大切な存在
ボクなんて・・・
かつて学生時代に実習先の養護学校で小学5年生の男の子と出会い、一緒にボール遊びなどをしました。手に障害があってボールを上手く受け止められませんでした。すると座り込んで、うつむき、涙を流しながらボソボソ何か言っていました。それは「ボクなんて生まれてこなければよかったんだ」という言葉でした。私にとっては大変ショックでした。担任の先生にお聞きしますと、その子は家で「この子さえ生まれてこなければ」と両親が話すのを何度も聞いていたらしいのです。この子の辛さを思うと・・・
無視されるのは一番辛い
牧場に見学に行った小学1年生のある男の子のお話しです。一通り見学し、牧場の方のお話しを聞いた後に、先生が「何か質問はありますか?」と聞きました。するとその子が「先生、ボクのこの新しいセーターに気づいた?」と言ったのです。
この子はこの日、買ってもらった新しいセーターのことがうれしくて、先生には自分に注目して欲しかったのです。
注目されないと物を壊したり、給食の牛乳をこぼしたりして注目してもらおうとする子どももたくさんいます。親の関心をひくために、きちんと食事をとらない子、大声を出す子もいます。子どもたちは無視されることが一番辛いのです。
子どもは夫婦以上に大切?
子どもは注目して欲しがる、無視されるのは嫌だから、といって果たして子ども中心にして良いのでしょうか?
「たとえ結婚生活を長く持続できた夫婦であっても、それがもろくも崩壊してしまうとすれば、その最大の要因の一つはおそらく、子ども中心に生活してきたことにあるだろう」
アルフレッド・A・ネッサー
「妻が子ども以上に夫を愛さないなら、その子どもだけでなく結婚生活も危機に瀕しているのである」
ルイス・M・ターマン
と、いわれています。
よく「優先順位」ということが言われますが、家庭においても優先順位があります。 子どもに自分が価値ある存在であることをわからせるには、父親と母親が愛し合っている姿を見せることが一番良いのです。
ある人は「子どものために生きるという親が多すぎないか」と言っています。特に母親にそれが多いのですが、結婚して子どもが生まれるまではとても仲の良い夫婦であったのに、子どもが生まれると母親の関心は赤ちゃんにだけになってしまい、夫のことはそっちのけになるのです。つまり、妻だった女性が母親だけになってしまうということでしょうか。そういう時期に夫の方は、自分がないがしろにされた感じでとてもさみしく感じるのです。そして、夫婦の間がギクシャクすることがあります。
でも、こういう時期であることを夫婦が互いに理解していると助けあって乗り越えるのです。ところがこの理解が足りなかったり、助け合うことができないと、母親が「私の人生の全ては子ども」というようになってしまいやすいのです。それは家庭の中の優先順位において良くないことでしょう。
人生の価値観の問題になるのですが、子ども第一の価値観でいきますと「自己中心な子ども」になるといわれています。「自分は人に何をしてあげられるか」というよりも「自分は人から何を得ることができるか」という生き方になるのだそうです。
子どものプライドを傷つけない
「おまえはバカだ」「こんなこともできないのか」「お兄ちゃんはよくできるよ」等々、子どもの心を痛めつける言葉はいったいどれくらいあるのでしょうか?
思春期の子どもであれば、そんなことを言おうものなら反抗もし、反発してくるでしょう。しかし、小さな子どものうちは言われっぱなしになり、脳の中にはそのことがインプットされてしまいます。それが自分のアイデンティティーとなっていくのです。
子どもを嘲笑したり、皮肉ったり、蔑んだりする言葉は絶対避けるべきです。また、子どもが言いまちがえたり、何か失敗しても、それを笑うこともよくないことです。そうしないと、子どもは自尊心を守るために、うそを言ったりしかねません。
聖書には「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4) とあるように、神様は私たち人間のことを尊んでいてくださることがよくわかります。
自分が大切な存在であると知ること
充足感はごく幼い子どもの心の中に生まれるそうです。しかもこれは同性の親によって養われると言います。たとえば男の子が何かをやり遂げた時、父親の評価や励まし、喜んでくれる態度から達成感や自信を得るというのです。
同時にアイデンティティーの意識も幼少期に生まれます。これは同性の親からその原型が与えられ、次いで異性の親から確信を得るそうです。息子に対する母親の接し方、娘に対する父親の接し方で変わってくるのです。
男の子は母親にべったりの時期からだんだん離れていかねばなりません。父親を尊敬している母親の姿を見て、母親を愛している父親の姿を見て「男性」へと成長していくのです。女の子は大きくなっても母親と手をつないだりできることなど、男の子と色々な違いがありますが、基本的に自立に向かう点では同じです。
親が子どもをどのように思っているか、その思いが子ども自身の自己評価にもつながっていくわけです。
子どもとの時間を大切に
お母さんが忙しい食事の準備中に、子どもの話しかけを聞くためにガスの火を止めて一生懸命話を聞いてあげることはすばらしいことです。また、お父さんが新聞を横に置いて子どもの話を一生懸命聞くこともすばらしいことです。そのことによって、子どもは自分を大切に思ってくれているお父さん、お母さんを感じて育つのです。
もちろん、どうしても手が離せない時があります。その時には「少し待ってね」でいいのですが、少し待ったら必ず真剣に話を聞いてあげるのです。
しかし、いつも子どものそばにいて何でもしてあげるのは困りものです。子どもが何かをする時には、子どもを信じて、親が手出しせず任せてみることが大事なのです。
要は子どもを大事に思う気持ちなのですが、バランスがあると思います。大事に思うということは、何でもしてあげることでも、欲しいものを全て与えることでもありません。言葉としては理解していても、実際の行動となるとなかなかできないとものです。
心の中にある愛
子どもを大切な存在と思っている限り、それは行動や言葉の中に「愛」が込められるものです。子どもはすぐには理解しませんが、幼い時から自分を守ってくれる、抱っこしてくれる、ごはんを作ってくれる、楽しませてくれる等々、肌で感じてだんだん心の中に「親の愛」が蓄積されていくのです。親の心の中にある「愛」が子どもの心にも「愛」を育んでいくのです。