富んだ時代の誠実
マタイ6:19-21

富んだ時代の誠実

礼拝メッセージ

説教者:八木原海先生
2023.10.22 礼拝説教
説教題『富んだ時代の誠実』

【説教箇所】マタイ6:19 – 21

6:19 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
6:20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。

マタイ6:19 – 21

誠実の一側面

 ある人を信頼できるか判断する時に、何を基準にするでしょうか?一つの基準は、どれだけの実績があるかです。「この人は前にもやってくれた。」「いつも良い仕事をするから次も任せたい」という風に、これまでに積みあげてきた行動が信頼を築きます。地味かもしれないけれど、誠実に行動を繰り返すことは、誠実の一つの側面です。今日の礼拝に出席しているということは、神様に対して誠実さを表していることです。ただし、富が近くにある時は、そちらに気がそれないように注意が必要です。イエス様が地上におられた時代は、富が近くにある時代だったのです。

イエス様の時代

 イエス様の時代は、ユダヤがローマの支配下に置かれている時代でした。ローマへの税金で、人々の暮らしは経済的に大変だったようです。もちろん一部の王族や大きな土地を持っている人達は裕福ですが、それ以外の圧倒的多数が貧しい農家だったそうです。裕福な貴族の下請けや孫請けで仕事をしている中間層と呼ばれる人達もいたそうですが、税金が非常に高くて明日の生活も安心できないような人が多かったのではないかとある学者は言います。ローマの長い平和の時代と言われる背後にはこのような重たい課税がありました。せめて礼拝の時くらいは心休まらないものかと思いますが、当時は宗教の税、そしていけにえのために捧げる動物の費用などもあり、人々にお金のことを考えない隙はほとんどなかったのではないでしょうか。

礼拝のモチベーション

 当時の人達がどういう気持ちで礼拝していたか考えさせられます。マタイ6章には礼拝するモチベーションが書いてあります。
6:1(前半) 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。
6:2 ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。
6:5(中) 彼らは人々に見えるように、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。
6:16(中) 彼らは断食をしていることが人に見えるように、顔をやつれさせるのです。
人に良く思われることが目的の礼拝を、イエス様は偽善だとおっしゃいました。不純な動機ではなくて、また富に翻弄されるのでもない生き方をイエス様は提示しました。豊かな人にとっても、貧しい人にとっても大事な話です。

①天に宝を蓄える

 今日の箇所でイエス様は、天に宝を蓄えなさいとおっしゃいました。
 6:19 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは
虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
6:20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで
傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
 「虫」「さび」「盗人が盗みます」と、あります。衣服を虫が食い、金属類は錆びつき、大事にとっておいたものも盗まれると言っています。要するに、地上にある財産には終わりがあるという意味です。しかし、天に宝を蓄えなさいとイエス様は言いました。天に蓄えられた宝には終わりがないからです。イエルク・ツィンク牧師は、『わたしはよろこんで歳をとりたい』という本で、人生の終わりに老いていくだけではなくて、新しい何かが始まることを語り、読者に希望を持つよう励ましました。私達も、地道にでも、天につながることを喜んで、感謝をもってさせていただきたいです。また、私達が天に宝を蓄える時に、神様は私達の誠実さを見ておられます。しかも心を見ておられるのです。

②そこにあなたの心もある

 21節を読みましょう。
6:21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。
「心もある」というのは、心を置いているという言い方です。イエス様は、地上の富を蓄えるなら、心をそこに置いていて、天の神に宝を蓄えるなら、天にあなたの心を置いていると言っているのです。富が近くにあると、心を奪われてしまうかもしれません。しかし、私達は、心から主に対する行動をとりたいです。心を見ておられる主が、その誠実さを認めてくださるのです。
始めてみようコツコツと
 みなさんは、財産以外のことで喜べることを持っておられるでしょうか。また、心を込めて誠実を尽くしたいと思う方はおられるでしょうか。誰もはじめからクリスチャンではありませんでした。ある日ある時、愛なる神様がおられて、私達のために命をかけて十字架にかかったイエス様がおられるということを聞き、受け止めるところからみんなクリスチャンとしての歩みが始まりました。これを救いと言います。その救いの喜び、感謝が原動力となって、クリスチャンは、小さなことでも「感謝だなあ」と思ったり、「何か神様のためにできることをしてみよう」という気持ちになったり、聖書の御言葉を神様がくれた言葉として読んでみたりと、コツコツと天の宝を蓄え始めます。神様は私達と信頼し合うような親しい交わりを持ちたいと思ってくださるのです。地上にいる間、主に小さい行動かもしれないけど、コツコツと誠実を尽くす歩みを始めてほしいと思います。

★まとめ
 イエス様は、天に宝を蓄えなさいとおっしゃいました。地上の財産、地上にあるモチベーションではなくて、錆びない、食われない、盗まれない財産です。また、そこにあなたの心もあるともおっしゃいました。コツコツと天に向けた行動、これは心が大事です。イエス様の時代も私達の時代も、財産以外のものに喜びを持ったり、心をこめたりすることは珍しいことかもしれませんが、素晴らしい誠実な生き方なのだと思わされます。天に宝を蓄えるのはすぐにできることばかりですから始めてみてください。そして、みなさんにとって大切な神様との関係が深まっていくことを祈っています。