本当に健康な人になる

礼拝メッセージ

2024/11/17 礼拝説教
【テーマ】  イエスを見つめる信仰
【説教題】 「本当に健康な人になる」
【聖書箇所】 マルコ5:21-34
【説教者】藤井敬朗牧師

5:21 イエスが再び舟で向こう岸に渡られると、大勢の群衆がみもとに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。
5:22 すると、会堂司の一人でヤイロという人が来て、イエスを見るとその足もとにひれ伏して、
5:23 こう懇願した。「私の小さい娘が死にかけています。娘が救われて生きられるように、どうかおいでになって、娘の上に手を置いてやってください。」
5:24 そこで、イエスはヤイロと一緒に行かれた。すると大勢の群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。
5:25 そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。
5:26 彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。
5:27 彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。
5:28 「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。
5:29 すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。
5:30 イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」
5:31 すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
5:32 しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。
5:33 彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
5:34 イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」

マルコ5:21-34

○ ここには二つの話が絡まって出てきます。一つの話だけ取り出すのは大変困難を覚えますが、特に今日は12年間病気を患っていた女性のところを取り扱います。12年間という言葉には私も興味深さを覚えます。私の三叉神経痛は2011年8月に発症し、2024年5月2日に癒されました。12年9カ月でしたから。この女性の人生のとても大切な時期を他の女性たちが生き生き生活していたのに辛い思いを抱えて過ごしたのです。

本当に健康な人になる

イエスのところに行こう

病気が治らない

    1.病気になると、誰もが早く良くなりたいと願うものです。この女性は12年の長い間病気で苦しみました。あまり長く病気でいると、治ることを願っているものの、病気であることが当たり前になってしまうことがあります。

    2.彼女は多くの医者にかかったようです。しかし、26節にあるように治るどころか、返って悪くなったとあります。お医者さんにとっては嫌な書き方ですね。しかも、お金ばかりふんだくられたような書き方です。原文では「たくさんの医者のおかげで、たくさん苦しめられた」という表現なのです。

迷信的な信仰でイエスに近づく

    1.彼女は医者には治してもらえなかったのです。自分でどうにもならない時、何かに頼るものです。医学の進んでいなかった時代には祈祷師などに頼ったりしました。現代でも多いように思えます。

    2.この日、彼女はイエスという聖人がお出でになると知りました。当時、「聖人に触れると癒される」というような言い伝えがあったようです。巣鴨の「とげ抜き地蔵」はいつも大繁盛です。自分の体の悪いところをタワシでこすると癒されるというのです。彼女はイエス様の衣に触れました。 5:29 すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。 と、彼女は癒されました。
    3.イエス様がどういう方か? ということよりも、迷信に従った可能性が高いのです。ところが、イエス様の言葉からは彼女に信仰があるように聞こえます。いったいどういう信仰なのでしょうか?

イエスに自分を明かそう

イエスはあなたを知っている

    1.イエスは悪霊に憑かれた人を救うためにゲラサ人の地に行かれたように、彼女を癒すためにここに来られたと考えられます。限られた時間しかないイエスには全てに目的がありました。群衆の中で彼女が自分に触ることも知っておられたということです。イエスは私たちがどんなに辛いかも知っておられるのです。

    2.彼女は迷信を信じてただけかもしれません。忙しいイエスをじゃまするつもりもありませんでした。そっと触れて帰るつもりでした。ところが、 5:30 イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」 と、思いもよらない言葉が飛んできました。

癒すことが目的ではない

    1.イエスはこの女性をそっと帰しませんでした。ヤイロの家に行く足を止めてまで、彼女に名乗りを上げさせようとされたのです。 5:31 すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」5:32 しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。5:33 彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。 

    2.実はここからが大切なのです。癒すのは簡単です。神なら簡単にできます。癒すだけが目的ならば、彼女は癒されたのですから、もうそれでいいはずです。なのに、恥ずかしい気持ちのこの女性に名乗りを上げさせるのです。それは真の信仰を持たせたいからです。彼女にはこの方に触れれば癒されるという信仰はあったでしょう。しかし、イエスによって、罪の赦しを得られる信仰はありませんでした。イエスは真の信仰を持って欲しくて足を止められたのです。そして彼女に告白させられたのです。

イエスを見つめよう

イエスを見つめることが信仰

    1.サマリヤの女(ヨハネ4章)にも彼女の問題を突き付けられたように、この長血の女性の場合も彼女を呼び出してまでイエスがしなければならなかったことは何でしょうか? それはイエスと向かい合うということでした。決して癒された、奇跡が起こったというだけで終わってはならないのです。イエスと向かい合わねばならないのです。彼女は癒されていても、イエスと向かい合っていないところに、まだ信仰の問題は残っているのです。

    2.イエスに呼び出された時、弟子たちや回りの人たちの目があり、色々な人の目を気にしてイエスを見つめることはできなかったでしょう。しかし、イエスのお話を聞く彼女は次第にイエスだけを見つめるようになるのです。信仰はここにあります。イエスの衣しか見なかった彼女がイエスの目を見るのです。

真に健康な人生を!

    1.イエスを見つめる彼女にこそ「あなたの信仰」と言われる信仰があるのです。その時イエスは 5:34「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」 と言われたのです。「健やかでいなさい」とは単に体の健康だけではありません。もっと大事な魂の健康です。

    2.信仰は体を癒すために用いるだけのものではありません。金儲けのために、地位や名誉、学歴を上げるために用いるものではありません。魂が健康でなくては真の健康ではないのです。彼女の病気が癒されて帰っただけでは真の健康はまだ得られていないのです。イエスを見つめて生きることで真の健康が得られます。

★ 私たちにどれほどの信仰があるでしょうか? 今の自分を見ればとても信仰と言えるようなものは無いかも知れません。神は今を見ておられるのではありません。あなたがイエスと向かい合うならそれが信仰なのです。目をそらしてはいけません。健全な生き方はイエスから目をそらさないで生きることです。