子育て通信

三叉神経痛

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何の痛み?

  2011年8月、父の容体が悪くなったために大阪に帰りました。入院先の病院へ見舞い、食べたいという食べ物をあちこちの店を探し歩きました(買って持って行っても食べられないのですが)。そんなことをしていたある日、父を見舞って家に帰り、母の作った夕食を食べ始めた途端、右上犬歯あたりに大きな針が突き刺さったような強烈な痛みが走りました。慌てて口の中に指を突っ込み、その針のようなものを取ろうとしたのですが何もありません。痛みもすぐに消えて、さらに一口食べたところ、もう痛みはありません。「何だったんだろう?」と思いつつも気にせず夕食を続けました。
  翌朝、朝食を食べたとき、またしてもあの激痛が走りました。しかし、やはり針のようなものはありません。何度も食事の度ごとにこの痛みを味わいました。
  父が亡くなり、葬儀を済ませて東京に戻った時にも同じ痛みが走るので、「歯」の問題と思って歯医者に行きましたが、レントゲンを撮っても歯にも神経にも何の問題も無いのです。それでもやはり痛んだので、もう一度診ていただいたのですが、やはり何の問題も無いのです。

大学病院で検査

  そこで、紹介状を書いていただいて東京女子医大の口腔外科に行きました。神経に問題のないことを確認した後、頭を立体的にCT検査してくださり、PC画面上で私の頭蓋骨を見せてくださいました(「私の頭蓋骨ってこんなのか」と不思議な気持ちで見させていただきました)。結果、やはり何の問題も無いのです。
  仕方がないので続いて慶応大学病院の口腔外科に行きました。今度はMRI検査をしてくださいましたが、やはり何の問題もありませんでした。その時、医師が「もしかすると三叉神経痛かも?」と言われました。「何ですか?それは?」とお聞きして、有効なのはペインクリニックではないかと教えていただきました。この時点で痛みだしてからすでに2年が過ぎていました。

ペインクリニックで

  数日後、散歩途中で新中野駅近くに「ペインクリニック」と書いてある看板を見つけました。翌日、行ってみました。おじいちゃん先生で、私の話を聞くなり「典型的な三叉神経痛だね」とおっしゃり、右頬に麻酔注射を打ってくださいました。一気に右側が麻痺してしまい、しばらくは痛みが消えました。それと処方していただいた「カルパマゼピン」という薬を飲むと驚くほどよく効きました。一日1錠でほぼ一日痛みから解放されました。これで仕事に支障きたしませんし、食事も美味しく食べることができました。本当にホッとしました。

薬が増えた

  ところが数年後、薬の効きが悪くなったか、痛みが消えにくくなりました。そこで2錠に増やしました。また楽になりました。そして、数年前からまた薬の効きが悪くなってきました。仕方なく一日に3錠を飲むことに。薬の量が増えるのは怖いのですが、この痛みには代えられません。薬の量が増えるとふらつきや眠気もあります。横断歩道を真っ直ぐ渡っているつもりがふらーっと曲がっていました。仕事中にもボーっとしてしまうことも。これはまずいと思いましたが、仕方がないです。何か考える力も気力も失せている気がしました。仕事に支障をきたすようになってきました。そこで、私の属しているキリスト教の団体の仕事を全部辞めさせていただきました。

まだ薬を増やさないと

  仕事を減らしたことでかなり精神的にも楽になったのですが、一向に痛みは止まりません。
  ここで、この三叉神経痛が私の場合、どのようだったか言いますと、
  食事をするとき、右上の歯に触れるだけでピキーンと針で刺したような激痛で動けなくなり、涙も出ます。
  顔を洗っても、右側に同じような痛みが走り、固まってしまいます。
  歯磨きはもちろん大変で、痛いときは右上が全く磨けません。
  水を飲むときも飲み込むときにかなりの痛みが出ます。
  痛みが強い時はしゃべれなくなります。
  歩くのはほとんど大丈夫ですが、走るとその刺激で痛みます。
  笑うと痛むときがあり、笑えなくなります。
  鼻をかんでも、咳、くしゃみでも痛みます。
  右頬を触るだけで痛みが出ることも多々あります。
  針で刺したような痛みは数秒から長くて2分くらいなのですが、ズーンとした鈍痛が一日中あったことも何度もありました。

  きつくてたまらず、薬を4錠、5錠と増やしましたが、増やしても痛みが消えなくなりました。食事の度に激痛と戦いながら泣きながら時間も倍ほどかけて食べるというか飲み込むという状態でした。

限界に来た

  昨年の12月31日までは薬2-3錠でほぼ痛まなくなっていて楽だったのですが、2024年1月1日、あの能登半島地震の起きた日からまたしても痛みが激しくなりだしました。
  もう限界!と感じたのは、3月頃からで、一日中右側の鈍痛に、ことあるごとのピキーンとくる強烈な痛みが毎日続いたためです。そこで、医師に相談して、紹介状とMRI画像をもって4月3日に東京医科大学病院に行きました。問診で「その状態なら手術をしたほうが良いだろう」と言われ、様々な説明を聞いて私も手術で痛みが消えることを期待して承諾しました。その後もいくつもの検査を受けて、準備にかかりました。しかし、30もあるという手術室が空くのは早くて8月だというのです。「8月までこの痛みを我慢するのか!」と思っていたら、先生が手術の予定表を何度も確認してくださって、ある手術が終わった後に入れてくださることを考えてくださいました。それが5月2日の最初の手術が終わったら入るというもので、その手術の終了予定は午前中だったので「12時から手術にかかれるようにしますが、前の手術が延びれば、1時、2時になるかも知れません」と言われました。

遂に入院・手術

  5月1日に入院。手術に向けて様々な準備をして、2日、妻も朝から来て準備を手伝ってくれています。12時になっても声がかかりません。看護師さんに聞いても「まだわからない」とのこと。1時になってもまだ、2時が近づき、私たちは病室でただじっと待ちました。待つのって辛いものですね。「子育ては待つもの」と私はよく言ってきましたが、待つのは大変ですね。
  看護師さんが「2時15分手術開始と決まりました」と言われた時は「やっと来た!」とホッとするやら嬉しくなるやら。
  一応5時間と言われた手術ですが実際は5時間半くらいかかったと思います。私には一瞬でしかなかったのですが、ずっと待っていた妻にとってはしんどい長い時間だったと思います。
  「藤井さん」と呼ばれて、目が覚めると先生が顔を触られました。「痛みは?」「無いです」自分でも触ってみましたが、全く痛みはありません。しかし、目眩や傷の痛みなどがあり、ICUに入ると翌朝までは地獄のようでした(笑)。もう少し麻酔をかけたままにしてほしかったですね。
  ここから後のことは次号に回します。実は、人生で今までにない体験を特にICUと重症患者室で味わうのです。辛いことともに嬉しいことの絡み合った不思議な体験でした。

一瞬の出来事

  5時間半に渡る手術が本当に私には一瞬でしかないのです。「今から麻酔を点滴で入れます」と言われたかと思うと、次の瞬間「藤井さん、終わりましたよ」だったのです。
  腰の手術の時もそうでしたが、麻酔のすごさを感じました。

  このことは私にはイエス・キリストの十字架による私たちの罪の赦しにすごく似ていると思わされます。
  と、言いますのは、私たちの罪が赦されるのに必要なのはイエス・キリストが神であり、救い主であることを信じるだけなのです。しかも「信じます」という心の決心の瞬間に、私たちの罪は取り去られているのです。神様の側では、そのためにイエス・キリストを十字架につけて、私たちの罪の身代わりとしての裁きという大変なことを行ってくださったのですが、まるで麻酔にかかっている間にすべての必要なことがなされているようなものです。一瞬にして「救い」をいただくことができるのです。
  医師を信じて、委ねたら、手術は終わっているように、イエス・キリストを信じて委ねたら救われるということです。

 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」

マルコ 2:17

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Posted by shinnakano