦りました)。

とは言えですね、

下の時間に注目、これは準備賛美とゆーか賛美練習が終わった時(この後まだ奉仕者のお祈りがある)の経過時刻。10:45に放送はスタートしているので、ちょっと押してますね。どうしてこうなったのか、遠くから見ている私にはわかりませんでした。

礼拝についてはさておき、礼拝の配信については、私はこれでいいかなって思ってます。不手際とか結構あるんですが、それでいいと思ってます。

実はこの辺をあまり上手くやり過ぎると、礼拝放送が「番組」になってしまいます。礼拝出席が「視聴」になってしまいます。これ、動画配信が始まった頃からどこの配信の人も言ってる問題です。

かつての「オレたちひょうきん族」が番組の舞台裏みたいなものをさらけ出して、視聴者をテレビの中に引き込んでいました(本当はここにも演出があるんですが)。同じように礼拝放送も「舞台裏」が見えてしまうようなことが起きると、「テレビの中」つまり「会堂」に引き込めるのです。多分この時時計見ながら放送見てる人達は、心の中で「時間!」とか叫んだと思います。それがいいんです。その叫んだ瞬間、あなたの心は会堂にいたと思います。

ということでいつも通りの賛美があります。

通訳してると聖歌はしんどいです。日本語が難しくって。逐語訳すること自体も難しいですが、逐語訳だけでは通じない言い回しとかもありますし。

じゃあ字幕があるじゃないかって話もあるんですが、字幕だけでもわかり辛いものです。手話は日本語そのものではないので。

とかって話は元弊社のブログに書いてますので、参考まで。

第3回 翻訳は難しい

田舎に引っ越してから私が賛美を通訳することはないのですが(伏線)、S姉は大変だなと思ってます。

ということでメッセージです。

今日のメッセージの題は「祈りって聞かれるんだ」、聖書箇所は第二歴代誌33章10節〜16節、テーマは「罪人の祈り」です。詳しくは教会のホームページの方で。

旧約聖書のこの辺は苦手とする人が多いみたいな話だったのですが、個人的には旧約聖書のこの辺は好きな方です。「三国志」とか「太閤記」とか、そういったのと同じような感じがするんですよ。私が苦手なのはむしろ「雅歌(綺麗だと思うけど存在意義がわからない)」「小預言書(断片的で文脈がわからない)」の方ですね。

献金の賛美。ここで伏線回収w 私が通訳してます。多分、会堂ではS姉が通訳してただろうと思います。単なるスイッチャーのミスでしょうね。いいんやで、そーゆーミスいくらしても…

なんか思い立って写したので、報告の時の私のところの様子です。

今はこんな感じです。何を書こうと思って写したかは忘れましたw 何か書きたかったと思うのだけど…

さて、今日はお昼御飯があったり、午後は各会があったりしたようなのですが、私は「はぶ」だったのでよくわかりません。「はぶ」になった私はふてくされて畑に行ったのが最初の話です。いや、別にふれくされてはないですけど、家族に「今日は午後はないの?」とツッコまれたんです。

というのが日曜日の様子でした。そんなに大きな事件も行事もない、普段の教会ですね。来週はトラクト配りの準備がありますので、よろしくお願いします。