日毎の糧を今日も与えたまえ
霊の糧を得よ

日毎の糧を今日も与えたまえ

礼拝メッセージ

2022/5/1 礼拝説教
【テーマ】  霊の糧を得よ
【説教題】 「日用の糧を今日も与えたまえ」
【聖書箇所】 出エジプト16章

16:11 【主】はモーセに告げられた。
16:12 「わたしはイスラエルの子らの不平を聞いた。彼らに告げよ。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、【主】であることを知る。』」
16:13 すると、その夕方、うずらが飛んで来て宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周り一面に露が降りた。
16:14 その一面の露が消えると、見よ、荒野の面には薄く細かいもの、地に降りた霜のような細かいものがあった。
16:15 イスラエルの子らはこれを見て、「これは何だろう」と言い合った。それが何なのかを知らなかったからであった。モーセは彼らに言った。「これは【主】があなたがたに食物として下さったパンだ。

16:21 彼らは朝ごとに、各自が食べる分量を集め、日が高くなると、それは溶けた。
16:22 六日目に、彼らは二倍のパンを、一人当たり二オメルずつを集めた。会衆の上に立つ者たちがみなモーセのところに来て、告げると、
16:23 モーセは彼らに言った。「【主】の語られたことはこうだ。『明日は全き休みの日、【主】の聖なる安息である。焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものはすべて取っておき、朝まで保存せよ。』」
16:24 モーセの命じたとおりに、彼らはそれを朝まで取っておいた。しかし、それは臭くもならず、そこにうじ虫もわかなかった。
16:25 モーセは言った。「今日は、それを食べなさい。今日は【主】の安息だから。今日は、それを野で見つけることはできない。
16:26 六日の間、それを集めなさい。しかし七日目の安息には、それはそこにはない。」

出エジプト16章

○ 皆さんは「主の祈り」を何も見ずに祈れますか? この「主の祈り」に「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」という一文があります。「日用の糧」つまり、「日毎の糧」です。人間にとって食べることはとても大事です。命に関わることだからです。エジプトを脱出したイスラエル人は男だけで60万人ですから、全体では200万人くらいいたのでしょうか。それだけのイスラエル人が荒野で食べていくのは神の奇跡無しにはあり得なかったでしょう。 

肉の糧

食べ物がない

    1.エジプトを脱出し、紅海を不思議な方法で渡り、エジプトの兵隊に追われる心配も無くなったイスラエルの民はその自由を喜び、契約の地にすぐにでも戻れ、最高の生活に入れると思っていたでしょう。しかし、約束の地にすぐに入ったわけではありません。

    2.荒野を旅しながら約束の地を目指しますが、なかなか到着しません。奴隷だった時は自由を奪われていたものの、食べることはできました。荒野の彼等は食べ物に困りだしました。

神に文句を言う

    1.食べる物がないということは人の心を荒立てます。人々は救い出してくれたモーセに文句を言いだしたのです。 16:3イスラエルの子らは彼らに言った。「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは【主】の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」 と。

    2.私たちも私たちを救ってくださったイエスに文句を言うことはないでしょうか? 救われた時は嬉しかったのに、色々問題が起こったりすると、神に「なぜですか?」と文句を言うことが私にはありました。

マナ

「これ何だろう?」

    1.神は食べ物のことも心配してくださるお方です。荒野のイスラエル人に肉とパンを用意してくださるのです。肉はうずら、パンはマナです。うずらは彼等の宿営に飛んできました。マナは毎朝 荒野の面には薄く細かいもの、地に降りた霜のような細かいものがあった という不思議な食べ物でした。

    2.この不思議な食べ物・マナは、人々も 「これは何だろう」 と言った知らない食べ物でした。その不思議さは、毎朝各自が食べる分を集めることができたのですが、昼になると溶けてしまいました。多く集めて翌日まで残しておくと腐ってしまいました。しかし、不思議なのは安息日の前日には二倍を集めることができたのです。しかも、それは翌日(安息日)まで保存していても腐らなかったのです。

    3.神が「安息日には集めに行ってはならない」と言われたわけですが、中には安息日にも集めに行った者がいたそうです。しかし、マナはありませんでした。安息日を守らせるためです。

マナの降らない日

    1.このしばらく後で神は十戒を与えられますが、その十戒の第4戒に 20:8-11 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。 六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。 七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。 それは【主】が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。 とあります。

    2.神は安息日を守ることの大切さを教えておられるわけで、その日に食べ物のために働かなくてもよいようにきちんと備えていてくださるのです。

霊の糧

御言葉は霊のマナ

    1.私たちはお腹がすくと「食べたい」と食欲が湧きます。それは神が人間をそのように造ってくださっているからで、食べて元気になります。食べないと最終的には「死」です。

    2.この肉体の糧が大事であるのと同じく、神は私たちには霊の糧が大事だと教えておられます。それは言う間でも無く、「神の言葉」です。イエス・キリストです。食べ物が肉体を形成するように、霊の糧「御言葉」は私たちの心・魂を形成します。

    3.肉体の糧を毎日食するように、霊の糧も毎日食すべきです。そして、霊的に飢え渇くという経験をされたことがありますか? 世の何をもってしても魂が満たされない、もちろん食べ物も霊を満たしてくれないわけです。そういう霊の飢え渇きです。それは御言葉でしか私たちを満たさないのです。それもただ、教科書を学ぶような感じでの御言葉ではなく、まさに御言葉が直に自分に語りかけてくる神の言葉、今自分とともいてくださるイエス・キリストとして味わうことです。

礼拝は大事

    1.神はイスラエルにマナを与えられたように、私たちにも霊的なマナを与えてくださいました。それは私たちが毎日いただいている御言葉です。

    2.現代の安息日が日曜日かどうかは別として、イスラエルが安息日の前日にマナを2日分貯えることができたのは、安息日・神を礼拝する日を守るためでした。私たちもこの日を大切にする必要があります。この日は用意されたマナがあるということです。

● 昨晩の晩ご飯のおかずがどんなだったか思い出せないことがあるように御言葉も思い出せないかも知れません。しかし、食事したことを忘れてもその食べた物は私たちの体の栄養となっています。同じく、覚えていなかったとしても御言葉は私たちの霊的な力になっています。もちろん食べなければなりません。

★ 神は私たちを生かすため、エネルギーを与えるために霊的なマナをくださいました。御言葉はとても大事です。しっかり食べましょう。